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マジョのおでん屋


 久しぶりに会った旧友と、二人で飲みに出かけた。雑居ビルの狭い通路に赤提灯の並ぶ、おでん横丁へ繰り出した。週末の夜とあってどの店も満席だった。

 一ヶ所だけ、まだ暖簾を出したばかりと見えて、客の入っていない店があった。その暖簾をくぐった。カウンターに腰掛けてビールとおでんを注文する。店主は恰幅の良い老婆で、白髪の汚く混じった頭がボサボサに伸びほうけている。まるで魔女のようだった。

 魔女は火を入れたばかりの鍋へおたまを差し入れてゆっくりかき混ぜると、おでんをしゃくって小皿にのせた。友人と小さく乾杯をする。陰気な店に二人で窮屈に座っていても話は弾まない。私はカウンターに片肘をついて、横目で店の様子や魔女の挙動をちらちらと窺った。客が溢れている横丁に、この店だけ取り残されたように森閑としている。魔女は一言も喋らなかった。

 やがて一人、二人と、客が入り出した。だが五、六人も座ればもう店はいっぱいだ。あっという間に満席となる。魔女は、客に注文を言われると、言われたものを出して、あとは押し黙って座っていた。

 ふと自分の手元を見ると、おでんの汁がカウンターの汚い木目に滲んでいる。おかしいなと思って小皿をあらためると、皿を縦断する大きな亀裂が入っていた。友人に目配せで訴える。二人で苦笑した。魔女は椅子に腰掛け、何色とも表現しがたい色の煤びた壁に寄りかかって、赤茶けた文庫本を膝にひらいていた。そのうしろをゴキブリが這っていった。

 私たちはまだ酔いも回らなかったけれど、魔法をかけられてゴキブリにされないうちにと、魔女の店の暖簾をくぐった。表へ出ると夢から醒めたように賑やかな宴の歓声につつまれた。




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