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縁と運の打率

こんなに書かなかったのも久しぶり。ログインで手間取ってしまった。〜ねばならないと縛りを設けてもなぁ、、、と、ゆるめ推奨でいたが、それはそれでゴムスカートのごとく生き方全体がぼわんとなって、逆の生きづらさを感じだしたので、ここらでキュッとしめよう=せめて何か書こう、となった。とはいえ、持論を展開するほどの熱量も感覚も戻っていないので、最近心に引っかかったことについて書くことにする。

隙間時間にポッドキャストを聴くことが増えたのだが、好きな番組のひとつが「OVER THE SUN(オーバーザサン)」。コラムニストのジェーン・スーさんと元TBSアナウンサーの堀井美香さんがパーソナリティーをつとめ、オーバーザサン・・・オバサンの悲喜交交を時におもしろおかしく、時に鋭く厳しく、時に泣いたり笑ったり、オバサン以外でも楽しめる番組だ。友人ら(互助会)にもファンが多く、金曜17時の配信が密かな楽しみだったりする(掘り下げだすと相当な文字数が必要になるので割愛)。

先週の回で「縁と運の打率」の話があり、運転中だったけれど思わず膝を打った(本当に膝を叩くもんだと感心した)。「ご縁があって、運が良くて……あれって何なんだろう」とスーさん。もちろん、すべてが実力だとも思わないし、誰かの助け(縁や運)によるものだと理解はしている。でも、それだけじゃないよね、と。

その例として「仕事をお願いしようと、AさんBさんCさんに声をかけたとする」。すると、真っ先にAさんから「ぜひやらせてください!」と意欲的な返事がきた。次にBさんから「お声かけてくださりありがとうございます」とお礼がきた。最後にCさんから「今ちょっと立て込んでいて……」と辞退の連絡だった。

「この段階では、全員に〝縁〟があった。それに対して、どの返事をどのタイミングで返してきたかによって、運が決まってくるのよ」

この場合、具体的な仕事の話はまずAさんにいくし、Bさんは今回だめでももう一回声をかけてもいいかな。でも、Cさんにはよほどのことがない限りもう声はかけないよね…となる。うん、ホントにそう思う。

「縁があっても、次の運への打率がかわってくるよね」

みんなの縁が100だったとすると、運は掛け合わせになっている。縁(チャンス)を活かして打ち返す。期待値80%で返すと目減りしていくので、次はそれをカバーできるよう120%で返す……これを繰り返すうちに実績となり、縁もさらに増え運が開けてくる仕組み。Cさんの場合であれば、最初の打席にも立てないわけだから広がり方は全く変わってくるよね、と。縁によって打席に立ち、きっちりつなげて運への打率をあげていく。

あー、私はこの仕組みによって、生きてこられたんだなと思った。フリーランス生活ももう少しで20年。実をいうと一度も営業活動をやったことがない。人にお願いしたり甘えたりするのが苦手な性分だし、頭を下げることに抵抗があるのも認めるし、自分自身を売り込むなんて考えただけでも震えがくる。でも、これでは生きていけない。

「こんなお仕事ありますが、いかがですか」の声がかかったら、真っ先に「やってみたいです」と手を上げてきた。もちろん不安しかない。なりたての頃など実績なんてあるわけもなく、本当にやる気と元気と勢いだけ。とはいえ、自ら積極的に営業できる人に比べると手持ちのコマ(縁)は少ないわけで、実力不足を補う意味でも、締め切り厳守、迅速丁寧、プラス笑顔(無料だし)でやってきた(つもり)。

ビッグな実績や名声もないけれど、縁をつないで運を上げてきた実感はある。縁も運もいわば神頼み、自分の想いでどうにもできないものとして捉えがちだけど、日々の中にも縁と運って(割といっぱい)潜んでいるもの。漠然とした一発逆転に人生を賭けるより、私はちょっとの勇気と地道な取り組み+笑顔で、着実に幸せを掴みたい。これって誰でもできること。すぐに効果がでるものじゃないけれど、地道に打率をあげていくことを頭に入れておけば、その先の未来は(何も考えないより)明るいはずだから。

なんとなく、自分の生き方が肯定された気分になって、車の中で涙してしまった。縁と運の打率をもっと上げられるよう頑張んなきゃな、と思った。

「縁と運の打率」の話は28分〜です。聴いてみてね。


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