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たいやきと珈琲


 十月一日。しつこい残暑も十月に入ればさすがに秋めくだろうと思っていたが、その日は猛暑日だった。券売機の一台あるだけの小さな駅を出たときにはすでに汗をかいていた。
 このしずかな港町を訪れるのは数年ぶりである。以前来たのはコロナ禍の前だった。様子は全く変わっていない。時間の止まったような落ちついた町だった。

 今回は、たいやきを食べにきた。たいやき屋は、この港町の町おこしのホームページに載っていた店で、写真越しの風情が自分の心を惹きつけた。
 駅を出て左に折れると、もう瓦屋根のしずかな住宅地に飲まれた。舗装のされていない駐車場の砂利を踏んで横切る。路地がさらに狭くなる。すこし歩をすすめると、あっけなく店に着いてしまった。
 店は、軒を連ねる民家とほとんど見分けがつかない。木の板に塗料でロゴマークを描いた半畳ほどの看板を立て、軒先に野菜を並べて手書きの値札を挿している。野菜のまわりに何人かのお婆さんが立ち話をしていた。

 店の戸の前でおろおろしているとお婆さんが気がついて声をかけてくれた。お婆さんがどうぞと入店をうながす。茶色いスチールの格子に擦り硝子をはめた田舎家の普通の戸口である。からからと引くと窮屈な玄関で、その奥も住宅の構造だった。ただ玄関脇に一坪ほどの小さな厨房がこしらえてあって、小窓をもれる秋日がまだ焦げも傷も付いていない綺麗なたいやきの鋳型の上へ差していた。

 自分が靴を脱いでいると、すっと店主が厨房に滑り込んできた。涼しい目元に小じわを刻んだ身ぎれいな中年女性だった。その女将が一枚のメニュー表を出した。数えるほどしかないメニューだが、どの字面も興を誘った。たいやきと珈琲を注文する。

 「どちらにお住まいですか」
 女将は作業の手元に目を落としながら、はきはきとした口調を客の手前すこしやわらげて喋った。
 「二駅三駅向こうです」
 女将は返答に困ったようだった。疑い深い秘密主義で何を喋っても言葉に陰のできる自分にはおよそ小気味よい雑談などという芸当がむずかしい。そのあと当たり障りのない会話をようやく二言三言交わしたが何を話したか記憶にはない。

 「ここで食べていきますか」
 「はい」
 「二階でお待ちください」
 狭くて急な階段を上がる。薄暗い足元にてらてらと木目が光って一段一段が無暗に高い。一足ごとにぎしぎしと鳴る。
 二階に出ると目の前がひらけた。座敷の大広間が広がっている。一方の壁はすべて硝子窓だからたっぷりと採光されて明るい。古民家の高い天井と、襖も衝立もない広間は、窮屈な一階とちがって開放感があった。その広間へ木の座卓がゆったりとした間隔で置かれている。座卓のほか、壁際へ粗末なプラスチックのテーブルとピアノ椅子を取り合わせたちぐはぐな席があったり、廊下のつき当りへ場違いにゴージャスな毛氈のソファをはめ込んであったり、そうかと思うと大正浪漫あふれる煤けた大箪笥が窓際に鎮座したりしていた。その脈絡のなさはかえって街中の定規で引いたようなカフェと比べて不思議な居心地の良さを感じさせた。

 先客が一人いた。中年男が壁際の座布団の上で背を丸めて読書に耽っている。他に人影はない。がらんとした広間で気分が良い。明るい窓際の座卓に肘をついて待っていると女将がたいやきと珈琲を持って上がって来た。たいやきを載せたステンレスのトレイは傷一つなく鏡のように新しかった。
 この店は二〇一九年に開業したとホームページで見た。本業は別にあるらしい女将が曜日を限定してひとりで切り盛りしているようだ。古民家を最小限の改築で喫茶店にしつらえた手作りの店。たいやき一つ150円がうれしい。
 トレイの上のたいやきは海の方角を向いてきれいな薄黄色に染まり、焦げ一つない。かじると皮は薄目だが非常にもちもちとしていて食べ応えがある。自分には初めての食感だった。餡子は甘すぎずまた少なすぎず。けっして安かろう悪かろうの感じがない。女将の風貌に似た品と質のあるたいやきである。珈琲も淹れたての香ばしい風味を堪能した。
 コーヒーカップには店のロゴマークを刷った帯が巻いてあった。丸かいてチョンといった感じの象徴的で抽象的な図案だった。そのアートが訴求するところのこの店の価値を連想したけれど、図案が単純すぎて言葉にはできなかった。

