【マレコンと居酒屋】day 4
今考えていることを文章に起こす。
これ、できそうで意外と難しい。
書こうという意識が先行する、書くという行為ではなく書くことの結果だけを意識するから難しいと感じられるのか、それとも本当に非合理で意味不明なことを常に考えているという事実が文章という形で表出されることが怖いのか分からんが、とりあえず難しい。
というふうに文章を書いていると100文字は書けた。これで良いんか。
昨日、サービス精神の薄い、クーラー効きすぎの渋谷の居酒屋で大学時代の友人たちと飯を食った。
友人には申し訳ないが、レンチン料理が多かった割にまあまあ値段がしたことを根にもった僕は、なにかとその支払いが納得いかないことのはけ口を探していた。
そんなことを考えていると隣に座っていた嫁さんが、友人には理解されていないという強みを無意識に利用して母語のスペイン語で話しかけてきた。
「なんで日本人は友達と会って話すだけでわざわざあんな高いお金を払うの?」
どう答えるのが良いだろう。
「友人と美味しい料理を食べるため」
それなら美味しい料理を食べに行くのだから少々金額が高くなっても仕方がないという覚悟の上だから、今回のケースとはちょっと違う。
キューバでは、友達と会って話すのは、すなわち「ハバナクラブ3年」を手に友人たちとマレコンの(首都ハバナにある海岸)に集まることを意味する。
マレコンが遠い人、そして行くのが面倒な時は、公園や家の前で音楽を鳴らしてただダベる。
格安のクラブに行くこともそれ以上によくある。
大抵飯を食ってから行くので、払うのはラム酒300円を割り勘したくらいになる。(これくらいの値段なら誰かが1人で買うことが多いが)
友達とのダベりをこの軽さで済ませられるキューバ出身の彼女には不可解な営みであるということは幸い理解できるが、その疑問を解消してあげられる答えは用意できない。
ただ、キューバだけでなく、学生時代には京都の鴨川でよく友達とチルしていた。
いわゆる「鴨チル」
でも思い出してみると、鴨チルを初めてしたときは、外国人の留学生が多くいるグループに混じっていた時だった。
でも、やっぱり大学の友人や地元の友人と集まる時は、居酒屋に行って相応のお金を使っていた。
もうケチくさい話でしかないのだろうが、この違いはなんなんだろうと興味は増すばかり。
それは、場所がないからなのか、居酒屋に行って飲むということでしか友達と会って話したという行為を認識できないからなのか、相手に川でダベろうぜなんか言えばこいつケチやなと思われるのが嫌だからなのかはわからない。
スマホでこの文章を打ち込んでいるのだが、首が凝ってきたのでここまでにする。
お盆は地元に帰る。
行きつけの居酒屋を予約しとかな。
#思考便秘
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