ゆっくりまりさの飯のタネ・番外「しにがみみならい」動画フロー

「ゆっくりまりさの飯のタネ」という、ゆっくりがいっぱいいて、人間社会の近隣で独自の社会を築いて暮らしているという世界観を背景に持つ動画群を投稿したりしなかったりしています。
 このたび、「しにがみみならい」というフリーゲームの実況だか雑談だかの動画を編集し、ニコニコ動画にアップしました。
 これはその動画を編集していた際の思考について、動画時間別に「この辺がコアだったかなあ」くらいの感覚で思い出しながら書いたものです。誰かの何かの役に立つと……ええなあ。

編集前・録画

 以前投稿した動画「白いメリーさん」の主役だっためーりんについて、「ようむと一緒にホラー実況やってるの見たい」というコメントがあり、じゃあ何か作ってみるか、でもホラーは多分無理だな (この二人ではこの段階の関係性では回らない) 、ということで考え始めました。
 丁度良いことに、以前「良い短編ゲームを教えてください」とツイートした際、「しにがみみならい」という、やや考える必要のある短編を紹介されていたので、これを主題としました。

 ようむとめーりんの組み合わせだと、ゲームおよび実況の経験差からようむ主導、めーりんサブとなります。
 ようむはまりさから度々「ゲーム中の状況のまとめ」をさせられてきたし、2本ほど主導で実況した経験もあるので、そういう能力、成長を明示的に示すにあたり、「考えるゲーム」の経験値が低いめーりんは最適なバディとなります。
 言ってみれば、変則的な「最初期のまりさ・れいむ-ようむの関係の再現」ができる、ということです。
 めーりんとしては、以前の動画で挙げた根深い問題、望もうと望むまいと彼女を構成する大きな属性である「親に過剰に期待され、失望され、見捨てられた」ことの再提示と、それを踏まえてなお前を向き、漸進していることを示すこと、「その後のめーりんが、何とかやっていること」を示すことができるんじゃないか、と考えました。
 それは「しにがみみならい」のエピソード(金髪の不良少女)から容易に惹起できることだったので、このエピソードがメインになるだろうなあ、くらいの気持ちでプレイ動画を録画しました。

 基本的に全エンディングを見た後でのプレイなので、セーブ等は必要なかったのですが、「ようむが初見プレイしている」ということでこまめなセーブと丁寧な探索を表現します。
 こういうのは割とどうでもよいのですが、まりさは初見プレイでは「ほぼセーブせず、詰まるまでは調べもしない」という極端な泥縄突貫でキャラ付けされているので、キャラクター差、ひいては「受け継がなかったもの」を示す意味でも効果があるだろ……多分……くらいの気持ちでやりました。
 おかげで3回くらい撮り直すことになりました(無為

00:00 ~ 02:00 導入

 まずは「めーりんその後」を示すため、めーりんがふらんから教えてもらった高難易度アクションゲームをクリアし、それを褒められていること、めーりんはその状況に満足していることを示しました。
 その上で、次のステップとして「考えるゲーム」について、めーりんと同年代のようむと一緒にプレイすることを指示されます。

 場面転換後の会話については、視聴者に「今回はようむが主導」ということを示すため、「まりさから突然無茶振りされても即座に割り切るようむ」と「不安そうにふらんを見た後、諦めてかしこまるめーりん」を対比させます。
 ようむのホラー要素への懸念とめーりんの沈黙、その後のようむのフォローも、最初期からのようむの成長を示すと同時に、めーりんとの軽い打ち解けの場面として挿入しました。

 ちなみに「本社の爆破」ネタは手癖ですし、実際はこの時点で「まあ裏でこっそり見てるだろうな」くらいに考えていました。つまりは一時離席のための適当な理由付けです(適当

