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本当の記憶を辿る

みんなには、コレクションを先導する存在がいただろうか。兄姉でなくても、近所のアニキとか、玩具屋のおっちゃんとか。自分にとっては6歳上の従兄弟がそれにあたる。

自分がカードダスを回したのが小学1年生。誰かに見せたくてたまらず、近所の従兄弟の家に遊びに行った。

従兄弟は自分のカードを見ると、四角い銀色の缶を持ってきた。その中にはカードダス、シール、メンコがぎっしり詰まっていた。角メンコの時代から着々と買い集めてきた従兄弟のコレクションだった。

自分がガンドランダーと武者ガンダムを知ったのはこのときだ。キラという言葉も初めて知った。ガンダムが実は八頭身なことも。

何より衝撃を受けたのは量だった。学習机の引き出しにもキン消しとガン消しが持ちきれないほどに入っていた。

従兄弟はお土産にカードとガン消しをどさっとくれた。それらを並べてオリジナルの遊びを考えたりして、しばらくは遊びの中心がSDガンダムになった。風邪の日には母がSDガンダムのビデオを借りてきてくれた。それほど側から見れば夢中だったのだろう。

そんなこんなで従兄弟の家に行く頻度が格段に増えた。従兄弟も叔母さんもおしゃべりで、二人とも自分の成長過程を知っているから、赤ん坊の頃の話も沢山される。

自分が幼少期をやたらと覚えているのはこの二人の影響だ。実際の記憶でなく、彼らの話が本当の記憶のように定着してしまっているのだ。子供の頃の従兄弟も、若い頃の叔母さんも顔が思い出せない。けれど幼い自分の姿は俯瞰で思い出せる。他人視点なのだ。

自分が小さい頃の、下から見上げた両親の顔も記憶にない。その代わり正面から見た二人の笑顔が記憶にある。子供の視点では無い。写真を撮った人の視点だ。写真や思い出話は本当の記憶を上書きしてしまうんだろう。

では、本当の記憶は何が残っているのか。自分の目で、自分の手元を見た画像として思い出せるのはダイヤブロックだ。

記憶を辿る時、一番古い記憶が自分の手元である人は結構多いんじゃないか。だってその映像が写真に残っていることは稀だし、好きなものほど手に持って見つめているのだから。そして手元にあるものが縫いぐるみの人は、大人になっても縫いぐるみを買うんじゃないかと思う。

自分は多分、バラバラになったものを元に戻すのが好きだ。幼児期にはレターセットをバラバラにしては仕舞う遊びをしていたらしいし、それがダイヤブロックに代わり、カード集めに代わり、今に至るまで続いているに過ぎない。抜けているところにパキッと何かがハマることに喜びを感じる。コンプ品の購入に興味が持てないのはそこら辺が大きい。

玩具はきっとその人の本質を表している。

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