【レポート】第2回ディスカッション会

コアコレでは10月半ばに都内でコレクティブのメンバーによる公演を予定しています。それに向けて各自の作品についての経過発表&ディスカッションを月1で行っています。(次回は9月30日)

さらにそのディスカッションを公開することでオーディエンス&パブリックに有機的に開かれたダンスのあり方を模索したいと思っています。

第2回ディスカッション会は8月23日に以下のコレクティブ・メンバーとゲスト数人の参加で行いました。発表したメンバー:黒沼千春、堀内恵、まつなみはる奈、片瀬あや、畠中真濃、辻たくや、
次回以降もオンライン参加&アーカイブで広く参加者を募っています。ご興味がある方は是非覗いてみてください。

こちらではオーディエンスの立場からアーカイブ視聴で参加してくれた佐藤剛裕さんによるレポートをお届けします。

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今回のディスカッションの中で、辻さんの発したダンスにおいて歩くということがどういう意味を持つのかという問いかけと、黒沼さんの書道についての話がとくに印象的でした。

歩くという動作……まっすぐ歩いたり、ふらふら歩いたり、円を描くように歩いたり、逆回りしたり、という平面上の軌跡を描いていくことで、次第に踊り手の身体の中に、足の裏から頭上まで突き抜ける垂直軸があることが意識されるようになっていくように思いました。チベットでは、仏塔の周りを右回りに何周もまわりながら祈りの文句を唱えることで意識が天空に登っていくような感覚を獲得する礼拝が行われていますが、そのようなイメージと重ねながらお話を聞いていました。

黒沼さんの書道との話でいうと、実は、私は日本語学校で教えていた頃、「漢字はダンスです!」といって、極太のマーカーで全身を使ってボードに大書して漢字を教えていたので、黒沼さんの書道との共同作業による作品作りを動画で拝見して共感と関心を持っていました。

楷書でいうところの起筆~送筆~収筆の三折法ですとか、楷書や草書や行書のような軽やかでなめらかな筆運びはダンスのステップのようですし、そして筆先が紙面を離れて描かれる筆脈もまた、跳躍の軌跡となって平面が立体になる様を捉えるものですね。それに文字というものそのものが、形を持つだけではなく意味と音を持つものであることも、ホールネスの獲得につながるものではないかと思いました。もう少し詳しく言うと、身口意、つまり、身体性、音声、意味をつなぐものが文字だというような古い思想が根底に眠っているのに近づいていく試みのように思いました。

わたし自身はコンテンポラリーではなくチベットに伝わる秘教的なダンスを学んでいましたが、伝統的宗教の文脈や制約削ぎ落としたコンテンポラリーな取り組みの方がむしろ、純粋な身体性や精神性と直に向かい合うような自然さがあるとも思うので、これからもぜひ続けてほしい取り組みだと思いました。漢字だけではなく世界のいろいろな文字についてやってみるとか、丸筆の毛筆だけではなく平筆を使う文字文化などにもチャレンジしてみたら面白いかもしれません。夢が広がりますね。これからも期待しています。

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