#05 黄昏リマインド

 それはなんてこともないある日。いかにも春らしい気候で、どこかに出かけるにはちょうどいい日。私は誘った。彼女は応じた。ただそれだけ。後から思えば確かに楽しい日ではあったけれど、別に日付まで覚えているような訳じゃない、その程度のお出かけ。
 美術館からの帰り道。案外空いていた電車の座席にふたり並んで腰掛けて、ちょっと眠気を感じつつ電車に揺られる私に、彼女は次会えるのっていつだっけと聞いてきたのだった。んー、と。あぁ、君のいい日で構わないよ?融通が効くのは私の方だから。
 そう、考えとくと言った彼女だが、まだ何か言い残したことがあるようだった。虚空に指で円を描く仕草。これは彼女がしっくり来る言葉を探している仕草だ。もしくは、言うべきかどうか逡巡していることの表れ。
 どちらにせよ、催促したところであまり意味はない。これに気が付いたのはもうずいぶんと昔のことだ。私は流れる景色に目をやって、彼女が言葉を見つける――もしくは覚悟を決める――のを待った。そして、次の駅に着いて発車ベルが鳴り終わる頃、彼女はやっと話し出した。
 再来週のどこかで遊びたいんだ。午前中か昼頃に集まって、夜までずっと。そんなのを、さ。私に異論はない。これまでも似たようなことをしたことはあった。いいとも、どこか行きたいところは、と言いかけた私だったけど、続く彼女の言葉に遮られた。さっきのはあくまで切り出し。本題はこちらという訳だ。
 メンバーなんだけどね、その⋯⋯旧2班にさ、声を掛けたいんだけど、いいかな?嫌だったらやめるけど。私と目線を合わせない彼女の口から出た、どこか奇妙な響きのするワード。私の記憶と共鳴し、今では懐かしさと少しばかりの苦さを呼び覚ます言葉だ。
 高校であったディベート大会の授業で、偶然互いにまったく知らない者同士が同じ班になった。私は社交性のない人間だったから、こんな授業の課題なんて適当にやっておけばいいと思っていたのに、なぜか彼女を含む他の3人はすっかり意気投合したものだから、私もつい釣られてディベートの準備を手伝うことにした。そして、次第に彼女らの熱意に押されて自分も乗り気になったのだ。名目上のもので大した役割もなかったとはいえ、結局は班長まで拝命した。我ながら単純な奴だと思う。
 強固な論拠、予想される反論、鮮やかな切り返し。私たちはそれらをかなりの時間と労力をかけて準備した。放課後も4人でファミレスやカラオケに集まって遅くまで情報の整理や議論の練習を重ねた。その過程で私たちはだんだん親しくなっていって、作業がひと段落したらドリンクバーでオリジナルのドリンクを配合して、カラオケで歌った。
 でも、楽しかったのはその時だけ。他の皆は最初の私と同じようにこんな課題を真面目にやる気なんてなかった。内申が欲しかった奴は多少真面目にやったかもしれない。それでも、所詮私たちには敵わない。
 つまるところ、私たちはやり過ぎた。無双とか強者の孤独と言えば聞こえはいいけれど、相手チームや観客からの白けた視線を前に議論するのはちっとも楽しくなかった。そもそも議論と呼べたかどうか。それに気付かない先生が私たちを褒めても、居心地がさらに悪くなるだけだった。
 決勝だって何も変わらなかった。ぱらぱらとしたまばらな拍手に包まれて表彰状を受け取った時、互いにどんな顔をしていたかは覚えていない。覚えているのは、何度も4人で約束したはずの打ち上げを誰も言い出さなかったことだけだ。それで、受験が近づいてきたのもあってか、大会が終わった後は急に疎遠になっていったのだった。
 誰が、何が悪かったのかは未だにわからない。たかが学校の課題に馬鹿みたいに本気になった私たちだったのか、仮にも学校の課題を適当に済ませるに留めたクラスメイトたちだったのか、どこまでも鈍い教員だったのか。当時はこのことを考えなくもなかったけど、突き止めたところで今更何が変わる訳でもないし、そもそも答えなどないのだ。
 そうなった今も彼女と関係が続いているのは、疎遠になった後も度々連絡をくれていたからだ。私はわざわざ連絡してきてくれる人を無下にはしたくなかったし、気が合うのは確かだった。会うことはあまりなかったとはいえ、2月になって進学先を共有して祝い合うくらいには接点を保っていた。それからは今日みたいに会う日も増えてきた。
 けれど、それはいつも私と彼女のふたりだけだった。他のふたりの連絡先は登録してあっても、連絡を取ったことはしばらくなかった。たまにアカウントのプロフィールが変わったのを見て、生きてるなと思うくらい。それだけだ。彼女もそんなものだったのかまではわからないが、今までは話題に上ることすらなかった。