 しかし暑い。汗が引かない。窓は開けてあるが風はそよとも吹かず、広間全体を物憂げな空気が漂っている。天井や壁を見回すがエアコンが見当たらない。代わりに古い扇風機が方々に二三台置いてあるだけだ。それもすべて止まっている。
 おいしいはずのたいやきが、なぜか喉に詰まるようでなかなか減らなかった。猛暑の中で食べるものではない。歳時記の中でなぜ、たいやきが冬の季語なのか理解した気がした。もしも冬の木枯らしの中を、襟を搔き合わせながらこの店へやって来て湯気の立つ珈琲とたいやきにありついたなら、さぞ美味しいことだろうと空想で胡麻化しながら目の前の夏バテしたようなたいやきの顔をかじった。

 先客の男はいつの間にか畳の上へ寝っ転がって本を読んでいた。そこへ女の子を連れた母親が二階へ上がって来た。物珍しそうに調度品をひととおり見て回ると、壁際の段差に腰をかけて、扇風機を一台引き寄せて涼んでいた。女の子は退屈そうに母親の近くでうろうろしていたが、実にしずかな子だった。母親も一言も発しなかった。やがて親子はしずしずと下へ降りて行った。

 自分は暑さに耐えかねて親子の残した扇風機と、別にもう一台の扇風機を集めて来て二台分の風を浴びた。煤けた箪笥の前には大きな花瓶が置いてあって枯れた草花を挿し、寂びた趣の生け花にしていた。肌寒くなった頃にもう一度来たいなと思った。

 帰ろうと思って腰を浮かすと中高年の親子らしき二人連れが来て隅の座卓へ座った。自分は帰りしな扇風機を親子のそばへ置いて風の当たるように向きを調整してやった。息子らしき痩せた男はびっくりしたような顔で黙って手を振って遠慮するような、また嫌がるような仕草をした。

 トレイを持って階段を降りると女将は一坪の厨房を忙しそうに立ちまわっていた。ごちそうさまでした。言いつつトレイを持ったまま帰り際の作法が分からず戸惑っていると、その辺に置いておいてくださいと女将。その辺がどの辺なのかわからない。トレイを置くような隙間がどこにもないのである。女将が、そこで、と言ってレジスターのほうにちょっと視線を送ったのでレジの上に置いた。トレイもレジもまだ新品のようにまっさらだった。

 店を出るとき女将に一つ質問をした。
  「お店のロゴマークはどういう意味があるんですか?」
 さっきのロゴマークにどんな意味が象徴されているのか気になったのだ。こういったこだわりの詰まった個人商店ならきっと何か思い入れがあるに違いない。
 しかし女将は言い淀みながら的外れな説明をして返事を濁した。自分は、へぇーと感心する風をして靴を履いて店を出た。あまり深い意味はなさそうだった。おおかた、伝手を頼って絵描きに依頼したのだろう。芸術家がボランティアで筆を走らせた抽象画で、依頼主の女将もいちいち言葉で説明したことはないに違いない。

 店を去り際に看板をもう一度見る。すると、入る前の無機質な印象とちがって、そのロゴマークには今しがた店内で体験したいくつもの感情やモチーフが重なって見えた。そうしてこの店にふさわしいマークだと思った。

 自分はお腹の中のたいやき君と一緒に海へ向かうことにした。軒先ではまだお婆さんたちが野菜のまわりで喋っていた。




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