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『組曲虐殺』

[Oct. 7]

多喜二のことをね、想っている。

カタカタ回る 胸の映写機
体ぜんたいでぶつかって書く。
そのときそのときに体全体で吸い取った光景を、原稿用紙の上に映す。

革命家。ゆるぐねぇなぁ。
革命家三原則…ひとに惚れるな、子どもの親になるな、母親を思い出すな。月でこころを鍛える。ゆるぐねぇなぁ。
後に続く者を信じて走る。
交番巡査組合を作ろうとする山本の中には、多喜二が蒔いた種が芽生えている。
こーばーやーしー!やーまーもーとー!…
これは後に続く者から先に走っている者への叫びなのかな。
絶望するには良い人が多すぎる。希望を持つには悪い奴が多すぎる。
絶望するな!瀧ちゃんカッコいい。

懸命に生きる人たちに恋していたの?
愛しいなぁって。
あゝ…これ「ラヴソング」なんだね。
"苛烈な革命家" を想像していたのに、予期せずラヴソングなんか歌われちゃって、沁みてしまった。
こんなラヴソングを聴かせられるのはやっぱり芳雄さんだからだ。
この作品自体、全身でぶつかって届けてくれてるラヴソングなんだね。

みんなから想われる多喜二に、芳雄さんはピッタリだと思った。
私も、芳雄さん演じる多喜二をとても愛おしく思った。

厳しい事を、胸ぐら掴んで突き付けるのではなく、こんなにも優しく沁みる戯曲にしてくれる井上ひさしさんの筆は凄い。
日本・日本人を憂う気持ちとか、作家・演劇人としての矜持(キッチュに迎合してしまう危うさとか)もやっぱり感じる。
絶望から希望へ綱を渡す人。
勿論、あの愛しい人たちと出会わせてくれる芝居も凄い。多喜二を初め、ふじ子も瀧ちゃんも姉ちゃも古橋も山本もみんな愛しい。

冒頭のパン屋さんのシーン、北海道の海の景色が映像で流れて、やっぱり『蟹工船』の悍ましい光景が頭に浮かんできた。
観劇後にまた読み返してみたけど、多喜二はこれをどれだけの愛と信念で書いたのだろうとか、これを書き発表することは本当に全身でぶつかっていることに他ならなかったんだよなぁとか、そんな思いが過ぎった。

『夢の裂け目』や『スリル・ミー』を思い出す、舞台中央の四角い段や、ニョキニョキと突き出す細い角柱。
可動部分が開いて刑務所の独房になったシーンでは、天窓の光から分かる朝昼夕が切ない。そこで歌われるラヴソング。
後ろ壇上、1台のピアノ。

上演時間は約3時間だが、これは多喜二が死に至るまでの拷問に耐え続けた時間と同じだという話を聞いた。震えた。

それにしてもさ、なんだか胸が苦しいんだよね。安穏と暮らし¥9,000も払って綺麗な劇場でこの芝居を観てる私にさ、果たして何か分かったようなことが言えるのか、一体何ができるんだろうかっていう…

戯曲を読んでみると…凄い力を持った言葉たちが迫ってきて、芝居を観ていた時よりも怖ろしさを感じる気がする。


[Oct. 16]

また会えた。

ラヴソング…あれは毎公演ピアノとのセッションなのかな。よく聴くととてもJazzyね。
今日はこないだより多喜二がすごく苦しんでるように聴こえた。自分を保ち、人を愛するために力を振り絞ってる。
そりゃそうだよな…神の子じゃないもの。
ジーザスだってゲッセマネであんなに苦しむんだからな。
あんな苦しい思いをしなきゃいけない理由は唯々自分の信念だけなんだもの。

多喜二とふじ子の間には温かさと遣る瀬無さが同時に横たわっていて、ふたりが視線を交わすのを見る度に胸がキュッとなる。
アジトでの瀧ちゃんの気持ち…痛い。
聞こえないふりしてる多喜二も。
ふじ子も、瀧ちゃんも、切ないよ…。

おしくらまんじゅうの温かい「かけがえのない光景」のカタカタ…がぷっつり切れてピアノの暗い音とピンスポで多喜二がひとりになって…
みかんを頬に当て(お母さんや瀧ちゃんを思ったのかな)、後ろを向き、やおら右手で角柱を引っこ抜いたと思ったらそれをステッキにしてチャップリンの真似。意を決して軽やかさを見せてやる気概が壮絶。左手でかざしたみかんにキスするような横顔のシルエット…
そこから闇の中を背中を丸めトボトボと上手へ捌けていった…。

ラスト、スクリーンに映し出される多喜二のいろんな表情が今日の席からはよく見えた。何かを見つめてたり、書いてる途中のうぅー頭クシャクシャー!みたいな顔だったり…
ふじ子に瀧ちゃんに姉ちゃに、山本にも古橋にも、近くで見て刻み込まれた多喜二の表情だ。
私にも刻まれたよ。あなたの姿。
本当に愛しい。

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