#12 敗走アンタゴイズム

 最後の音が消える。最後の光が消える。そして束の間の静寂と暗闇の後、灯りが点く。人の声がする。衣擦れの音がする。わたしは現実に戻ってくる。
 と言えば聞こえはいいけれど、実際にそんな静謐な経験をしたことはほとんどない。まあ、敬意の示し方は人それぞれだし、示さなくてはならない訳でもない。
 この有様に心を痛めつつも、こんなこと思うなんてただ気取ってる嫌な奴ってだけか、とそんなことを思う。そして、理由は何にせよ彼がまだ隣にいることに安堵した。あらゆる点で同じでいたいとは思わないしできないけれど、同じだと嬉しい点だってある。
 体を起こすと、すっかり強張った体から不安定になるような音が鳴った。もう歳かな。この音を聞かれていたら、こいつはきっと楽しそうにわたしをからかってくるぞ。そっと彼の方を見る。
 彼はまだ座ったままだ。スクリーンの方をぼんやり眺めているのは一種の放心状態って奴だろうか。どうだった?と聞いて、漠然とし過ぎてたなと音速でこっそり反省するわたしに、うぅむと悩む素振りの後で、最後に宿敵の体が消えた理由がわからなかった、と彼は答えた。
 そうか、それもそうだよな、とわたしは今更ながら思い至って、自分にわかる限りで解説を試みた。君がまだ観てない作品を観ないとわからないかもということ、これはその宿敵が善に帰ってきたことを指すのだと思うということ、でも正直完璧にはわからないということ。
 彼はわかったようなわかってないような風だったけれど、とりあえず他のも観てみるよ、とコーラの容器を掴んで立ち上がった。私はどうせ自分が上映中に飲みきれないとわかっているから、買ったのは彼だけだった。
 携帯電話を起動すると、ねぇこっちを見て!とばかりに溢れる通知の上に、もう夕方と呼べる時刻が映った。さて、夕食はどうしようか?そんなことを考えつつ、もうすっかり癖になった動きでくるくると携帯を掌の中で回し、ポケットにつっこんだ。
 彼の視線もそれを追う。なにそれ、ガンアクション?ふふ、かっこいいでしょう?そんなことを言ってみたけど、もはやこれはわたしにとって無意識の癖になっていた。現実に戻って次の行動へ移るための儀式。両の手を空にして歩き始めるために必要なもの。
 振り向いた彼から少し残ってるな、いるかい?と差し出され、わたしは反射的にストローに吸いつく。ペットボトルキャップ1杯分あるかないかといった量のコーラが流れ込んできて、まだ辛うじて冷たいと呼べる温度の炭酸が私から最後の余韻を洗い流す。ごちそうさま。

 それがいつのことだったかは思い出せない。でも、小学校の5年生か6年生の頃だったと思う。きっかけは、たぶんキャラクターの1体だ。それがなんだかとてもかわいらしく思えて、いろいろ調べた。そのキャラクターは機械だったけど、同じ機種の別個体がいっぱいいることや彼らはみんな塗装や性格が違うことを知った。とにかく、これを機にわたしはその物語と出会ったのだ。
 それから、わたしはやっとその物語を追い始めた。すぐにのめり込んで映画を全部観たけれど、それはあくまで本編でしかなく、スピンオフのアニメや小説もあって、ファンが作ったストーリーもたくさんあることがわかった。小学生の私が二次創作という概念を知った瞬間だ。
 その物語が、とうとう最新作の映画を撮ることになった。それに合わせてアニメや小説、漫画やゲームが次々と展開された。決して国民全員が詳しく知っているような作品ではなかったけれど、それでもわたしやファンからすればお祭り騒ぎだった。
 そして、いよいよその映画が上映された。わたしはそれを上映初日に観に行った。わたしとこの物語との関係にまた一区切りがつく。不満点はあったけれど、終わったということに最初はすべてが塗り潰されていた。
 彼と共有できるものを増やしたくて、わたしはこの映画を彼に勧めた。名前くらいは聞いたことあると思うな。わたしの大好きな作品なんだけど、どうかな?観てみる気はない?半分以上は駄目元だったこの誘いに、彼はあっさりと首肯を返した。いい機会だ、観てみるよ。それで⋯⋯どれから観ればいいかな?わたしはすっかり張り切ってレクチャーを開始したのだった。

