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(記事移植)第2回THE NEW COOL NOTER賞~12/10講評その3

みこちゃんの引退に伴い、コンテストの講評記事のみ、こちらに移植させていただきます。

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 エッセイ部門の講評となります。みこちゃんより、あずきさんの応募作品へ講評をさせていただきます。

 あずきさんの心の葛藤が、赤裸々に語られています。

 渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎 は賛否両論が激しい本ですね。

 家族からこの本を進められたあずきさんは、この本のタイトルに拒絶反応を持ちました。読んだことはないのですが、わたしも拒絶反応だと思います。

 でも、あずきさんは家族の気持ちへの感謝から、この本を読んだそうです。

 わたしはその時思いました。

 ありがとうとだけ言って、その本を読んだふりをすることだってできたはずです。でもあずきさんは、読みました。

それでも。家族からのせっかくの好意、無下にするわけにはいかない。

 わたしはこの言葉に感動しました。そして、あれ、あずきさんはすでに置かれた場所を肯定できているのじゃないかな、と感じました。

 家族から渡されたのだから読んでみよう。こう思えるということはすでに置かれた場所を肯定することの大切さはよくご存知なのではないかと、そう感じたのです。

 結果的に、私はその場所から離れることになりました。

 ということだったようですが、とても良いことだと思えました。

 植物と人間の違いは、植物はその場所で咲くしかありませんが、人間は環境を選ぶことができます。

人と植物では決定的に違うところがあります。それは「人は自分で環境を選ぶ事ができる」ということ。

 そうですよね、ほんとそう思います。

 例えば極端な話ですが、学校で自分の子供がいじめにあっているとします。その状況で「置かれた場所で咲きなさい」と、親は言っていいのでしょうか。いじめはよくないです。でもいじめを非力な親の力で根絶するなどできるわけもありません。その時は、転向させる手続きを進める。これが親の役目ではないでしょうか。

 そしてまた置かれた場所で、地道に幸せをつかむ。

 ただ、注意すべきなのは「環境が変われば大丈夫だ」と考えて、ジョブホッパーのように次々と転職を繰り返して、結局なにも身につかなかったというようなことだと思います。

 逃げるのではなくて、積極的に環境を変えること、そして変えた環境の中で必死に咲くこと。これが人間にはできます。

私はまだまだ成長途中で、花なんて一輪も咲かせられていません。だから、私の咲かせる花がどんなものなのか想像もつきません。大きな一輪の花なのか、たくさんの小花なのか…。それを想像すると、何だか楽しみで。だからこそ、また頑張ろうと思えるのです。


 もしかすると、あずきさんご本人も気がついてらっしゃらない部分もあるかと思い、僭越ながらみこちゃんがこの言葉を後押ししたいです。

 「私はまだまだ成長途中で」。言い換えれば、成長の途中であると実感できているのだということだと思います。成長できない環境でずっといるのではなくて、成長の途中であると実感できること、これは生きているという喜びそのものなのではないでしょうか。

 達成したことの喜びもすばらしいですが、達成しようとしていること、途中でということは前に進んでいることですから、そのこと自体もとても素晴らしいことだと思えます。

 家族の気持ちへの感謝からあまり惹かれなかった本を読んでみた。読んだふりはしなかった。そんなあずきさんだからこそ、新しい環境の中で置かれた場所で咲いていくのだという途中を実感できるようになったのだと思います。

 逃げるのではなくて積極的に環境を変えて、そして新しい場所で地道に咲こうとする。

 王道なのではないかなと感じて、感動いたしました。

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