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タジマ Dec.7 [初日]

『タージマハルの衛兵』初日に立ち会えた興奮と幸福。

幼馴染ふたりの他愛無い会話と思われるようなものも含めて全て、すべての台詞が作品の根幹に繋がっているし、そして現代の私たちに繋がっている。この戯曲、凄い。(後でじっくり読む)

朝陽の中でタージマハルを見つめるふたり…
バーブもフマも放心し手から剣を落とす。
フマから手を伸ばしてバーブの肩に触れ、そしてふたり手を繋ぎ合う。
( "手" という単語を発する度にちょっとハッとなってしまうな…)
振り返る前にフマが見せた表情は何だろう?決して衝動的な行動には見えなかった。意を決したふうにも見えなかった。抗えず引き寄せられたような。

エアロプラットで行く遠い星から見たら、俺たちもこの国も小さくて見えないような存在。
タージマハルを見上げながらバーブが言う…
「俺たちのことなんて誰も見てない」

この世界を気に入っている
世界の中心の近くにいる
普通の人たちがあれを造ったんだと、自分たちにも何かができるかもしれないなんて思ったら、大勢の人が中心に向かって押し寄せてくる。そしたら俺たち弾き出されてしまう。
…突き刺さる台詞。

目が見えなくなっていたフマ、見えるようになった途端その凄惨な光景に慄いたよね。
排水口の強烈。それを掻き消したくてフマは持ち運び式穴の話を始めたね。

お前は分かってない、全然分かってないって、お互いに言ってる。

想像力。想像すること。
想像してみろよ!…いや、俺はしない。
「思いやりのある売春婦」
バーブと、彼が敬愛するウスタッド・イサは、大切に思うものが同じなんだな。
「思いやり」=「想像」。
「どうして "思いやりのある" なんて言ったんだろうな」って、フマはそのことの価値がわかっていない様子。
思い描くことで心はどこへでも行ける。楽しい空想は救いになる。極限状況を乗り切って生き抜く術になる。
血の池の掃除をしながら、凄惨な現実を束の間忘れ、普通の顔で話をすることができる。

優しく歌いながらバーブを着替えさせてあげるシーン、子供たちが小さい頃のお風呂上がりを思い出しちゃった。タオルで包んであげる。頭をクシャクシャっと拭いてあげる。懐かしい、温かい、愛おしい気持ちになった。
あんな場面なのに。

ラストシーン。
任務にひとり立っていて、何か不審な物音が…あれ?もしかしてバーブの幻影に怯えてるの?と思ったらもうそれは既に白檀の木のシーンになっていて…自分の「手」で作った最高傑作である木彫の鳥の話をして、水鳥の群れが飛び立つのを眺めている間に…
木から降りてきたフマは、気付いたらもう白檀の木の思い出を表情から消し去り、驚くほどシームレスに今の彼に戻っている。その手にしっかりと刀を携え、綺麗な姿勢で、真っ直ぐ前を見て、立つ、フマーユーン。
あ、プレビューと変えたの?
残る後味が結構変わったかもしれない。
プレビューではこの時の衣装がエンジ色だった?そう言われればそうだった気がする。

2人が後ろで着替えるところ、フマ→バーブの順に照明が当たる。2人とも、照明が当たっている時は相手の方を見て何か考えている…あいつは俺のことを分かってない、俺はあいつが理解できないって…そのことに苦しんでいるような感じ。
あれ、一晩の間のことだよね。

亀田さんバーブのすっとぼけ具合が最高。フマの話を適当に切って自分の話を始めちゃう時とか、笑っちゃう。その時のフマのリアクションも可笑しくて。
このキッツイ物語の中で、あんな凄惨な光景の中でさえ、笑うことって出来ちゃうんだよね。

「月が落っこちて来たのかと思ったんだ」
「あれは月なんかよりきれいだよ」
「いや、それはない」っていう時のフマの落ち着いた言い方が印象深い。
美…って言うか「芸術」を崇めるバーブに対して、それは違うと諭しているんじゃないかな。
芸術は大切だけど、何よりも大切って訳じゃないよって。
これ、説得力あると私は思うんだ。
バーブは、悪い奴じゃないけど、言動が不安定で、迷惑な暴走をすることもあって、ホントお前あったまおかしい!なんも分かってねぇよ!って言いたくなる。こっちの苦労なんて全然分かってくれない。自分だけが苦しんでいるみたいな言い方をする。そんなこと言われたら傷つくよ。バーブのこと好きなだけに、傷つくよ…。

そう、そもそもタージマハルは、皇帝が「最も美しい」と言ってるから「美しい」ということになってるのであって、「美」の判断基準という点から言ったらバーブよりもフマの方がspontaneous じゃん。

手を切り、足枷を外して、放置するって…
どういうことだろう?

パンフ内容充実。
特に岩城京子氏の、現代社会における分断という現象について述べ、それを超越する可能性を「美」に賭けるという文章は興味深かった。
絵梨子さんと翻訳者小田島さんの対談からはエキサイティングな稽古場の様子が伝わってくる。絵梨子さんやっぱり配役は観客の予想の裏をかく発想入ってますよね!w
小田島さんがバーブについて「彼も無邪気なだけでなく、自然の美を重要視せずに人工的な美に執着するといった、歪んだ面を垣間見せるんですよね」と言ってるの、そうそう!って思った。
コードデザインスタジオ鶴貝さんとまいまい堂さんの、ことぜんビジュアルについてのページも嬉しい。

あゝ…パンフ表2にね、書いてありますね…
「タージマハルを最後の美にしたくない」
これはやっぱりね、演劇の人、芸術に関わる人なら…いや、私たちだって!思うよね。

そうか…
内田樹氏が権力は「権力は機能している」と人が信じることによって機能する、と言っている(バーブルとフマーユーンの名前が初代と2代目の皇帝と同じだという件にもここら辺の意味があるんだろうな)ように…
「美」は、その物自体が持っているものではなくて、それを美しいと思うところに在る…
その対象物とそれを見た(それに接した)人との間に生じる現象、と言えるのでは?
「演劇」「愛」と同じように。

ラストのフマの表情について整理:
プレビューでは、おそらく鳥の群れが飛んでいる上空を見上げてた。"希望" と言うには苦し過ぎるけれど、今も白檀の木の思い出が彼の中に在る(だからこそ苦しい)ということを見せてくれたラストになってたと思う。
本初日では、その顔からは白檀の思い出は消え去り、真っ直ぐ前を向いている。今はもう、彼はあの光景を見ることをしない。心の中に仕舞い込んで「強く」生きている。彼の世界を衛っている。
観る回によって印象違うかもしれないよね。チェックポイントだなー。


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