 少し心配気味にこちらの様子を伺う彼女に、しばしの沈黙を挟んで私は答える。旧2班、ねぇ。いいんじゃない?えぇと、誰かの誕生日だったっけ?私が忘れてるだけかな。少なくとも君の誕生日じゃなかったのは確かだと思うんだけど、どうだったかな。一転して嬉しげな彼女。その通りだよ。近い内にひとりあってさ、まだ会場も何も決めてないんだけど、再会を祝してって感じでみんなを呼んでやろうかなって。
 いいと思うよ。楽しんでくれば。自分でもどうかと思うほどそっけない声が出た。でも、あまり乗り気じゃないのは本心だ。驚いたように一瞬固まる彼女には申し訳ないと思うけど。
 プレゼントは君に預ける。近況報告なら君ひとりでもきっと事足りる。私のことはついで程度に話せばいい。私はそう続けたが、彼女はただふたりのことは嫌い?とだけ聞いてきた。別に嫌いじゃない。嫌いだったこともない。君を通じてふたりの近況がわかるなら興味はある。なら、と声を上げようとする彼女を制するように、私は言葉を重ねる。
 だけどね、4人よりは3人の方が予定を合わせやすいはずだよ。確かに、私はバイトもしてないから暇な日は多い。だけど遊びに行けない日もなくはないし、他の機会にいくらでも会える私よりはせっかくだからあのふたりを優先した方がいいんじゃないかな。
 それはそうかもしれないけど、と彼女は少し不満そうだ。そういうものだよ、と私は丸め込みにかかる。嘘は吐いてない。
 電車がちょうど駅に入った。速度を落として、正しい位置に停まった瞬間に訪れる静寂の中で、私のことは気にしなくてもいいんだよ。後で話を聞かせてくれればそれで十分。そうやって私は話を切り上げた。不自然過ぎただろうか。つれない私に焦ったのか、なんとしても話を終わらせたくなかったのか、まだ何か言葉を続けようとする彼女。発車ベルにも急かされたのか、さっきよりも忙しなく回る指先。それを邪魔するのはさすがに気が引けて、私は彼女の言葉を待った。今回はどちらだろうか。
 ドアが閉じて、空気が抜けていく音が聞こえる。それに促されるように、近況報告は建前に過ぎないんだ。旧2班のみんながこのままバラバラになるのが嫌なだけ、と彼女はぽつりと言った。電車が動き始める。
 班のみんなで集まって大会の準備とか練習してる間、あなたはわたしたちにとってリーダーだった。平等ではあったけど、あなたは確かにわたしたちを導いてくれた。困惑したような私の表情を読み取ったのか、まぁ、班長が名目上の役職ってのはそうかもね。むしろあなたは監督って感じだったから、と苦笑する彼女。でもその笑みも長くは続かない。
 そのあなたが打ち上げを言い出さなかった時、わたしはあぁ、終わったんだなって思った。ただ言い忘れただけとか、疲れてたり都合がつかなかったりで別の日に回そうとしたのかもしれないと思おうとはしたけど、何か決定的なものが壊れた気がしたんだ。そしたら、その後はぱたりと集まらなくなって、わたしの予感は正しかったってわかった。
 もちろん、自分で提案してもよかった。でも、拒否されるのが怖かった。拒否の感触をわずかでも示されることすら怖かった。予感を自分から確かめに行くのが怖かった。それに耐えられなくて、時間に答え合わせを任せたんだよ。
 班をまとめてたのは、私にできることをやってただけだと思ってた。私がいなくてもこの班は回るだろうとも。誰にでもやれそうなことで称賛の目を向けられることにいつも後ろめたさを覚えていた。
 わたしはそのことを受け入れようとした。仕方のないことだって。よくあることだって。でも完全には無理だった。学校でみんなを見かけるたびに声を掛けたかったけど、また拒否されたらどうしようと思うとそれもできなかった。確かに受験も近づいてたし、それを持ち出されたらわたしにはどうしようもないから。
 だから、と彼女は一旦言葉を切って私を見つめた。後悔と祈りの混ざった眼。そこに私はどう写るのだろうか。だから、わたしはそれを後回しにした。今が駄目でもまたいつか。これも時間が解決してくれることに賭けたんだ。そして、あなたが。あなたなら、またみんなを集めてくれるって。
 彼女は少し申し訳なさそうに、ごめんね、あなたの都合はお構いなしに話しちゃった。とおどけて言った。もちろん、打算だけであなたと遊んでた訳じゃないよ。ここでようやく、それはわかってる、とだけ私は返した。そっか。で、どうかな。来てくれる?
