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茶飲み話 トンネルと岩

座津武トンネルというのがある。(司馬遼太郎風のはじまり方)
海岸線から迫り上がる50mぐらいある岩場の、下部を貫いたトンネルです。
ただ今は、少し内陸に移動し、新たに宇嘉トンネルというのにとって変わって新設され廃トンネルとなっている。
その座津武トンネルの脇がクライミングのクラシックエリアの座津武。
岩は硬質ですが、割目がやたらと多く、巨大な落石もたまにあります。そういう事もあって、座津武トンネルは、崩壊の危険性も高かったのでは、ないかと思います。北海道だったかな?トンネルの崩壊事故があってから、座津武トンネルの入り口付近に公衆電話が設置され(危険が察知されたり事故が起きたらすぐ連絡できる為かと思われます)、トンネルの上部の岩面には落石防止ネットが貼られていたりしています。このネットに何かしらの衝撃があったりしたら、すぐ管理会社に警報が届くなんて話を関係者の方よりお伺いした事もあります。
なので、新トンネルの宇嘉トンネルは、いつかはせねばならぬ移転だったのでしょう。
最初から、新トンネルの場所にトンネルをつくれば良いモノをなぜその崩落危うい場所にトンネルを掘ったのか?
座津武トンネルの竣工は、戦前の1936年。開通1937年。
それまでは、人が通れるぐらいの山越えの山道しかなかったのですね。不便解消と、迫りくるモータリゼーションの波を見据えての工事だったのでしょう。
しかし、おそろしく硬い。その硬さは岩場整備に携わった私には身をもって良くわかります。
その硬さでしかも当時の技術力からして難工事になる事はあきらか。
そこで、海より適度に距離をとって尚且つ最短の距離でトンネルを通す事を考え、座津武トンネルの位置になったかと思います。
そこで県より派遣された土木建築技師上島四朗氏は、フォードエンジンの最新鋭の削岩機を利用して開通にこぎ着けます。

工事当時の写真

資料を読んでいた時、漠然と「フォードの削岩機なんてスゴイなぁ〜」っと思ってました。少し考えてみると、戦後の統治下と違って、当時の沖縄は戦前でアメリカの縁は、ペリーが琉球王国後期の明治維新前に立ち寄ったぐらいかと思います。それで「フォードの削岩機」って、どういう流れなんだろうと。ま、本州では意外とポピュラーに使われていたのかなぁ〜っと思ったりしてました。
が、最近読んでいた本で少し疑問が氷解。
「世界「新」経済戦争」(川口マーン恵美)という自動車メーカーの覇権争いを主軸にした経済本なのですが、何と1924年には日本フォード社が設立され、翌年からは日本でも自動車の生産を開始していた様です。関東大震災(1923年)あとで鉄道網が破壊され急速に自動車の需要が増えてきたらしいのです。
なるほどと。震災復興と、それに伴い日本のモータリゼーション化。道路工事等のインフラ整備も必要。その中には、トンネルも含まれる。フォード社は、日本に削岩機を売り込んでいたのかもしれませんね。そして、沖縄へ。 

そんな空想をしながら、お茶をすする。

「十万円の座津武の風穴」と呼ばれた座津武トンネル。52m。
昭和初期の10円の価値が今2万円との意見をとれば2億円の工事。1m、385万円弱。
新たに新設された宇嘉トンネル。548m。
2013年6月に開通。
10年経ったのかぁ、早いな。
茶飲み話でした。


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