結構、長いこと、
正体不明のモヤモヤというか、
生きづらさ、焦り、みたいなものを
うっすらと感じていた。


今となっては、原因も判明したし、
解決方法もごく単純で
『自分を好きでいればそれだけでいい』
と思えるようになったけど、
そう気づけるまで、色々と遠回りした。


自分のことを嫌っていることは気づいていた。
幸せになってはいけないと思っていることも知っていた。
けど、それが、
悩み・苦しみのすべての根源であること、
しかも、ただのマヤカシで、
自分の意思一つで、消し去ることができるとわからなかった。


どれだけ人のために努力しても、
真っ当なことをしていても、
思いやりからの行動をしていたとしても、
自分を嫌っていたら、
その思いが、そのまま真っ直ぐ
幸福を閉ざしてしまう方向で実現していくなんて、
思いもしなかった。



人生の早い段階で気づいていたら、
違う道を歩んでいたかもしれない。


同じ道だったとしても、
もっともっと自分の努力に見合ったものを
手に入れていたかもしれない。


終わったことは、変えようがなく、
自分のいまの在り方に「是」と言えるので、
それはそれでいいのだけれど、


では、

『もし、過去の自分が目の前にいたら?』


と思うと、


『今の自分の存在意義は、価値は、なんだろう?』


と考える。




悩むこと、
もがくこと、
それは、時に必要だけれども、
度を超えて、”過ぎたる”量まで抱えることはない。




いまとなっては、
自分が『どん底に向かって努力をしていた』ような、
そんな感覚があるので、
(やった分、力は付くのだけれど)
ほんの少しの角度変更で、よりよく、早く、
生きてることに意味を見いだせるのであれば、
私は、それを手伝えるようでありたい。


努力をするのは、本人。


なのだけれど、
その努力が良い形で報われるよう、
方向転換をかけることはできるのだと思うし、
ただただその人を信頼し見守ることもできる。
どん詰まりの時に、この世の仕組みを解説することも出来る。




それをすることによって、
自分のこの先も、より変化するのだろう
という感覚がある。




努力をしない人、
人を当てにして、踏み台にしてしまう人の手伝いはしない。
本当に大事なことに気づくまで、
もがけばいいと思う。


その反面、
優しさから、
犠牲になってしまいがちの人に、
『最優先すべきは、自分のこと』
というのを伝えられる存在でありたい。


これからの自分の在り方、
存在意義を、そこに見出す。




自分の在り方が変われば、
周囲の人との関わりも変わる。
周囲の人も変わっていく。
変われない人とは、あわなくなる。




よりよい、望ましい環境を整えるために、
自分の能力・経験を使おうと思う。




きれいごとは、言わない。


私は私のために、
私の幸せのために、
私が納得のいく、満足のいく生き方をするために、
自分を使う。


望む道を選択する。

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