 深呼吸をひとつ。精神を落ち着かせるために。深呼吸をふたつ。言うべきことをまとめるために。でも、次に口を開いた時、そんなものはすべて吹っ飛んだ。
 君こそ、本当にあのふたりのことが好きなの?彼女の顔がまた固まる。何を言っているのか理解できないという表情。どうしてそんなことを言われてるのか理解できないという表情。
 さっきから聞いてれば、君が話してるのは結局自分のことだけ。また交流を復活させたいだなんて、そんなの君の都合に過ぎないってことだよ。私だけじゃない、あのふたりの都合こそお構いなしだ。急に誕生日を祝われても困惑するだけだとは思わない?
 あぁ、そんなことじゃない。私が言いたかったのは、言うべきだったのはそんなことじゃない。でも、一旦発した言葉はもう元には戻せない。回り出した歯車は止まらない。
 どうして君は昔の関係に執着するの?小学校や中学校にも友達はいたよね。その人達との関係だって決して薄っぺらなものじゃなかったはずだ。それでも、今はその中の何人と連絡を取ってる?そもそもその連絡先はちゃんと繋がるもの?
 それは、と彼女が何か言おうとしたが、私は構わず話し続けた。ここから話が発展したら、私はきっと耐えられない。今更本心なんて明かせるはずもない。
 ましてや、私だって君だって今は新しい友達ができてる。新しい生活があるんだ。それはあのふたりだってきっと同じだと思う。人生で出会う人全員と、それぞれ同じ深さの関係性を続けていくなんて無理なんだよ。誰かと別れなくちゃいけない。
 時間も体力も有限だってことはわかるでしょう?それなのに、君が考えてるのは自分のことばかりだ。君のはただのエゴなんだよ。
 ここまで吐き出した時、降りる駅名がアナウンスされてやっと私は我に帰った。言い過ぎた。ただ昔の仲間と集まりたいと言っただけでここまで非難される謂れなんてない。なのに、私はおぞましい防衛本能に従って、必要以上に彼女を責め立てた。それも、本心とはかけ離れたただの理屈で。
 さっきの誕生日を忘れたなんてのも嘘だ。彼女の誕生日も、他のふたりの誕生日も、私ははっきり覚えている。旧2班で唯一開かれた誕生日会。彼女の誕生日会。そろそろお開きという頃に、私たちは次は誰かなと互いの誕生日を聞いたのだ。今も携帯電話のカレンダーにはそれぞれ印が付けてある。ただ消されるだけのためにリマインダー通知を発するビーコンが。それでも私は嘘を吐いた。
 私にも彼女の気持ちはよくわかる。少なくともそのつもりでいる。でも認めたくない。目に入れたくない。話し出す瞬間、勝ったのはその怯えから来る願いだった。
 電車が駅に着く。さっきみたいに電車が止まって、反動がやって来て。彼女がごめんね、と小さく呟くのが聞こえた。彼女は何も悪くない。悪いのはどう考えたって私だ。でも、ドアが開いて、立ち上がった彼女からこれもまた静かにほら、降りよ、と促されて、私はそのままホームに降り立った。
 電車から降りて、無言で階段を降りる。私の隣に彼女はいない。ちらと後ろを見やると、私の少し後ろをゆっくり降りてくるのが見えた。私も彼女に速度を合わせ、ゆっくり降りていく。どこか悲しげな、沈み込んだような表情。さっき乗ってきた電車やその乗降客はもうとっくにいなくなっていて、駅舎はとても静かだった。
 やがて階段を降り終えると、改札が見えた。一緒にいられるのはここまでだ。私はこの改札から出てバスに乗り、彼女は階段を降りて地下鉄に乗っていく。ここまでどちらとも終始無言だった。やっぱり謝ろう。そして、多少なりとも円満に今日は解散しよう。そう思った私が立ち止まって振り返ると、彼女は思ったよりも近くにいて、さっきまでの沈んだような様子が嘘のような激情を湛えていた。思わず怯んで片足が後ろに下がる。
