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液体の上に住む人々

ふと、意味のないことをしているな、と思う。

描いても描かなくてもよい日記まんがや、書いても書かなくても良い文章を書いていて、もちろん楽しんでくれる人はいるし私もとても楽しいのだけど、これ、この時間を使ってもっと意味のあることをせねばならんのでは…という不安がよぎる。

意味のあることや役に立つことだけをしなければいけないなんて、そんな教訓は全くの大ウソなのに。油断すると心の底から湧き上がるように「お前はほんとうに生きる意味があるのか?」的な言葉が出てきてしまうので、根深い。他人に承認してもらう「生きる意味」など本当はどこでも不要です。

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先日、ベッドで横になっている時に地震が来た。はじめはドアがガタガタいっているだけだった揺れはだんだん激しくなって、緊張してベッドの中でじっとしていた。揺れがおさまったかと思ったらまたさっきより強い揺れが来て、ひきつづき「やばくなったらいつでも逃げるぞ」という心持ちでじっとしていた。長かった。

今回の揺れがどうかは調べていないので分からないけど、関東の北の方に住んでいると、ここ数年は頻繁に震度3くらいの地震が起きている。どうやらそのほとんどは2011年に起きた大きな地震の余震であるらしかった。

地球規模でいえば、10年単位で余震が起こる。

「地球って液体らしいよ」と夫が言って、なんのことかと思ったが、地球のプレートや大陸の移動を学問として研究する時、地球を固体でなく液体とみなす考え方があるらしい。なるほど、それでいうと我々は液体の上に住んでいるということになるのか…。うごく液体の上に住む人々。地球のサイズから言えば、我々は人の手のひらに住むウイルスのようなものかもしれない。

ところで、今よりうんと小さい頃、大人の世界が決める物事は、私にとって自然災害のようなものだった。

引越しをすることになって住んでる家に住めなくなること。転校をすることになって毎日会っていたクラスメイトに会えなくなること。大人の決めることはもう決まったこととして向こうからやってきて、子供の私はそれはそういうものとして受け入れるしかなかった。

そこから何年も経って、私は成長して、言葉を理解し言葉を発するようになった。そしてどうやら人の決めることは、交渉可能だ、ということを学んだ。言葉によって相手の要望を聞いたりこちらも主張をすることができて、動かないと思っていた山は、まったく動かせないわけではないことを知った。

そう思っていたら、戦争が起きた。

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権力を持った人が心を決めれば殺戮ができてしまうということ、それは一度始まれば自然災害のように簡単には止まらないこと、「言葉で人と人とは分かり合える」という希望がいかにナイーブな希望か、そしてそれは本当にただの希望に過ぎないということ、あれこれと考えた。起きるべきではないことが起きたときに自分のあり方を省みるのは好きではないが(起こした奴が悪い)、少々食らってしまった。

個人が、個人を超える大きなカテゴリ、国とか性別とか障害とか…から完全に自由であることは、ない。それでも、そういうものに縛られていたのはずっと昔の話で、もう今は個人は個人としてどう生きるか、自分の人生を最大限幸せに生きるにはどうすればよいかに、注力して考えていられる時代ではなかったか。そして現地の人もそう思っていたのではないか。

最初はインターネットで毎日ニュースを見ていたが、かわいそうでだんだん見れなくなり、少し距離を置くようになった。SNSは憶測が多過ぎてうんざりしたので一切追わないことにした。微々たる額を寄付した。

そして、有事の際に、アーティストや作家が「なにかできることをしなきゃ」と言う気持ちが初めて分かった。メディアを持っている場合(自分の話に耳を傾けてくれる人がいるということ)、そのメディアを使って伝えるべきことがあるのではないか?と思ってしまうのだ。私は、必ずしも今書く必要がない日記まんがなど書いていていいのだろうか…。

そういうわけで、少し日記まんがや文章を書く頻度が下がった。

しかし、今、私のメディアで伝えるべき情報がないというのも事実だった。素人の感想や、裏どりしていない情報を流す方が加害ではないか。そう思ったので、ひとまず「出どころ不明の情報に反応しない」「二次加害をしない」をすることにした。こうして書くと本当に最低限のことですね(大事だとは思うけど…)。これが正解という自信はないが、とりあえず、原発事故の時に「何かしないと!」と東京の人が口々に言っていた、あの気持ちは分かった。

何もない日常のまんが、何もない文章を書いていることに迷うけれど、書いてはいけないことはないのだから書いていようと思う。この文脈だと、「何もない日常を続けることが困難にあっている人を助ける…」ようにも取れてしまって、嫌だな。関係はない。私のどうてもいいコンテンツと困難にある人々は関係がないし、関係づけたら失礼である。ただ、いつか私のメディアを使う場面が来たときのために、まんがの練習もしておくし、文章の練習もしておくし、言葉を超える暴力についてもニュースや本で学んでおく。考えておく。


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