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農試公園【Yahooクリエイター】

Yahooの記事用に取材

d51について
このD51-11は、1936年に川崎車両の兵庫工場で作られ、広島で活躍した後北海道に来て、追分や旭川を経て、終戦直前から1973年の廃車の長きにわたって岩見沢機関区に所属。

D51とは1936年から1945年にかけて、日本最多となる1115両(この数は国鉄における所属台数ですので、海外向けも加えるともう少し多い)が生産された、もっともポピュラーな機関車です。

川崎車両、日立製作所(笠戸工場)、汽車製造、鉄道省のいくつかの工場、三菱重工業、日本車両製造などで作られました。北海道には現在20以上のD51が残されている。

この公園の「11」は神居古潭駅の「6」についで古い製造年月日をもつ、「ナメクジ型」という初期の特徴を持つ。

琴似発寒川について
琴似発寒川の元来の名前は「発寒川」で、手稲山からスタートし石狩川に流れ込む、このあたりでは大きな川。
いわゆる暴れ川として春の増水期には水害が起こりやすく、1886年から1887年に「新川」が人工の排水路として建設されると、発寒川の下流部は、琴似川(現在の知事公館のメム(湧水地)Kim-kush-memから流れ出る川で、今は競馬場横あたりでは環状通りとして暗渠になっている)の下流部と共に新川となり、石狩川水系からは外れた。

かつての下流部はそのまま石狩川水系の発寒川として残っている。

農試公園について
開拓使以来、植物や畜産の研究をしてきたが、その核となるのが、最初は現在の札幌工業高校の付近にできて、その後1925年に今回ご紹介する農試公園の位置(当時の琴似村)に移転した「北海道農事試験場」である。

1950年には、この施設は農林省「北海道農業試験場」として再編成され、ここを本場とし、支場として羊ヶ丘の畜産部をはじめとした施設を、全道の各地に持つ。

1966年に「北海道農業試験場」の本場は羊ヶ丘に移転となり、そして1975年に移転で空いた元の試験場本場のスペースを活用してできたのが、この「農試公園」である。

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