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原液ver.

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2023年3月20。東京農業大学分子微生物学科を卒業した。
これは思考を整理するための作業。
時系列をできるだけなぞる。
大学生活および研究室生活が自身に及ぼした影響について。
あくまで出力であって、まとめる気はない。
支離滅裂な部分が散見される可能性がある。

・大学入学
入学前の学科の新歓にも参加したのに、
馴染めなかった。
しかし、周りを拒絶したのも自分自身だったのかもしれない。
このひとりになりたがる癖は中学・高校での経験に起因するため、以降時々挟まる。

高校ではクイズ研究部に入っていて(部長にもなった)かなり精力的に活動していた。大学でもできればクイズ(いわゆる競技クイズ・早押しとかの)が続けたかった。なのでサークルを立ち上げようとした。Twitterで声掛けとかしてみて一人参加してくれた。彼とはなんだかんだ一年はクイズを続けられた。外部の大会?とか他大の人達とクイズしたりを空き時間をひたすら合わせて、おこなっていたほとんど二人(他学部のやつと)で。このときたまに高校での部活の同期も参加してくれることもあった。感謝します。

大学一年の時、クイズに時間を割けたのは学科では全く馴染めなかったから。人と話すのは、必然的に人とやり取りをする実験実習・グループワーク・試験の用紙が配られる前後のちょっとした時間とクイズするときだけ。あとはひたすら図書館に籠って面白い自然科学系の本を読んだり、自習していた。大学は研究機関だから・自分は研究者を目指しているから自分がやっている行為・好奇心のままに知識を蓄積し勉学に励む姿は正しいのだと思い込むこととで、何とかなっていた。

キラキラ大学生に憧れてはいなかった。ただアニメ・漫画とかの話がしたかったがそれすらもできなった。講義を受ける座先は何となくみんな決まっていて、前の方からオタクトークが聞こえていた。内容も自分にドンピシャで入りたかった。今思うと何故声をかけられなかったのか分からないけど、確かにその時の自分には無理だった。
5月くらいに後4年も耐えられるか不安でいっぱいになり吐いた。泣きながら寝た。自分はどうしようもない社会不適合者でこれからもそうなんだと思い。人と関わるのを諦めた。
(この段階では少なくとも学科内で、クイズでは外部とのつながりはあった。)
(バイトはアンケートサイトで雀の涙ほどの金を稼いで、しばらくしてやめた。高校の先輩にバイトした方がいいと言われ、実験教室スタッフの仕事に応募したが、面接で受け答えについて少々お説教を頂き(当然)落ちた。)(農大の福島で桃の選果バイトのほぼ合宿みたいなのにも夏に参加していたが、そこで一緒にいた同じ学科の奴と生活していたはずなのに話はあんましなかった。)


高3の時私立で1,2年の時までは国立受験コース(みんな頭がいい中、ギリギリしがみついていた。生物・化学だけはできた。)でクラスで仲いいやつとつるんでいたが、成績が耐えきれず、私立受験コースに落ちた。2年一緒だった人達と別れ、受験期なのに新しい環境で過ごさなくてはならないストレスが加わった(3年でコース変更を食らったときにそれまでの担任の先生に、周りに仲良かった人たちがいないからあなたがやっていけるか不安と言われた。これはめちゃくちゃ的確だった。)。ほとんど知らない人たちだし、雰囲気も合わなかった(いままでいなかった休み時間に教室・廊下を走り回るやつとか、女子のスカートが明らかに短い集団とか、別にコースが違うから勉強ができなくなるわけじゃないのに、人の種類というか、なんか違った。)。私立受験コースでも自分は国立志望で変わらなかったから、前の担任の先生の手筈で、私立理系を受ける人は理系科目1つだけのところ、2つ目の科目を受ける授業を選択させてもらった。私立理系のコースは2クラスあり、物理選択だけが集まったA組、それと化学選択・生物選択・数国英の3つだけの人たちのB組。自分はA組のなかでも国立志望の人が選択する化学の授業に交じって、授業を受けた。それをしたのはB組では自分だけだった(みんなが別の授業を受ける準備をする中ひとりで教室を抜けだす。)。また生物選択をした男子は自分だけだった。(そもそも2年に上がる前に自分のクラスで生物選択をしたのは自分だけだった。大学1年の時にたまに来てくれたクイズの同期が1年の隣のクラスで生物選択するっていうのを知ってたから踏み切れた、まったく後悔はしていない感謝します。その時は理系は物化選択が普通で、生物選ぶのは余程できる奴じゃないとダメって言われてたから。)
疎外感は高まるばかりだった。そしてそのまま卒業。