 これはわたしだけのことかもしれないけれど、自分の好きなコンテンツを布教する時って、ちょっと諦めが混じっている。これ観てみない?と勧める私と、長そうだからなーとか複雑そうだからなーとか返す友達。ここまではいわばテンプレートで、別に期待もしていないから失望もしない。この話はこれで終わって、すぐに別の話題に取って代わられる。お約束というか、じゃれ合いというか、そんなちょっとした儀式。
 だから、彼の素直な肯定は拍子抜けするもので、むしろ面食らったのはわたしの方だった。えっ、いいの?と間の抜けた声を出したわたしと、こてん、と首を傾げて戸惑う彼。観て欲しいんじゃなかったの?
 もちろん作品自体に興味はあったのだろうけど、彼もわたしと同じように思っていてくれたら嬉しいな、と思った。何かを一緒に好きだって、美しいって、楽しいって思ってくれる人。そのことにも喜びを感じられて、相手もそう思ってることがまた嬉しくて、そんな無限の合わせ鏡を持っている人。今だってそうだし、もっともっと通じ合える部分を増やしたい、って。
 彼は、どんどんその作品を履修していった。わたしの目からも彼が心から楽しんでいてくれていることがわかったし、彼にとってその作品が「恋人の好きなもの」だけじゃなく「自分の好きなもの」になるまでにそう時間はかからなかった。自分の好きなものを誰かが好きになっていくところ、いわゆる"沼にはまって"いくところはいつ見ても楽しい。それが自分の好きな人なら尚更だってことをわたしは知った。
 年季の差はすぐに埋まるようなものじゃなかったけど、それでもふたりでできる話は増えていった。推しのキャラ、お気に入りのシーン、好きな言葉。そうした話ができるのは単純に楽しかったし、私も知っている同じものに対して彼がどう感じるかというところもだんだんわかってきて、こうやって彼を感じられることがとても幸せだった。解釈や感想の違いですら、わたしには新鮮なものに感じられた。

 君が好きな主人公もいいけれど、やっぱりあの時観た宿敵がかっこいいなぁ。敵として描かれてはいるのに、憧れてる人との差や周囲からの期待に苦悩するところがいいんだ。いつかとはまったく違う熱意でわたしに語ってくる彼。そこに気付くとはやるねぇ、と深く頷くわたしを見て、彼の笑顔がぱあっと明るくなった。
 それなら⋯⋯このキャラも好きなんじゃない?まだ君は知らない――いや、大昔の小説のキャラだからそれは無理もないんだけどさ――はずだよね。でも、たぶん刺さると思うなぁ?結局、わたしの予想は的中した。わかりやすいひと。
 それが、この作品について思い出せる限りわたしと彼との最後の会話だ。

 そこは、戦場ではなかった。そこに行くために乗り込んだのはガンシップではなくてモノレールだったし、履いていたのは軍靴ではなくスニーカー。それでも、わたしにとってそこは死地になった。
 わたしの魂は間違いなく敗北を認めていて、それは劇毒のような呪いとして深く刻まれることになる。

 見渡す限りの人、ひと、ヒト。その誰もが自分の望みのことばかりを考えている。それはわたしだって同じだな、と自嘲しつつ、わたしは長い長い列に並んだ。逆四角錐の伏魔殿は遥か遠く、わたしの横にそびえるのは映画に出てきた寺院のような建物だった。見上げた寒空はどこまでも鼠色で、わたしは風に震えてすぐに縮こまる。
 わたしがここに来たのは、ごく少数限定で頒布されるという例の作品のグッズを求めてだった。きっと再販されることはないだろう。一緒に来るような人はいなかったから、こうして単独潜入を試みている。手に入らなかったものや失って取り返しのつかないものに魘されるのは、もう嫌だった。
 全体的に黒い人の大河はどこまでも続いているようで、ここからはどう流れているのかも終着地がどこなのかも見ることはできない。わたしにできることはただ待つことだけで、行き場を失ったアドレナリンが血管の中で暴れているみたいだ。
 時間の流れがひどくゆっくりに感じられた。こうしている間にも手遅れになっているような気がして、わたしの身体を包み込む焦りと不安が膨れ上がる。何かしようにもできることはない現状が、焦燥感をさらに加速させる。
 大きく動きがあるはずもないのに、SNSを無意味に何度も更新するのをやめられなかった。わかってはいても、何かしていないと落ち着かない。周りの人々の誰も彼もに話し相手がいるように思えて、やり場のない仄暗い感情が渦巻く。
 携帯電話を構えていないと何かに押し潰されてしまいそうで、わたしは現実を攻撃的に拒絶して生き延びようとしている。それを手放した時にちっぽけな自分ひとりで世界と向き合うのが、こんなにも恐ろしい。それならば、この携帯電話はちょうど銃みたいな武器だった。
 やがて、どこからともなくぱらぱらと手を叩く音が聴こえてきた。まばらだった拍手は瞬く間にその場の全員へと伝播し、季節外れの豪雨みたいな音が空間を支配する。それは、開戦を告げる法螺貝であり、突撃を報せる喇叭だ。ドラマチックでダイナミックな変化は起こらなかったけれど、それでも空気が変わって、ぴりぴりとした予兆を感じ取れる。
 その時が来た。まるでひとつの生き物のように、川が流れ始める。空に浮かぶ逆位のピラミッドがぐんぐんと迫り、影をわたしの頭上に落とす頃には高揚感に足を動かされていた。人混みを掻き分けて、目指すゲートへと進んでいく。目指す場所はもうすぐのはずだ。エスカレーターを降りて広いホールを抜け、さらにその先に切り取られた外。差し込む心許ない陽光に照らされた目的地が、わたしの眼に入る。

