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【レポート】第1回コアコレ勉強会

こんにちは。Core Collective (略してコアコレ)のブログへようこそ!こちらではコアコレの活動の記録やレポートを随時載せていきます。

孤立しがちな創作活動だからこそ、クリエーションのシェア、パフォーマー同士および一般に開かれたコミュニティづくり、をコア・コレクティブは念頭において活動しようと考えています。その一環で、「コアコレ勉強会」を夏〜秋にかけて複数回開催します。今年のテーマは「ダンサーが社会と繋がっていくヒント」。実務としての会計や助成の現場の話などを予定しつつ、第1、2回は広くコンテンポラリーアートからの視点学ぼうと、京都のギャラリーメインにて行われているアートスクールplot主任講師の山崎裕貴さんを講師に迎えます。タイトルは「コンテンポラリーとはなにか?」第1回は理論編で第2回は実践編です。第2回は7月15日(木)20時より。初回のアーカイブ購入も可能ですので、気になった方はこちらからお申し込みください。>https://fb.me/e/1k8magXRa

記念すべき第1回コアコレ勉強会は7月8日。会場参加2人、ズーム参加4人で1時間半の予定が濃密な2時間超となりました。以下、コアコレメンバー片瀬による勉強会レポートになります。

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講義のタイトルを見て、漠然とコンテンポラリー・アート(業界)の話なのかな?と思っていたけど、全く違いました。「コンテンポラリー」という言葉をキーワードにした講義には、「私とはなにか?」「時間とは何か?」という深い深い問いが横たわっていたのです。

私の理解では、講師の問題意識は、現代美術の作家たちは、現代の政治などに対して脊髄反射的に反応しすぎているがそれは「コンテンポラリー」ではないのではないか、というところにあるように思えます。アートの世界はあまりにも「今」にフォーカスしすぎているのではないか、と。一歩さがって時間について考えてみよう。前世紀に大学進学&デジタルネイティブではない自分としては、世代の違いも感じつつ、そういった時代性(コンテンポラリティ!)には大いに共感します。

主に哲学者の議論をヒントに講義は進みました。以下、慣れない方もいると思いますが短い間おつきあいください。興味が出たら調べてみてください。

まずアガンベン著作「裸性」より、時間に寄り添いながらもそこから距離をとる人、という同時代性の話。そしてマクタガードのいう「時間の非実在性」における、全ての時間が独立している!というC系列の時間。これは岡崎乾二郎が援用しているそうで、ここでは深く立ち入りませんが、マクタガードからレヴィナスによる「共時性/隔時性」を通過し、さらにマクタガードを議論した大澤真幸の自己ー他者と時間概念の議論と講義は展開していきます。

人文系に慣れない方は??なところもあるでしょうし、講師も「難しい」とたびたび口にしていましたが、実際のところは、お話を伺ううちにナルホド!の電球が頭にたくさん閃き、「創作」や「踊る」行為への新鮮な切り口を得ることができました。またオーディエンスの立場の参加者の人とも映画表現ではどうかと話し合ったり、刺激的&楽しい時間となりました。

ディスカッションの時間では、参加者の辻さんが「共時性」は、ダンスに近いものがあると述べたことから、クリエイションにおける時間の扱い方の話になりました。ダンスと写真では時間の流れ方が違いますが、講師が自らの写真作品の中での時間と現実をどう扱っているか見せてくれて、講義の内容と講師の作品とのつながりが感じられ感動しました。

私個人の話になりますが、まだインターネット初期でsnsがなくて速度も遅い時代に大澤真幸の自己ー他者の議論に影響を受けつつ、メディアが変化することで自己のあり方がどう変化するか、という論文を書いたことがあって、思いがけない形で当時の思考のアップデートにつながりました。さらに数年前に買って積ん読になっている哲学の本も引っ張り出した次第です。

自己への認識と時間の認識は切っても切れない関係です。さらに私たちは(私がまさに今、noteに書いているように、また別の機会では直接あなたの目の前で語りかけるように、)メディアとそこにへばりついてる時間軸を通して何かしら表現しあっています。インターネットと人工知能により社会のスピードがどんどん上がっている、そんな時代で脊髄反射にならない表現のために、個人で、そして集団で何ができるか。他のメンバーも各自たくさんのことを持って帰ったと思います。講師の山崎さんに感謝です。



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