大学での勉強は今までの勉強よりもはるかに楽しかった。これまでに自分は理科特化人間だったから、成績は理科だけが突出していた(その代わり英数が壊滅的)。したがって総合力をみる受験形態では真価は発揮できなったのではと今では思うが、当時の努力不足はもちろんある。
大学の講義は当然理系科目ばかりだったからすべてが得意科目になった感覚だった。
苦手だった数学・物理もやり直してみれば、なんてことはなかった。
しっかり勉強すれば、そのぶんだけしっかり結果がでるという当たり前のことを再認識した。自分の勉強に一切他人が介在しないという状況が逆に良かったみたいだった。

ひとりで博物館を周ったり、サイエンスカフェやサイエンスイベントに参加してみたりするが好きだった。自分で計画して行ってみる。
それだけでも少なくとも充実した気持ちだった。


前期の成績が自分で思っているよりも良くなかった。
よく勉強しているつもりだった。
この教室の中に「集団幻覚が描き出すキャンパスライフ(笑)を送っている自分よりも成績が良い奴」がいると思うとモヤモヤした。
自分の成績でこの教室にいる奴ら全員ぶっ殺すことに決めた。(飛躍)
やるなら徹底的に、とれる単位(自分が面白いと思うやつ。楽単概念はくそくらえ。過去問もらってるやつもくそ。全部自分で何とかしろと思ってた。)はすべて取り、面白さを理解したうえでいい点を取る。
殺意に満ちた動機だが、充実した学びがあった。
結果、後期の成績は学科で一番。特待生にも選ばれた。
この精神が矮小なオタクが、学校側に認められた瞬間であった。
ただ、ぼっちであることに変わりなかったから虚しさもあった。
(この社会不適合者が良い成績だって第三者に認めてもらってるぞという気持ちと、でも今が青春(キラキラ)みたいなやつらはそんなこと一切気にしないんだろうなと)

・コロナ禍突入
「禍」にしているのはあくまで人間なのでこの言い方はあまり好きじゃない。
良いことも悪いこともあったこれはどんな時もそうなのだけれど。
ぼっち生活を続けていた自分には特に影響はなかった。物理的に周りに人がいないことで人間関係がないことを悩む必要がなくなったし、むしろキラキラ大学生たちを見ないことは精神的に良かった。
授業形態がオンラインになったことで、授業をいつでも見ることができたり、他学科聴講しやすかったりプラスな反面、試験形態(カンニング対策とか課題がくそ簡単になったり)や実習系もオンラインなため、
みんないい点とれるようになった。
これまでの努力とは?成績の為に勉強していたわけじゃあないが、
モチベがとても下がった。弊学は実学主義を掲げているのに、
そこは何としても貫いて欲しかった。

春にする予定だった新興クイズサークル合同での大会企画が頓挫した。
自分は主催側で問題提供も一番したのに悲しかった。ここでメンバーを大会に出せればまたサークル活動実績を積めたのになぁ。
そしてクイズサークルの方もオンラインに移行し、やり方を模索した。オンラインでのクイズは界隈では確立されていたため準備は簡単で、人も比較的集めやすかったが(同時に多くの人は集められなかった)時間が合わなくなり長くは続かなかった。そして自分が大学2年の後期には自然消滅することになった。

クイズの出会いは自分にとって大きなものだった。それまでそして今でも科学一本の興味(といっても分野が広いが)でやってきたが、それまで関心のなかった分野の知識が膨大にあり、それを集め・競いするクイズは全く新しく魅力的だった。
そんな大好きになった趣味で苦しむことになった。
家でクイズ番組も見れなくなった。

