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マウント取りたいからニュースを見てるのだろうか?

人々はなぜこんなにニュースに関心あるんだろうなぁと疑問に思った。

例えば芸能人が何か「やましい」ことをしてしまった。

政治家が不適切な発言したり、有名な会社の社員が暴力事件をおこしたなど一日一回は必ずメディアを見れば、目にしてしまう光景。

身近であれば、不倫によって人間関係がギクシャクして私生活に影響が出てくるので勘弁してほしい・・・ってこともあるかもしれないが

実際には、ほとんどが自分の生活がにはなんら影響のないことばかりで、どこで誰が不幸になろうが実際には関係はない。

興味のないコンテンツを避けるように、必ずしも見なければいけないわけでもないし、知ってるからどうなんだ?何か変わるのか?と不思議に思う。


先に答えを出すとしたら、変わるのだろう

世の中にはこんな悲しいことがある、または自分よりダメな人間がいるという安心感。そういうのを見たさに見ているような気がする。

一種の慰めにも感じられ、日頃のストレスの緩和につながるなくてはならなくなったニュース。

仕事で失敗し、上司に叱られ、後輩からもどこか頼りにされず自分はダメな人間なんだなと落ち込めば落ち込むほど、ニュースに出てくる犯罪者を見て「こんな人よりはマシだよな」と取り込んでしまう。

あくまでも個人の勝手な思い込みな話で、精神科医など熟学された方々の意見とは全く違うもので参考にはならない。


妙に時事ネタに詳しく、政治を切ろうとする輩は精神的に脆いような印象だ。


事件をうわべっつらだけ得意げに話、こういう事件起こすやつってという解決に向かおうとしないただのレッテルを貼り付け、先ほど見たニュース内容の記憶を確かめ合うだけの無駄な会話。

安倍元総理銃撃事件の山上容疑者の過去を掘り下げ、詳しく知った気でいるだろうが実際にはそれで「感想」を述べるだけ、結局これ以上は関わらない。

逆にそこからヒーロー的な行動に移ろうと、山上容疑者に対して救いの手を差し伸べる人も当然出てくる。
どのような極悪人であれど、救済したい願うこと自体は否定しないが事が起きてからの行動なので偽善にしか見えないのもしょうがないだろう。

ニュースをやたら見てるし、得意げに話す割には「頭がよく見えない人」
日頃のストレス、ガス抜き程度に「自分より下位の人間を探して、安心感を得ているだけじゃないのか?」という身勝手な分析の話でした。


余談

例えば幼稚園児が歩いている歩道を車が突っ込み死傷させる事件があったり、
ネグレクトの果てに衰弱死してしまうなど、小さな子供が犠牲になる痛ましいニュースは割と間を開けずに出てしまう。

そういう時に、このニュースを聞いて「涙が止まりません」など感想がもたれるがそんなものより、安全な歩道を作るための支援したり毒親から子供を守るための支援したりとお金をどんどん動かしていけばいいと思うが、行動してるんだろうか?

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