さて、
『計画性』とは無縁の派遣員です。ω、


【今】を生きる人には、
将来を語らせたり計画性を求めると、
『時間軸がズレすぎて、不安とか混乱を招くのかもしれないなぁ?』
と思う今日この頃。


生き方が違うから、人のやり方が合わないんだよね。
世代や時代が変われば、在り方って変わっていくし、
元々の価値観とか得意・不得意で、合うスタイルってのが違う。


合わないものを無理やりさせることほど、無駄なことはない。


戦後、高度経済成長を経験した人と
バブル後、失われた10年を経験した人と、
そりゃ、色んなものが違いますよねー、って話。


戦前を知ってる人、
江戸時代の人って極端にしたら、より実感でる?


どっちがいい、とかじゃなく、
時代に適応できればそれでいい。
今の世の中で、『計画性』とか、ホント、
不要とまではいかないけど、立て方によっては、無意味。


『前提』があっての『計画』だと、
前提がひっくり返れば、おしまい。


計画よりも、『自分の中での目標・目的』の方が、
必要なんじゃないかなー?と思う。


さて、最近の派遣員の『目標・目的』は、
絶賛、『今を生きる』ですな。


その場その場、その時その時、必要なことは、
勝手に、指令が降りてくるんだと思う。
全体像はなんかわからんけど、
『これやりたい!』ってものに夢中になってれば、
時間が経てば、線になって、結果が見えてくるんだと。


そんな感覚がある。


例えば、『こんな花が欲しい!』と思ったら、
なんかしらんけど、『あ、なんかわからんけど種貰った。植えてみよう』
ってなって、
季節が変わったら『最近雨降ってないな。水でも撒いておくか』
とか思ったらそのまま行動し
『あ、最近やたらと花をみるな。そういやあの花は?』
って確認しにいったら欲しかった咲いてる。


そんな感じ?


ま、自分のとこにどんぴしゃの種が来てなかったとしても、
偶然、欲しい花を育てた人と出会い、
物々交換できるようになるのかもしれないし。


『事実は小説より奇なり』


壮大なストーリーを、人類全体で展開していってる。
そしてそれは、それぞれの意識の中にあるものが、
勝手に具現化していくもの。


だとしたら?
なるべく、自分の意識をクリアにして、
恐れや不安からのお話じゃなく、
信頼・興味・安心から語られるものでありたい。


なんだか、そんなことを思う今日この頃。


だからこそ、自分の中にあるものと向き合う。
漠然と身に巣くう焦燥感に似た感情を手放す。


そういうことをやってみている。
いまは、そういう時期なんだろな。


これを今の時期にやることに意味がある。
やっておくことが、後々の展開に変化をもたらす。


というわけで、
精麻撚り撚りしてきまーす。笑

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