ただこれは自分が、学外にコミュニティを持てばよかった話で、オンラインクイズをそこですれば良かったのだ。当時の自分が単に弱かっただけ。

良い面もあった。
普段じゃ参加しにくい学会や大学主催のシンポジウムに参加しまくった。
オンラインならzoom繋ぐだけで、それが達成できた。
他にも、JAMSTECの高井研先生とラジオで一緒になったり(応募して)、
オンラインだったけど3日間の慶応アストロバイオロジーキャンプに参加したりして。色んなバックボーンを持つ人たちが集まって、新しいことを知ったり、疑問に思ったり、時には同世代同士で話ができたり。めちゃくちゃいい刺激になった。科学ってやっぱ楽しい!面白い!


得意なことはよくできて、苦手なことはとことんダメ。文字にすると当たり前のことだが、この性質がここまでで、極端に表れていた。

自分の得意なことはみんなができないことで、自分の苦手なことはみんなができること。だから自信がなくなるんじゃないかな。
好きなことってあまり人と共有できない気がする。

2年後期はオンライン授業のままだったが、学校(の規制が解除され)のPCを使って授業を受けていた。学校に行くための習慣を崩したくなかった。
ある時、人がなぜかたくさん(人が少ないのに慣れていた時)講義棟にいた。突然ぼっちであることがフラッシュバックしたのか、
体は自然にトイレに向かい、昼食をとった。
一人になれる空間は精神を落ち着ける。現代社会の公共インフラでそれが容易に行えるのは必然的にトイレだった。
微生物学を学んでいるのに衛生観念など無視して、精神はその時確実に外を拒絶した。

母の作った弁当を食べていた。
(まだ高3の弟の弁当のついでに作ってもらっていた。)
私の母は大学入学の際に手紙をくれた。
その時の内容を思い出した。
・大変だと思うけど自分の進みたい道を歩んでほしい。
・これまでの子育てについて、未熟な点が多かったこと。
(そんなことはない)
・自身を持って頑張って。

自分がたくさん愛されたことがダイレクトに伝わって、
これを読むといつも泣いてしまって、
だからこの時は、こんな息子でごめんなさいと心底思った。

3年生になった。
学校の様子などは普段から家で語らなかった。
1年生のときから母には研究室に入ったら友達出来るってと言われていた。
それでも不安だったというか、これまでの自分の学校生活に他人が挟まる隙間なんてなかったし、想像できなかった。(自分が研究する未来は見えたのに)
自分がひとりで行動してたのは、クラス制度のような「箱」がなかったから、自分の興味のままに図書館へ引き込まれた。
そして今までの小中高はクラスがあったから・・・そう考えていた。
(中学の時からいままで時々連絡しあえる友人が2人います。感謝しています。)
研究室という箱があっても既にコミュニティが自分の知らないところで出来上がっていて、ただ自分が浮くのではないかと。

入学前から決めていた資源研に入った。(微生物に興味持ったのが、元々宇宙とかからで、そこらから極限環境とか生命の誕生・進化など広範な科学分野に興味を示すようになって、最終的に微生物という流れだから。本当に周りはと違う順序だと思うし、くそ頭いい高校大学生・院生・強い先生方があつまったアストロバイオキャンプでもそういう人はいなかったから)

新しく入る3年生が集められた。研究室はどういうもので~とかそういうの。社会に出る前のコミュニケーションの場みたいな話が強く印象に残っているのはそれが自分に足りていないことはあまりにも明確だったから。
研究室の係決め。室長というものがあった。先生にメールして仕事内容を確認した。いままでなんだかんだ部長とかを経験していた(中学は科学部。先輩からの指名だから自分で立候補とかではない。好きなことは好きだから、そういうのは変わらなくてそこを見られてたかもしれない。ただ人をまとめるとかは苦手。)ともあったし、室長というポジションが受け身ながらも色んな人との関わりを強制的に起こす触媒になるんじゃないかと。
そのときは「どうにかしなくちゃ」で頭がいっぱいだった。
自分がこれから研究者になるならいつまでもコミュ力がないなんて言ってられないし、これが自分ができる本当に最後のチャンスかもしれなかったから。(1名枠しかないものを選んで、一人になろうとするのももまた自分なんだなと)

