おやすいごよう
今日は、めんどうくさいとおもってさぼっていた雑用をやっつけた。やってしまえばすぐに終わってしまうこと。それはわかっているが、めんどうくさくてあとまわしにしてしまうのだ。やることがめんどうくさいのではなく、やりはじめるのがめんどうくさいのだ。人はどうしてめんどうくさいとおもうのか。めんどうくさいとはいったいどういうことなのか。そんなことをかんがえるのはめんどうくさい。きっとめんどうくさいとおもうからめんどうくさくなるのだ。これからはめんどうくさいとおもいそうになったら、反対のことを言おう。めんどうくさいの反対は、めいさくうどん。いえそれはちょっとちがいます。めんどうくさいの反対は、おやすいごよう。あぁ、あれもこれもやらないとなぁ、おやすいごようだなぁ……という具合だ。え、きょうの残業はこんなにあるの!?おやすいごよぉ~、といった調子だ。あら、この牛蒡は五本で百円なの?おやすいごぼうねぇ、そんな様子である。おやすいごようといえば、きもちがすこしおやすくなるような気がする。これからはみんな、おやすいごようにしよう。おやついこうよと言いまつがえないようにしよう。ごようだ、ごようだ、おやすいごようだ。きょうもいちにち、おやすいごようだ。あしたもきっと、おやすいごようだ。一年365日おやすいごようだ。それもそれでめんどうくさい。
はなにあらしのたとえもあるぞ。
めんどくさいだけがじんせいだ。
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