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外から見た3.11

こんにちは、ことりです。
今日は3月11日。もうあの震災から11年が経つのか、と思う今。
あの震災を通して体験した事、感じた事を、少しでも記憶が新しいうちに書き留めていたいと思います。忘れてはいけない事なので。


震災のあった当時は、ヨーロッパに留学中でした。

語学学校にいつものように登校したした時でした。
クラスメイトのイタリア人の友達が「日本で大きな地震があったけど、君の家族は大丈夫なのか!?」と詰め寄ってきました。

その時は、日本に大きな地震がきた事を私は知らず、家族から何の連絡も来ていないし「大丈夫だよ、日本はよく地震が起こるし」と答えていました。

すると、今度は語学学校の先生達から「日本が凄く大変な事になっているけど、家族は大丈夫なの!?」と言われ、『これは様子がおかしい』と思い、「私はその地震のニュースを知らない」と答えました。
すると、日本人の生徒たちを集めて「パソコンを貸してあげるから、あなたたちはまずニュースを見なさい」と言われ、その時初めて日本の惨事を知る事になりました。

私は関西出身だったので、家族は全員無事。他の日本人の留学生も家族は全員無事との連絡を受けて一安心。でも、その時の留学生の中で阪神淡路大震災で被災した人がおり、地震で崩壊した街の映像を見てパニックになってしまいました。
「私はこんなん嫌や!もう地震は嫌や!」と泣きながら言っていた姿が忘れられません。

その日から、毎日増え続ける死亡者の人数や悪化する原発の状況のニュース。

現地のテレビや新聞は日本の報道のような規制が無いので、ある意味ありのままの被災地の映像が流れます。日本のテレビでは流れることのない、目を覆いたくなるような映像を毎日沢山見ました。

原発事故が起こってからは、現地の報道や人々の関心は「地震」や「津波」から「原発事故」に完全にシフトチェンジしたように感じます。

原発から漏れ出た放射線が今地球のどの辺りを漂っているのか、という予報を天気予報と一緒にしていました。
語学学校にいけば他国の友達から「今、日本の原発から漏れ出た放射線が僕の母国の上空に飛んできているんだよ」と言われたり。
街を歩けば中学生位の子ども達に「あれ、日本人じゃない?」とヒソヒソ言われたり。
寿司屋さんにいけば「日本で作られた物は使用していません」の貼り紙。

突然、世界の日本への見方が手の平を返したように変わりました。

「わたし」は何も変わっていないのに、急に外の世界からの見られ方が変わってしまい恐怖を感じた事を覚えています。

毎日目にする悲惨な状況。海外にいて何も出来ない事への歯痒さ。
当時流行っていたmixiで、別の街に住んでいる日本人の人達が募金活動をして日本赤十字に寄付をしている、との記事を見つけました。
その記事を見て、私も街頭募金活動をしよう!と思い、語学学校の仲間達に声をかけ街頭募金をすることになりました。

正直に言うと、『被災地の人達のため』と言う気持ちも勿論ありましたが、『何も出来ない自分』何かしないと自分がどうかなってしまいそうな状態だった、と言う所が本心でしょうか。
無我夢中で準備をしました。
準備の段階でも、本当に色んな方々の協力がありました。

街頭募金の当日。
当初の予定では日本人のメンバーだけで募金を呼びかけるつもりでしたが、クラスメイトのチュニジア人の女の子二人と、スペイン人の男の子とその友達のドイツ人の女の子達が手伝ってくれる事に。

「大勢でした方が募金も集まりやすいでしょ」と当たり前のように手伝ってくれました。

街の中央駅や広場で募金活動をしました。
多くの方が興味を示してくれて募金をしてくれました。

恐らく南米系の国籍男性。「僕はお金が無いから少ししか募金出来ないけど…。僕の国は貧しい国だから、大変さが良く分かるんだ」

台湾人の若者グループ「日本の事が好きだから頑張って欲しい」

特に印象に残っている言葉。

「本当に大変だったね、頑張ってね」と多くの方が温かい言葉と共に募金をしてくれました。

けれど、また別の現実も見えました。

一緒に募金活動をしてくれていたチュニジア人の友達が一人の男性に何かしつこく言われている。
「どうしたの?」と聞くと

「日本は金持ちの国だから手伝う必要な無い。チュニジアの方が貧しいし大変だろう。自分の国のことを心配しろ、と言われた」と…。

私は言葉が出ませんでした。

「日本が金持ちとかそう言うのじゃなくて、今困っているから助けたいだけなのに。あの人は分かっていない」

そう言ってくれました。
改めて他国の事にまで考えを巡らせて、一緒に行動してくれている事への感謝と、同時に「私は彼女達のような行動が出来るのだろうか?」と考えさせられた一幕でもありました。

また、見るからに高級そうな毛皮を着ている女性が近くを通ったので募金を呼びかけたら、凄く嫌な顔をされてシッシッとあっちに行けのジェスチャーをされました。

募金する、しないは個人の自由なので別に良いのですが、あそこまで明らかに怪訝な顔をされた事にショックを受けました。
彼女には「可哀想」を武器にお金をたかる日本人に見えたんでしょうね。

実際に海外在住の日本人の中にも街頭募金に対する批判的な意見ネットで書いている人もいました。
「プライドが無い」
そのように感じている日本人もいるんだな、と複雑な思いになりました。

困っているのだから、助けてと言ってもいいんじゃ無いのか?と…。


集まった募金は全額日本赤十字へ寄付しました。

一つの大きな出来事を中心に、様々な意見や思想が見えました。
何が正しいのか、それはその人の立場で違ってくると思います。

私は足下の情報だけではなく、もっと多角的な情報を知り、自分で考え自分で判断出来るようになる事がとても重要だと身をもって体感しました。


まだ、3.11は終わっていません。
今何が私に出来るのか。改めて考えていきたいと思いました。

そして、海外で経験した3.11。
色んな国の人たちが関心を持って助けてくれました。
私もそんな彼ら、彼女たちのようにさっと手を差し伸べられるような人でありたい。


当時の思いを忘れないように、自分への戒めとしてこの記事を何度も読み返したいと思います。

最後になりましたが、東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福お祈り申し上げます。
また、今も後遺症などで苦しむ方々の1日も早い回復を願います。


#3.11
#東日本大地震

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