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「33年後」にまた同じ光景を

2001年にしし座流星群が大出現してから20年。その大出現のとき、私は旧大岡村のアルプス展望台にいました。

高校生の私は、化学科担任の先生たちが参加者を募っていたしし座流星群の観測会に、友人たちと一緒に参加することに。
観測地まで向かう道中は、どれくらい見れるかなぁ?なんてワクワクした気持ちでいたと思います。
11月中旬、晩秋の寒い夜中なのでどうやって見るのかと思っていたら、先生たちが何と野外にこたつを設置。新鮮過ぎて唖然としましたが、暖かいこたつで寝っ転がって見た空にはかなり星が輝いていました。
少し雲があって心配していた記憶がありますが、空一面を覆うほどではないので、観測予定時間まで天気が大きく変わらなければいいな、というところだったと思います。

何時頃から始まったのか、もう随分と経ってしまったことなので忘れてしまいましたが、雲がなくなった空にちらほらと流星が見られるようになって、その度に歓声が上がっていました。
始まりは少しずつ見えるくらいだったものが、時間が経つほどに目に追えないほどの数に。もともとが観測会なので、数を数えてーと言われて記録用紙ももらっていたのに、とても数なんて書いていられないほどの流星に、見入るしかありませんでした。

数多の流星の中で少し眠ってしまって、ハッと気づいた時にも目の前には流星の雨。その時の光景は忘れられません。人ひとりの一生分なんてものじゃない数を一夜で目にして、この機会に恵まれたことをとても幸せに思いました。

しし座流星群の元となる彗星は、33年周期でやってくるとのことで、「次は大切だと思える人と見たい」と青春真っ只中の当時の私は思っていました。
あれから20年以上が経って思うのは、将来の自分を想像していても、「人の歩く道は絶対に予想通りにはならない」ということ。まさか今こうなっているとは思わなかった、の連続です。
昨年の年末、会社の忘年会の席で仲間が言っていました。

「20年後自分がどこにいて何をしてるかなんてわからない」

本当にそうだと思います。20年と言わず、5年後だって予想を大きく外れている。5年前、今の自分の居場所など全く想像がつきませんでした。

人との縁、これは自分だけではどうしようもないものがあります。近づいたり離れたり、離れていたと思ったら少し近くに感じたり。
ときに「もう人間関係なんてどうでもいい」と思ってしまうこともあったりしますが、「33年後の流星群をその時大切だと思う人と一緒にみたい」という気持ちは純粋なもののはずです。
それが誰なのかなんて考えてもわかるはずもないので、せめて周りとの関わりや他者とのつながりを投げやりにならずにいたい。結果、その瞬間を迎えた時に一緒にみたいと思える人が自分にはいてくれたら嬉しい、と思います。

次回の大出現の予想は2034年とのこと。全く予想の遥か先ですが、人生でもう1度出会いたい光景です。

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