02:00 ~ 11:40
ゲームスタート と エピソード1「ホームレス老人」

 開始前からようむにはゲームの概要紹介をさせます。これは実況の形式上常にやっていることですが、ようむが一人でも前調べをし、プレイ前に内容推測するようになったこと、そういう経験のないめーりんを対比する場面としても有用と考え、そういった会話を挿入しました。
 一方、めーりん自身の掘り下げとして、導入時に示したように高難易度のアクションゲームの経験があること、それらはふらんが教えてくれるゲームであり、それをクリアすることで褒めてもらえることが彼女のモチベーションであることを示しました。

 ゲーム開始後はまりさ仕込みの先読み、構造読みをするようむと、純粋に色々知らないので、ゲーム内の要素についてややズレた疑問を持つめーりんを対比させます。一方で、めーりんの素の注意力の高さを示すため、老人の右手がないことは彼女に指摘させます。

 ホームレスの生死を判断する場面では、めーりんがこうした問題を考えることに不得手であることをまず示します。
 この時点のめーりんは、「正解」や「基準」を得ることに対して執着しており、また「役割を果たす」ことも意識しています。
 この「役割への執着」は以前の「白いメリーさん」で「必ずしもそうでなくてもいい」と言われていたことであり、以前の動画である程度は解消した問題ではありますが、これを示すことでメインとなる次のエピソードの布石とします。
 すなわち、改善はなされ、一定の心の平穏を得ることはできたものの、依然として彼女が過去を抱えていることの暗示です。
 また、「しにがみみならい」の役目に関する仮説をようむから賛同され、照れつつどんどん考えを披露していく態度は、彼女の「認められる(=褒められる」ことの飢えと、認められたことの嬉しさを示すものとして描写しました。

 一方、ようむはゲームそのものについての違和感があることを暗に示します。これはめーりんの問題が次のエピソードで消化されることから、最終エピソードおよびエンディングでの大きなまとめが必要となり、そのための布石として配するものです。
 ただしそれは、この時点で提示すると構造的に無意味な状況が長く続いてしまう結論だったので、ようむはまだ明確には認識できず、違和感がある上で、めーりんよりも広い視点から「死なす必要はない」と述べさせました。
 この時のめーりんとしては、自分が見つけたと思った「基準」が否定された形ですので、「ではどういう人なら死なせるべきか」と「正しい基準」を得ることを求めます。それに対してようむは一応の基準らしきものを提示し、それがめーりんにとっても納得がいくものだったので、一時的には安心と確信を得ます。
 しかし、ようむがすぐにそれを流動化させてしまった(「常に考え続けないといけない」)ので、「難しいね」という素直な感想が出ます。ようむもそれに同調し、自身も初めての経験であることを示すことで、(ようむ自身は考えてないでしょうが)めーりんとの隔絶を回避させました。

 ちなみにホームレスが悪かどうか、死に値するかどうかの議論は割と適当にやりました(告白
 それは、私のプレイ時の感想が「決定事項の『遂行』ならともかく、なんでこいつら(死神)が生の是非を『判断』してるんだ?」あたりで止まってしまったことによります。
「特定個人を死なせることで世の中をより良くする」や「苦境にある個人に、死をもたらして救済とする」という考えはかなり脆く危うい、繊細に取り扱うべきところがあるのに、そもそも世の中に参加すらしてない部外者が何の権限で判断して死なせたりするんだ? ということです。
 この考えはプレイ時の結論でしたので、最終エピソードでようむライクに翻訳して提示することとしました。

11:40 ~ 19:46 エピソード2「不良少女」

 めーりんにとってのメインパートとなります。扉を開けた時の言葉「頑張ったって叶わないことがある。~」にめーりんが反応することで、それを暗示させます。また、先のエピソードでは見られなかった、めーりんの登場キャラクターへの寄り添い、心情・背景を察しようとする態度は、後の判断時の布石として配しました。

