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【エッセイ】誤解されていた話

 誤解というよりは、認識の違い、と言った方が良いだろうか。

 私は5,6年前からカフェでの映画部の部員なのだが、先日久々に顔を出したら、顔馴染みのおじさまが開口一番、「あら、いつもとちがうね」。
私としては普段の映画部のときとなんら変わらないつもりでその日も来ていたので、「はて?何がそんなに驚きを感じさせたのだろう?」と思ってよくよく聞いてみると、
「いつもはメガネしているよね?」
この子はメガネを外したらどんな顔をしているんだろう〜とずっと思っていた、という。

 つまり、こういうことだ。
おじさまからしたら、私は20代で若いのに、いつもほぼすっぴんに近い顔で、メガネで、服も綿のとてもカジュアルなもので、相当”地味‼︎”に見えていたのであった。
対して私は、自分としてはファッション大好き、いつもどこかしらにこだわりを装ってるワタシ、という認識だったので、そんなに心配されるようなみすぼらしさを纏っているように映っていたとはつゆとも思っていなかったのである。
 しかしだ。ふと我に返ってこれまでの映画部での自分の装いについて思い返してみると、たしかにおじさまにそう感じさせてしまう節がたくさん浮かび上がったのである。
 というか、節しかない。
カフェの部活動へ行くときは、すっぴんの日も多かったし、座りっぱなしだから服装も一丁羅ではなくジーンズにどうでもいいTシャツ、メガネ、髪ボサボサ(かなりのクセ毛で広がりやすいので何も付けずに、手当をしないととてもだらしなく見える)。
いくら会社に行くときのワタシイイかんじ!と思って支度していたとしても、カフェにいくときにこれじゃーだめだ。

 いつどんなときに運命の出会いがあるかわからない(これは別にパートナーという話に限った話だけでなく、友情も)。
もう少し、普段のわたしもバージョンアップさせようと心に誓ったのであった。

 そうそう、その”メガネ”を今日私はレンズ交換をして、サングラスに生まれ変わってもらったのだった。これからもよろしくね、メガネさん!

おわり

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