相手に潔癖を求めるのは、
自分が判断をしたくない現われじゃないだろうか?


どんな出来事も、
相手と向き合って、ちゃんと自分の意見を持って、
望ましい距離感で付き合う。


これが出来たら、
人をありのままで受け入れることが出来るのだと思う。


ありのまま受け入れるって、
『何やってもいいよ。何しても関係性は変えないよ』ってことじゃなくて、
『その人が選択した言動』として認めることであって、
『その言動に対して、自分がどう思うか?反応するか?』
は、別物だ。


例えば、もし、
社会的に、法的に罰せられることをしたら、
その人は、罰せられるだろう。
庇い建ては、不要だ。


罰せられたその人と、どういう関係性で付き合いを続けるか?
は、自分の選択になる。


その逆も然りで、
世間に評価されることをした人は、
評価されるだろう。


で、評価されたからといって、その人との関係がどうなるか?
は、その人と自分の間のことがらなだけであって、
評価されたことが、何か変化を与えるわけではない。


評価されたことによって、

その人が変わることもありうる。
もちろん、自分が変わることだってありうる。



願わくば、よい変化でありますように。

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