室長という行動理由を手に入れたことで(自分の中で室長はその係の仕事以外にも、代表として他の係をできることなら手伝うし、仕事とか関係なくみんなの話を聞く存在とルール付けを行った。)、不自然ながらも人と話し始めることができた。
ルール付けの効果は大きくそれまでろくにできなった挨拶も、「安全確認の為に重要な行為」だと認識したら、受け入れることができた。
先生に質問するとか、先輩に話を聞くとかもルールに則ることで、たくさんできるようになった。今までの自分がそれを邪魔しようとしても、あくまで命令を実行するロボットのように振る舞う(イメージで)ことで、
「人として」できることがだんだん増えた。

研究室には自分と同じ特待があと二人いた。彼女らはみるからにキラキラ大学生だった(すくなくとも自分からは相対的に)。自分が図書館に引きこもっているだけの間に、友達と話して遊んで、オシャレしてバイトしてなんだったら一人暮らしとかで、それでいて大学生として勉強して特待。自分が如何にクソザコなのか思い知らされたというか、勝手に思い込んだ。まぁ事実なんだが。人間としての格の違いとかなんとか(こういうのを気にするのが良くないと思うけど、気にせずにはいられない。)…

自分とは対照的な人間nに話しかけることを目標とした。
ありがたいことに挨拶はしてもらってたから、まずはそれを返すように。
不自然でも話しかけるように、それを繰り返した。
そうすると人と話すことへのハードルは徐々に下がっていった。

人に何か教える機会が増えた。僕が単に知っているというのもあったし、聞かれることが多かった。質問してる姿とか意外と見られているらしい。
大学入る前は質問とか絶対にできない人間だった(小学校行ってた塾の先生がどうしてー?っていう生徒にそういうのは大学に行ってからと行ってた呪いが解けたと自分で思った。なんかここだけ切り取ると悪い先生みたいだな。問題解説の放棄ではなくで、もっとべつのことだったと思う。)が、学科で他人とのかかわりが消滅したことで、質問するための恥ずかしさとか失敗への恐怖?のようなものが完全に外れてしまった。「こいつら全員俺のこと知らねぇから別に何言われても自分には届かないしな」と思っていた。
人に頼られることが増えた。でもそれは図書館に籠ってたあの期間があってこそなので、悪くなかったと思えるようになった。あれがあったから今の自分があると。少しだけ肯定できるように。

はじめは研究の話しか(ときどきアニメとか)できなく、普通の?話ができなかった少なくとも同期とは。それは一般的な大学生として共感・共有し得る話題を全然持ってなかったから。
普通とは?幻想ではなくて?

先輩方には本当に良くしてもらいました。特に僕の話を引き出させていただきました。自分の話が通じる(昔から難しいって言われちゃうことが多いし、直接言いたいことが伝わらないことが多いから、本当にぼくの話を「翻訳」してくれる友人たちにはいつも感謝しています。)と楽しいし、話そうと思えるようになった。
特に直上の先輩は自分とは全然違うんだけど、でも似てるというか、共感しあえる部分が多くて、持ち前のユーモア&人間性(ダメだと思う時はもちろん人間だからあるんだけど)によって救われた部分はとても大きい。
それに関しては同期にも言えて、少しでも趣味・嗜好・思考が共感できる人がいると安心した。
研究室には実はそういう人が多くいることに気づき始め、
話してその人を知るっている当たり前のことを学んだ。
でも、それでもまだまだで、自分のことって聞かれたらそりゃ話すけど、
自分が聞く側だったら、そんなに人の奥の部分にどんどん踏み込んでいいのかなと思う(マインスイーパーやってる感じ)。
経験値が足りないからこんなことを考えてしまうのかもしれない。

