見出し画像

ライターズ・ハイ

 ぼくが初期に書いていたのはマンスリー日記である生存報告だけだった。しかし、今では本当に僅かながらフィクションも書くようになっている。
 生存報告の方は物好きな知り合いが読んでくれている一方、フィクションはまだあまり数もないしたぶん誰にも読まれていない。まああんまり自信があるでもなし、それはそれでいいとして。
 それが、今度はコミケにサークル参加することになった。一次創作はちょっと敷居が高いので二次創作だけど、最近はそれをずっと書いている。

 その楽しいこと楽しいこと。どうやらぼくは原作に反していたりリアリティのなかったりするように書くのが苦手らしく、原作を何度も読み返して、素人レベルながらわからないところを検索し、ちょっとずつ書き進めている。
 どこからか浮かんでは消えていくアイデアを拾い上げ、繋がりを見出してくっつけたり、後から見つけたものの方がいいなとこれまでのものを破棄したり。それを通じて何かがどんどん形になっていくのを見ているのはとても達成感がある。この書き方だとどこか他人事だけど。
 入浴中、帰り道、布団に入ってから意識を失うまで、毎日どこかで作品のことを考えている。この後の展開をどうしようとか、遡って伏線を張れないだろうかとか、そして朧げに形となったものを、次にnoteを開いた時に吐き出すのだ。こうして考えているだけでも高揚してくる。こんなに何かに打ち込めたのはいつぶりだろう。

 最近は、締切の関係もあって二次創作の作品ばかり進めているけど、一次創作ものんびり書いているものがある。正確には複数。
 二次創作はどうしても他人の作品に寄生することへの申し訳なさをふと感じる瞬間があるから、一次創作をきちんと仕上げられるようになればいいなと思っている。
 ふと思いついたシーンとか導入を書き留めて、そこから少しずつ膨らませていくのがいつものぼくのやり方だ。それゆえに途中で止まったものがいっぱいあるのは悪い癖かもしれない。
 なお、そうした思いつきは、まさに降ってくるとかそんな感じがする。それが雲を突き抜けて空まで続く道を描きながら目の前に降ってきてくれるみたいだから、タイタン・インスピレーションと呼んでいる。目の前にタイタンが降ってきた時の、浮つくような、何かが動き始めるような、そんな予感はいつだっていいものだ。

 どうしてフィクションを書くようになったのかといえば、ある特別な読者がいたからだ。生存報告を読んでぼくの言葉を気に入り、それで紡がれたフィクションも読んでみたいと言ってくれた人がいたからだ。
 だから、願わくば、最初に読んでくれるなら今もあの人がいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?