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特別な1日、特別な人生を求めていたように思います。

一世を風靡した、あのワニに
私もまたハマっていた1人であります。

なんの変哲もない毎日に
私はあまり魅力を感じておりませんでした。
波乱万丈、波風上等、浮き沈みがなかったら生きてる実感がわかないとすら思っていましたが、実際そういった渦の中に居続けることはなかなかに疲弊していくものでもあります。

一度波が通りすぎたあとは
次はどんな波が来るのだろうと
凪の時間を過ごしている今に見向きもせず
まだ来ぬ波と過去の渦にばかり思いを馳せてしまっていました。


そんな折に出会ったのは
特に大きなドラマも起こらない
愛くるしい上半身裸のワニでした。


ワニとの出会いは、
どんな状態であっても自分や友は
『今、ここ』
に生きているということ
を教えてもらったように思います。

私が生きる1分1秒は
特別な時間を待ち受けるための準備期間ではなく
一見ドラマのない凪のような時間のなかで煌めく尊い時間を味わい続けるためのもの
それを見つけることができるのは
今ここに生きている私以外他ならないはずなのに
来るかも分からない輝かしいドラマを夢見て、日常をなかったことのようにしてしまっていたのかもしれません

人生の大半は何気ない日常の連続
それを大切にしないのはもったいないね

うちのおばあちゃんは
『普通が一番』
と口癖のように言う人でした。
それは、過酷な戦争を体験した世代ですから、なによりも何気ない日常の尊さを知っていたからでしょう。
無い物ねだりですから、人は。
どんな状態であってもいまあるこの時間を目一杯楽しんで愛していきたいなと思いました。

寝過ぎてしまった朝の気だるさも
少し早く起きてのんびりとコーヒーをいれる時間も
雨の日のこもった匂いと音と濡れた足も
家族と特に話すこともなくテレビをみる時間も
大切な人とご飯を食べる時間も

全部。
等しく永遠ではなく
大切な私の一部なんだな
と思ったら
私の人生が私の描く特別なドラマチックなものでなかったとしても幸せだし
やっぱり私にとってはすべてが特別なのだと改めて感じました。

死んでしまってもなお、
ずっと私の中に生き続ける人が何人もいます

ワニも
その中のひとりとなりました。
ありがとう、ありがとうワニ。

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