その後を愛してやまない
へろうわーるど
漫画で後日譚ってあるじゃないすか
おれあれめっちゃ好きで。あんな死に物狂いで闘ってたのに医者になってたり、先生になってたりするのが面白い。
友人もそうで。
おれの預かり知らぬ(使い方あってる?)ところでそこに人生があって変わった奴も変わらない奴も、それなりに生きてそれなりにここにいる。
あのとき一緒に野球してた奴らが、医者になったり、先生になったり。
その過程と生き様には等しく敬意を持つ
どんなことがあっても、共有したあの時間と、こいつの今は繋がっていて、世界は繋がってる、なんて大袈裟でなく思える
悩むじゃないすか、毎日毎日、くそみたいにいみのないことを。
世界を共有できない人もいるし、共有できないことを割り切れない自分もいる
それでもいいじゃん、繋がってるんだから。どこかで知らぬところで繋がってる。
1人じゃないし、孤独でもない。
今日買ったおにぎりをレジに通してくれたあの店員さんも、電車の向かいに座ってたハゲのおじさんも、いつも読んでる漫画の作者も。
1人ずつの生の人生を感じられる時、僕は1人じゃないと思う
そうやって生きてんだって、前を向いてんだって、おれも足元見ながら歩いていきたいし、前を見据えたい。
自分のことは1番自分が分かってるし、他人のことは1番自分に都合が良いように解釈している。
だから、一生懸命生きてるやつらを、羨ましがった。
みんなそれぞれ悩んでんだろう、おれみたいに毎日ぐるぐるぐるぐる、もやもやもやもや、それを抱えながらも、今日も自分の役を全うしている。
世界の主役じゃなくても、自分の人生の主役ならら演じられる
なんの話だっけか、書いても書かなくても勉強しててもしてなくても、走ってても走ってなくても、愛していても愛していなくても、明日も日は昇る、そんな当たり前こそが自分の車輪を回すために必要なことかもしれない。
なんの話だっけか。
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