谷川俊太郎とであう

感情が揺さぶられるときって、よくよく注意すると、体もその対象を受け取っている。

今日たまたま、川島小鳥さんという人の写真展を覗いてきた。

通りすがり、看板の「谷川俊太郎」の文字が気になったから、立ち寄った。
写真に、詩が添えられているのかな。

場内の照明はかなり暗い。
黒い壁に、谷川さんの詩と、日常の何気ない景色を納めた写真が、パネルになって不規則に並んでいる。

詩から連想する写真を撮ったのだろうか。
どこかしんとして、心の奥に沈んでいるものがわずかに見えるような。
写真も、詩も。

写真の淡い色合いと、詩を写した白いパネルが、薄暗闇に浮かび上がって、自分の体も非日常の穴に落ちたみたい。

いくつかのことばが、刺さる。
わたしにとっては、詩が先に立ち、映像が添えられているように感じられた。

あ、出会ったな。
今、出会うべくして、ここに来たな。

と、思った。

たまたま、通りかかったのにね。
ここに立ち寄る予定はまったくなかったのに。
偶然って、引力みたい。

心が動く。
目に見えないけど、心は動くんだ。

目がすこし潤いを増したり、
喉がムズムズとしたり、
鼻の奥がヒリヒリしたり。

しばらく、非日常の穴に佇んでいた。
居所のないかなしみのような、不安のような、不満のようなものを抱えていた、今日のわたし。

そういうもやもやを、ここで受け取って一緒に味わってもらえたようだ。
ここに、こられてよかった。

たぶん、最近の人たちが「エモい」と呼んでいる現象ってこういうのかな。
なんて、後から思った。

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