それまでコンビニで買ってきたご飯をたまに食べる場として使っていた大学の食堂で、同期数名に誘われたから、初めてそこで食券を買った。
先輩・同期の誕生日を祝う、飲みに誘われる、同期ん家で泊まる、焼き肉食べる。自分に向かってきた非日常がそれはもう楽しかったさ。
研究室とか関係なくそれが、普通にみんながやってきたことなんだろうな。僕にはできなかったことだけど、参加していたコミュニティの性質?
僕だけが違ったな。仲間に入っているけど孤立してる感。でも昔からの友人はそうなるのが自分の性質だったし、そう理解してもらえていると思っているんだけど。今はどうかな。
普通の大学生が、何話して・どんな行動をするのか観察し始めた。
まさに人間的な行動を真似するように。
難しいと今でも感じている。自分に合わないこともあるから。
会話にはテンポが重要だと気づいたけど、それを重視するあまり、思ってもないことに相槌うったり、ノリ・話の内容を合わせたりするのはどうかと思う時もある。これは自分中心で生きてきてしまったからの意見だと思うけど。

自分がこの研究室というコミュニティに溶け込み始めることで、
本当の意味で大学生レベル1に到達したと思えた。(0から)
研究するのは元から向いていたのか、好きだった。
それ以上に研究室に行ったら誰かいて、おはようといって、実験して駄弁って、実験してを繰り返して、おつかれって言って帰る。
ずっと夢見てる感じでフワフワしていた。
今日は正解!(という概念)と思える日は沢山あった。
ふざけて笑いあえるなんて普通なことなのに!

うまく表現できないけども、自分の中で何かが変わりそうとずっと思ってた、衣食住に向けて興味が次第に増大する傾向を見せたのは大きかった。これまで無関心だったから。家でも話す機会は増えた少しだけ。
博物館実習で多大・他学科の人と作業中に短い期間だったけど、しっかり話せて、研究室の人以外と話すこともできるようになっていったのを実感できた。
ずっともう少し、もう少しが続いて、まだ変わり切れてないと思っているけど。たった1年前との自分じゃできないことをできるようになっている。

Twitterで研究者の人とかが、「私はほんとに運が良くて~」みたいなのをよく見かけるけど、自分もそうだと思う。
勉強なんて自分だけでどうととでもなってしまう。自分さえ頑張れば何とかなってしまうものだと研究室入る前から思っていて。
人間関係とかコミュニケーションとか、そこから得る社会性・人間力とかは、一人じゃ絶対に伸ばせない部分で、
だからそれらを拒んだ僕が、社会性とかが無いのは当然で、嘆いてもしょうがなくて
でも、そんな状態から今の自分にまでなれた。
(比較するのはよくないけど、僕がもし頑張れなかったらみたいな人もたくさん見てきた。自分と一緒だと思うと同時に一般に理解されないだろう行動が理解できてしまって苦しくなる時がある。)
それは支えてくれる両親、僕を受け入れてくれる研究室、先輩・同期の面々、僕の話を聞いてくれる先生方。

沢山の人達が僕を支えてくれたから、
人と関わることは今でも難しいけど、それでも「良い」と思うことができた。

全部そろわなくちゃいけなかった。何かが欠けてもいけなかった。
本当に運が良くて、恵まれていて、幸せだったんだと
強く、そう思う。

だから卒業にあたって、
寂しいと思った。
辛いなと思ってしまった。
自分は院進して研究室に残るのに、
僕を変えてくれたみんなは行ってしまって
自分だけ置いてかれる感覚。

「君は研究を楽しんで」とそうみんなに言われた。
「君なら大丈夫」「期待している」

自分が好きなこと・目標を応援してくれるこの研究室とみんなが好きです。
卒業前には悲しくて帰りに泣いた日も多かった。
でもそんなに感情を揺さぶられ、別れを名残惜しいとそう強く思えたことが

僕自身が成長した、卒業証書以上の証なんだと。

これからが、僕の目標の本当のスタートラインです。
ここに立つまでに、皆さんと出逢えたこと感謝します。


レポート終了。
これは広大な謝辞だと最後に表明しておく。
引き続き自身を観察対象としてログを更新する。

@RoBoxMaGnetron



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