 そうだよ、これはわたしのエゴ。どうしてこんなことしてるのかは自分でもよくわかってないけど、だとしても。わたしはこれを諦めたくない。こちらに向けられた彼女の眼差し。こちらをきっと睨み付けるような、獰猛さを秘めた眼。自分はもう選択を済ませた、次はおまえだと挑んでくる眼。もうそこに後悔と祈りはない。
 とっくに終わってるかもしれないけど、あるとすればこれが最後の機会だと思うんだ。だから、あなたの力を貸して欲しい。わたしは誘う。みんなは応じる。あなたも応じる。頼んだからね。
 ここまでまくしたてると、彼女は私の返事を待つことなく踵を返してずんずんと歩き出し、あっという間に階段を降りて消えていった。後に残されたのは私ひとり。いつだってそうだ。彼女は私の手が届かないところに行ってしまう。もちろん、追わなくったっていい。その必要もない。
 そんなことは知っている。鳴り響く理性のアラートだって聞こえてる。進むべき道筋もはっきり見えてる。わかってる。わかってるんだ。でも、私は彼女を、彼女の輝きを、彼女の輝きに魅せられた私自身を否定したくない。それだけは、どうしても偽れない。
 私の金縛りが解ける。眼の呪縛が解ける。電光掲示板によれば、彼女の乗る方面の電車はまだいるはずだ。手に持っていたスイカをポケットに突っ込んで走り出す。1段飛ばしに階段を駆け下りていると、発車ベルが流れ始めた。1段飛ばしから2段飛ばしにギアを上げた私を見て、階段に何人かいた降車客が驚いたような表情で飛び退く。
 刹那、彼らの間に開けた道を駆け抜けて私はプラットフォームに降り立った。ドアから離れるよう促すアナウンスも終盤に差し掛かる頃になって、私はどうにか最寄りのドアに飛び込む。すっかり息切れした私のすぐ後ろでドアが閉まり、電車は緩やかに動き出した。
 外から駅の灯りが消え、トンネルの闇が取って代わる。がらがらの車内。微かに揺れる床を踏み締めて進む。ドアをいくつか開けた先、やっと彼女の姿が目に入った。誰もいない座席の真ん中にひとり座り、俯いた姿。ドアを開けた音が聞こえたのか、気怠げにこちらを見やった彼女の眼が見開かれる。
 ずんずんと近づいてくる私を見て、彼女の口からどうして、と声が微かに漏れる。その先が出てくる前に、私は彼女の横に腰を下ろした。まだ混乱したような彼女の視線を感じるけど、私はまっすぐ前を見る。窓ガラスに反射した私たち。感じるのは、例のあの感覚。フランス語でしか言えないあの感覚。でも今は、記憶と違ってここにいるのはふたりだけ。ふたり少ないふたりだけ。
 ごめんね。さっきはちょっと言い過ぎた。第一声は自分で思っていたよりも穏やかだった。結局さ、私も君と同じなんだよ。理由がエゴって点ではね。まるで自分だけが正しい立場にいるみたく君を批判するなんてできっこないんだ。話しながら脚を伸ばす。久しぶりの全力疾走の疲労が、今はむしろ心地いい。彼女は黙って聞いている。
 もちろん、違う点はある。君は、その理由を隠さなかった。それを私にぶつけてきた。殴り倒して昏倒させるような勢いでね。彼女はふふと笑って、嫌だった?と窓ガラス越しに聞いてきた。いいや。むしろいい気分だったよ。目が覚めたって感じかな。私はね、その理由を覆い隠した。目が覚めなければ、それこそきっと最後まで隠してたと思う。そこが違いだよ。自分でもわかってはいるんだ。でも隠した。
 あの表彰式の後、私たちは急に疎遠になった。私も当時は残念に思ったよ。思いはしたけど、どうすればいいかわからなかった。それで、時間が解決してくれるだろうって、私もそう思うことにした。
だけど、そうはならなかった。しばらくして、私はそのことを理解した。時間だけじゃどうにもならないってことを。何かの作用でもなければ何も起こり得ないってことを。
