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銀行、銀行、おでん、銀行


 銀行をいくつかはしごする用事があった。街中ではテンポよく処理したものの、最後の一件は街外れにあり遠い距離を歩いた。夏の蒸し暑い日だった。

 店舗に着いて自動ドアをくぐると、入り口にシャッターが下りている。奥は無人で薄暗い。平日なのに休みなのだろうか。不思議に思いつつ、入り口に立ててある札を読むと、「午後は十三時から営業します」。
 昼休みのある金融機関は初めてだった。開店までたっぷり一時間ほどある。一旦帰宅するには短すぎるし、ここで待つには長すぎる。どうしようか逡巡しているうちに、ふと思い出した。ここは、一度行ってみたかったおでん屋の近くだ。昼休みを潰すにはお誂え向きである。時間のパズルが一気に頭の中で整った。

 銀行を出て五分でおでん屋に到着。地元では名の通った老舗だった。店先に屋号の入った一抱えほどもある赤提灯を垂らしている。古民家の頭でっかちな大屋根が老舗の貫禄を湛えていた。

 手で払うほどでもない短い暖簾をくぐるとそこは僕の好きな、昭和の雰囲気を色濃く残す空間。老舗といえばこのように、広い土間へ薄っぺらいテーブルをまちまちに置いて、がたがたする丸椅子を添えるものと相場が決まっている。壁にはこれまたお決まりのように、くすんだ手書きのメニューや縁起物や折々の記念品が脈絡なく貼り付けてある。天井には真っ黒な太い梁が通っていて、散漫なしつらえをどっしりと押さえつけている。この立派な梁だけはここらの店にはない特色だった。

 店にはエプロンのおばちゃんが何人もいる。皆、高齢だ。客はほとんどいないのに、お喋りをしながらなにやら忙しく行き交っている。僕がどこに座ろうか逡巡していると、それまで内輪話でケラケラ笑っていたおばちゃんの一人が「はじめてですか」とよそよそしい声で聞いてきた。はじめてですと伝えると、おばちゃんは、好きなとこに座って、注文はそこで、とお店の作法を手短に丁寧に教えてくれた。

 隅のテーブルに丸椅子をがらがらと引いて座る。身体に少し遅れて心も席に落ち着いたように思われたとき、おばちゃんがお茶を置きにきた。そのタイミングが心地よい。荷物を置いて、おでん鍋のところへ行く。鍋を挟んでおばちゃんがちょこんと立っている。「たまごとー、はんぺんとー、牛筋とー……」と、こちらがぶつぶつ唱えると、おばちゃんがさっさっと串を皿に盛ってくれる。おにぎりも頼んだ。おばちゃんはぱっと会計を計算して請求する。僕がおでん屋でアルバイトをしてもこんなに早く計算は出来ないだろう。皿を受け取ってそろそろと席に戻った。おにぎりは後から来るらしい。

 おにぎりが来てから同時におでんに取り掛かりたいのでお茶をすすりながら少し待つ。待ちながら壁に貼ってあるいろいろなものを眺めていると一枚の写真が目に留まった。相当に古いと思われる赤茶けた小さな白黒写真だった。写真の中にはこの店の外観が写っていた。印象的な大きな藁屋根でそれと分かる。店の前に二人の男女が立ってカメラのほうを向いている。前掛けをして腰に手を当てている男のほうはいかにも店主という風貌だった。女の人は奥さんなのかもしれない。お店が出来た当時の写真だろうか。写真にうつる若い女性が、目の前のおばちゃんたちのなかにいるのかもしれない。壁にぞんざいに貼り付けてあるのが勿体ない歴史的価値を感じた。

 厨房の暖簾がぱっとひらめいておばちゃんが僕におにぎりを届けた。いよいよ箸を上げる。果たしておでんの味は……。残念ながら特筆すべき点はなかった。古民家の大きな屋根や、店先の赤提灯や、昭和の残り香に抱いた期待に比べ、おでんの味は薄く、地味で、印象に残らない。今が夏場であることや、まだ銀行へ用事を残している最中のざらざらした気分の中で食べたこともあるだろう。あるいはその特徴の無さが老舗の秘訣なのかもしれないが。
 しかしおにぎりが美味しかった。しっとりとした海苔の塩加減、つややかでみずみずしい米粒、小刻みだけれどしっかりとした味付けの具。小ぶりな結び具合がまた憎らしく、いくつでも食べられそうな気がした。

 おばちゃんたちは暇な店内でひっきりなしに何か作業をしている。働き者、という印象だ。働かされているような貧相な様ではなく、働くことが身に付いている古格があった。昔の女性のたくましく豊かな生活力を思わせた。そういえば僕のおばあちゃんも、晩年は足を悪くして家から出られなかったけれど、得意の針仕事でせっせとさまざまなものを作って周りの人たちに配っていたっけ。

 お爺さんが店に入ってきた。よぼよぼで今にも倒れそうな足取りだった。おばちゃんたちはお爺さんをみとめると、わっと取り巻いて、□□さん、□□さんと名前を呼びかけながら手取り足取り世話を焼いた。注文もおばちゃんが半ば強制的に誘導して取り決めた。そうでもしなければ日が暮れてしまいそうなお爺さんなのだ。お爺さんはされるがまま、ぼんやりしている。まるで老人ホームのようだ。一見さんを放っておいてお馴染みにここまで手を込めるのが正真正銘の「地域密着」である。

 お爺さんのほかには、中年の男女が一組いるばかり。気の抜けた顔でぼそぼそとおでんを食べていた。そろそろ銀行の窓口が開く時間になり、僕は間の抜けた平日のおでん屋を後にした。帰りしな出入口の近くに、大学芋がきらきらと輝いているショーケースや、石焼き芋を焼くらしい真っ黒に年季の入った釜が目に入った。

 そのあとは銀行で無事に用件を済ませ、家までの長い道のりを歩いて帰った。帰途に通りがかったお堀端には柳の葉が物憂げに揺れていた。




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