ALL SUMMER LONG

　私はスーパーマーケットへ行った。お弁当のコーナーに天丼が見えたので、はからずも食欲をそそられた。私は無闇に炭水化物を摂るのは控えているので、スーパーの油だらけの弁当を好まない。ところがそこを通り過ぎようとしたとき、天丼の一番上に盛られた大きな茄子のきれの紫色の帯がさっと目にさした。私はうろたえた。お野菜のなかでは茄子がいちばんの好物なのである。コーナーをしげしげと二周し、一度離れてからまた戻ってさらに一周したのち、私は天丼ににじり寄った。そうして周囲をひとわたり見渡してから、おもむろに天丼を買い物かごへ隠した。天丼はほんのりと温かく、ずしりと持ち量りがした。

　私は気が付くと、和菓子のコーナーに立っていた。水羊羹が涼しげに光っている。私はうろたえた。透きとおる寒天の中にこしあんの小さな惑星が気持ちよさそうに浮いている。私は喉をつるりとすべり落ちる寒天の冷たさを想像した。しかし近ごろは無暗に糖分を摂るのは控えているので、今度こそ心事の高潔を守らなければならぬと思った。私は棚の前でしばし佇んでいた。誰が私の胸のうちの葛藤を知ろう。私は情を抑え、欲を制して、粛然とその場を立ち去った。私は少し誇らしい気持ちがした。だから自分へのご褒美にチョコレートを買って帰ることにした。

　私は颯爽とお菓子のコーナーに登場する。と、アルフォートが十八枚入りになっているのを発見した。もとは二十一枚入りだった気がする。先般十九枚に減っているのを見知ったときはしみじみとした感慨を催したものだ。それからいくばくもなく過ちは繰り返された。私は静かに忍びよる円安の足音にうろたえた。アルフォートだけではない。カントリーマアムも梅干しみたいに縮んでいるし、ロッテのチョコレートパイも、パイの実も、源氏パイもいっぱい値上がりした。キットカットの大袋を持ちあげれば、きっと中身がカットされてすかすかだ。すかすかだけれど買い物かごには入れた。私はお菓子の棚を行ったり来たりしながら、そぞろに貧しい気持ちになった。

　一方で私は、カロリーメイトにバニラ味が追加されているのに出くわした。箱の隅に「新発売」と印刷されている。カロリーメイトといえば生涯でチョコレート味しか食べてこなかったから、私はうろたえた。子供のころ一度だけ別の味を試したことがあった。けれど何とも言えない不味さだったので、以降はチョコレート味のほかは目もくれないで人生の半分をつつがなく暮らしてきたのだ。ところが大塚製薬株式会社は私を四十にして惑わそうと画策するのである。バニラ味とはいったいどんな味であろうか。おそらくバニラの味である。しかしそれは理屈であって、こころに受けるイメージは想像がつかなかった。私はおそるおそる新発売カロリーメイトバニラ味を手にとり、誰にも知られないよう買い物かごへ添えた。

　そうして私はようやく、天丼とチョコパイとカロリーメイトと串団子の入った買い物かごをレジへ差しだした。それはいかにもうらぶれた独り者の買い物であった。目の前の老夫婦の客は、二つのかごに野菜をやまもり詰めていた。青々としたキャベツがまるごと一つ入っているのが目についたので、べつになんとも思わなかったけれども、ついでにうろたえておいた。

　老人の群れをかきわけて店を這い出して往来へ出ると、じりじりと夏の光線に射られてたちまち汗がにじみ出した。そよ風の吹いているのが地獄に仏だが、焼け石に水だった。道々、民家の駐車場でバーベキューをしている家族があった。私はもう、うろたえることはなかった。見て見ぬふりをして通り過ぎた。風にのっていい匂いが鼻をかすめた。

　家に戻って肩からトートバッグを下す。バッグには “ALL SUMMER LONG” とプリントされている。愛らしい鳥さんが器用にサーフィンをしているイラストに、その文句が添えられている。たまにしか使わない愛用のバッグである。今年の夏はまさに “ALL SUMMER LONG” だ。意味は知らない。