 判断のパートで、推察から共感と想起の暴走を起こし、めーりんは涙します。ようむはその直前にめーりんの様子から察し、慰める側に回らせました。
 その後のめーりんの判断は、自身の経験からくる消極的肯定(死なせる)ですが、ようむの否定(生かす)は少女の行動から「生の意志」を汲んだものです。
 この対比は悲観か楽観かというところが大きく、ようむの「生きようとしているし、幸せになるチャンスを奪ってよいとは思わない」という主張は、「今死ねば、それ以上不幸にならずに済む」可能性を否定できないのですが、めーりん自身も「できれば生きてほしい」と考えていたこともあり、前向きな態度へ翻意させました。
 一方で「安楽死問題」にタッチさせ、「どうしようもない場合もあるかもしれない」ということはフォローしましたが、その会話の流れで、ようむはこのゲームの構造上の違和感(「生きようとしているなら死なせるべきではない」というよりも、そもそも、この世に参加していないものが、この世の人の命を「判断」し、生かしたり死なせたりする事自体が、おかしいのではないか?)を認識させました。

 このあたりの数十秒、書き出してみるとようむの思考にはふらつきと飛躍があります。
 編集時には「モヤモヤした非言語的な違和感の正体に、自分自身の発言で気づく時は、思考の飛躍ぶりを含め大体こんなもんだろう」と思っていましたが、動画にする際はもう少しわかりやすいやり方があったかもしれません。
 いずれにせよ、最終エピソード前にようむは違和感の正体を掴み、態度を固めます。

 めーりんについては、自身の抱える問題にようむが理解と共感を見せたこと、その上で似た境遇(と推定された)キャラクターを死なせなかったということで、一定の落ち着きと前向きな態度の維持、そしてようむという、ふらんとは異なる「おともだち」を得ます。
 この時点でこの動画内のめーりんのエピソードは完了し、あとはようむがゲーム全体についての態度を示すことで、動画としてまとまる段階としました。

19:46 ~ 27:18
エピソード3「ギャンブル中年」 と エンディング

 前エピソードで既にようむは態度を固めていることを示すため、開始時に「もうどんな人でもいい」と言わせます。
 また、そういう状態なので、あまり対象のおっさんについての「判断」はせず、あくまで動画上(あるいはめーりんのために)必要なものとして情報収集し、対象に否定的なめーりんの言葉に相づちを打つだけになっています。

 判断時にも、めーりんの否定的な見解について全て受け入れた上で、「そもそもこの仕事自体が間違っている」という考えを提示させます。これは上に挙げた私自身の感想、あるいは思想のようなものですが、ストレートに出すとようむらしからぬ、やたら強い言葉になってしまうので、適当にもやっとさせました。

 ちなみに「パチンコの大勝ちが生活に影響するならば、パチンコをやっていい身分ではない」はその場で考えました。
 意味するところはぼんやりわかるけれどはっきりわからないので、各々適当に解釈してください(てきとう

27:18 ~ 30:00 結言

 エンディング後の総括については、ようむにやらせてもよかったのですが、最初の方で「多分まりさとふらんは裏でこっそり見ている」と考えていたので、彼らに再登場させました。一種の保護者による評価と反省会の時間です。

 ふらんの言うように、あのエンディング、そしてあの選択肢が存在することは、おそらくですがゲームの作者さま自身、作品が持つ構造的な違和感について自覚的だったのではないかと思料します。

 めーりんが途中でやや落ち込んでいた心の動きとしては、ふらんという庇護者を得、日頃から良くしてもらっておいてなお、自身が過去に引きずられていることを申し訳なく思っている、というやや繊細な内心表現でしたが、それを完了させるためには、ふらんから「それは気にすることではない」という指摘と容認が必要だったよなあと今になって思いました。プライベートストックで補完するかもしれません(適当


 特に記事としてのオチはありませんが、こうして振り返ると、普段とはちょっと毛色の異なる作品相手に、異なる態度のもとでまとめるために苦労したなあという感想が出ました。
「作品が持つ構造そのものに異議がある」場合、基本的に「じぶんには あわなかったかー ざんねんだが いたしかたなし 無料だし」とわざわざ動画化しないのですが、この作品に関してはその態度が内包されている可能性が示唆されていたので、頑張って形にしました。
 結果、まあ、それなりの形にはなったんじゃないかと思います(こなみ