 いや、違うか。自嘲の乾いた笑いが漏れる。時間は何ももたらさないって訳でもない。ある意味では、時間はこのことを解決に導いた。手遅れって段階まで風化させることでね。
 私は何か手を打たなくちゃと焦った。でも、君と同じようにもし拒否されたらって思うと何もできなかった。そうやって葛藤してる間も焦燥は消えない。毎日私たちの繋がりはほどけて薄れてく。それでね、私は。ここでひとつ息を吸い、ゆっくりと吐く。今度はきっと大丈夫。諦めることにしたんだ。
 こうなったのを、この終わりを、自分じゃない他の何かのせいにした。時間でも、運でも、なんでもよかった。とにかく、どうしようもない何かのせいにしたかったんだ。
 そうやって、私の中であのことは解決された過去のことになった。他のたくさんの物事と同じように、過ぎ去ったものとして処理された。そこに君が、それを掘り返しにやってきたんだ。
 邪魔だった?余計だった?申し訳なさそうに彼女が聞く。まぁ、否定はしない。でもね、さっきあんな酷いことを言ったのは、ただ自分のためなんだよ。行動しなかったことを、責任を捨てたことを、諦めたことを何かから責められたように感じたからだ。罪から目を逸らしたかったからだ。
私の手に彼女が手を重ねた。温もりのある手。決して大きくはないけれど、私を優しく励ます手。それに後押しされて、私は付け足した。そしてね、もうひとつ。
 それでもこればかりはどうにも気まずくて、首を不自然に彼女から背ける。君が眩しかった。私を縛ってたものすべてを振り払って突っ走る君が。私にはないものを持つ君が。ずっとそうだった。その輝きがあまりにも眩しくて、直視できなくて、向き合う覚悟がなくて、私はまた逃げたんだ。ここまで一息に言い切った。反応を確かめるのがちょっと気まずかった私の耳元で、彼女の声がした。
 そっか。わたしって憧れられてたんだ。嬉しそうに彼女は笑った。実はね、わたしもあなたを眩しいと思ってた。誰よりも頼りになって、心強くて。どんな時でも活路を見出してくれるあなたが。
 でもね、と彼女の声が遠ざかった。私もついつられて彼女の方を向くと、彼女は体を戻しさっきまでの私みたいにくつろいで前を見ている。そこまで難しく考えなくていいと思う。あなたはきっと、どうしようもない終わりに身を任せなくったってやっていける。あなたひとりだけが背追い込む必要はないんだよ。諦める前に、誰かが力になってくれる。あなたも薄々わかってるんじゃない?だから、完全に諦めるなんてできないんだ。
 そんなこと、と反論しようとした私だったけど、静かな空間を切り裂いて鳴る通知音がその言葉に取って代わった。確認すると、画面の通知一覧には、今年も消される定めだったはずのリマインダー通知が届いていた。続いて、同じ音が彼女の方から聞こえた。はっとして目を上げると、満面の笑みを浮かべた彼女が通知画面を見せびらかしてきた。そこには、私のものとまったく同じ通知。
 そうだ。あの誕生日会で予定を書き込んだ時刻は、あくまで存在自体のリマインダーだからって設定したままにしていた予定の時刻は、ちょうどこの頃だった。ほら、ひとりじゃないでしょ?と彼女は得意そうに私の端末の通知をタップした。いつもタップしてから横滑りさせるだけだった私の指。躊躇うことなくタップしてすぐ離し、仕込んだリンクからメッセンジャーアプリを起動させた彼女の指。
 ほら、と返された端末のトーク画面で、驚くほど私の指は軽やかに動いた。久しぶり。突然だけど誕生日会を開くのはどうかな。旧2班のみんなで。打ち終えて送信し、パワーボタンに私の指がかかったその瞬間、小さな既読表示が私のメッセージに付くのが見えた。

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