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世帯主至上主義

明けましておめでとうございます。
この言葉もそろそろ飽きてくる時期に突入だろうか?
年末年始の札幌はあいにくの天気で意図していない自粛とならざるを得ない状況だった。
今日辺りから天候も回復しそうである。

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年末年始のSNSを見ると様々なお節の投稿が流れてきて何もしない私は眺めるのが楽しみだったりする。
それと同時に母の事が思い出される。
昭和40年代と言えばまだ私が小学生だった。
年末年始になると母は毎日のようにお節作りに追われていて、台所は繁忙期の居酒屋並の陳列状態だった。
お節は家族の分と父方の親戚の集まりに持参する分だった。
実はこの父方の親戚の集まりが今考えうるとありえない状態だった。
幼少ではあったが毎日お節作りに追われる母に「なんでこんなに作るの・」と聞いた記憶がある。
その時「20人分いるんだよ」と吐き出すかのように答えたのである。

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私はそんな幼少期から集まりが大嫌いでほとんど行った事がなかった。
当時、父方の集まりのお節は全て母が作っていたらしく、理由は「長男の嫁」だからであった。
昭和の時代、長男の嫁となると希望なんてしていない無謀な義務を押し付けられていたのである。
母が20人分のお節を作ることに関して父は何の違和感もなく無論手伝うなんて事は一切なかった。
この集まりは父の母親が他界するまで続いていたのである。

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今私の母は痴呆で入院していて記憶も斑で最後に面会に行った頃は私を認識したりできなかったりと波があった。
昨年の4月以降はコロナの影響で面会が一切できず時々メールで画像や様子が知らされているのである。
痴呆になると新しい記憶が全くダメになるが、昔の記憶は消去されずにちゃんと残っている。
きっと母も年末年始と言う認識があるとお節作りを思い出すに違いない。

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今は男女平等が当たり前になり職種に性差を意識させるような事は出来なくなってきている。
そうとは言えやはり性差で向き不向きの職種があるのは間違いないだろう。
最近は看護師にも性差がなくなったが、個人的には婦人科の診察で局部の消毒に男性の看護師だったら嫌である。
私は病院選びにうるさいので婦人科に関しては、付き添いであっても男性禁止というてっている病院にしか行かない。

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日本の婚姻制度の大きな問題は「世帯主至上主義」の傾向が強い事だろう。
女性は入籍すると自分名義であっても手続きなどは何故か世帯主しかできないという仕組みも多い。
そもそも年金は未だに世帯主にまとめて振り込まれている。
夫婦円満なら問題ないだろうが、諸々の事情で別居していたりすると受けとりさえ困難になる。
今回のコロナの国民給付金だって国民一人一人と言っておきながらやはり世帯主にまとめて振り込まれる仕組みだった。
私に今でも世帯主がいたら間違いなくもらえなかっただろう。

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世帯主至上主義がオゾン層のように日本という国を覆いつくしている限り、男女別姓なんて実現はしないだろう。
野鳥の世界を見ていると、人間社会が如何に窮屈で傲慢で差別的なんだと痛感させられる。
そんな人間社会から離脱することもできないが、幸いなことに私の周りには素晴らしい人がたくさんいる。
失望落胆ばかりするのは精神的に良くないし唯我独尊だと嫌われる。
独立自尊も悪くはないが人と一切関わらない暮らしは非現実的だろう。
さて、神社へ今年の抱負を誓ってこようかな。(笑)

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