 わたしの目当ての品がひっきりなしに売られている。コスプレのお姉さんが金と引き換えに紺色のビニール袋を渡し、次の客がそれに取って代わるまで、ほんの10秒くらい。そこでは、10秒ごとに希望がひとつ失われていた。
 慌てて探した最後尾はすぐに見つかったけれど、列がどう形成されているのかはわからない。わたしの前に何人いるのか、在庫がいくつなのか、やっぱりわからないままだ。完売しましたー、という声が今にも聞こえてくるようで、また不安でいっぱいになる。心臓は肋骨を突き破りそうなくらい脈動していて、心音がうるさいくらいによく聞こえる。
 まあでも、結論から言うとわたしの心配は杞憂に終わった。列はぐんぐん進み、あっという間にレジの前まで来た。目の前で売切れるなんてありふれた悲劇が起こることもなく、あっさりとわたしはこの日の目標を達成してしまったのだった。
 わたしが去ったあとも、客がやってきては去っていく。客の流れは終わりのないように思えたけれど、しかし在庫だって山ほどあるようだった。千という数を分析するのに、わたしではまだ未熟だったみたい。
 この日はまだ始まったばかりで、まだまだ祭りは終わらない。最重要目標こそ達成したものの、いくつか気になっているところはあったし、それにこういうイベントは目標を定めずにただ雰囲気を楽しむのだって醍醐味だ。その中に運命の出会いが落ちているかもしれない。
 そんな浪漫を抱えて、わたしは歩き始めた。手にかかる戦利品の重みが、歩みに合わせて小さく揺れる重心の移動が心地よい。これまでの不安がすべて裏返って、底なしの安心感がわたしを満たしている。プレッシャーが消えたあとの解放感が、足取りを軽くさせた。まあ、道はどこも混んでいたから歩行速度は依然として遅々たるものだったけれど。
 道どころかそこかしこに人がいる。歩いて、買って、売って、話して。この様子だと、かつて人々が雲を作り出したという都市伝説だって信じられそうだ。今が冬だとは思えないな、と上着を1枚脱いだところで、そういえば今日は大晦日だったことを思い出した。今日という日に対して1年の最後の日ではなくイベントの開催日という認識が最初に出てくるあたり、世間からはちょっとズレている気がする。
 壁際には、すでにたくさんの人が立っている。閉会の時に、早い者勝ちでポスターを剥がして持って帰っていいのだとどこかで聞いた。彼らの内の何人かはそのポスターを狙っているのだろう。まるで舞浜の地蔵みたいだ。彼らの横で背負っていたリュックサックを降ろし、水筒の蓋をきゅるきゅる回した。
 アドレナリンの余韻で火照った喉を、よく冷えた水が流れ落ちていく。喧噪の届かない天国の外で、柱に支えられた空を見上げる。今年はずいぶんめちゃくちゃな年だったな。終わりよければすべてよし、だなんて言うけれど、それなら始まりはどんなに酷くったっていいの?とこの言葉を言い出した奴に言ってやりたい。きっと、嫌なことの記憶がずっと尾を引くことなんてない人が考えたのだ。嫌なことを一日に何度も思い出すという項目に、まったくあてはまらないと心の底から正直に答えられる人間。ものすごくリアリティのあるフラッシュバックの夢で目が覚めたことがない人間。
 そんな風に黄昏てみても、時間はちっとも進まない。それこそ苦しみがフラッシュバックしてくるだけだ。でも、せめて最後にいいことはあったのだから、これで相殺できたらいいなと思って思考を終わらせた。どうせまたすぐに考え始めるのだろうけど。
 ポケットからスマートフォンを取り出してSNSを眺めていると、やっぱり今日はこのイベントのことで盛り上がっている。設営完了したとか、今日はどのコスプレイヤーに売り子で来てもらったとか、売り切れたとか、修正を注意されて頒布できなくなったとか⋯⋯。家でこれを眺めていても空気感はある程度伝わってくるけれど、現地にいるのはやっぱり違うものがある。これを買いに来た、というのよりは――今回みたいに何か目当てはあるのだから間違いではない――名状し難い体験をするために来ているという面もあるのだった。
 自分がフォローしているユーザーがイベントに参加しているかどうかを抽出できるサービスがあったのを思い出した。膨れ上がったフォロー欄と複雑怪奇な公式の仕様、すぐ消えるわたしの記憶を相手取るには心強い味方だ。抽出したアカウントの中からいくつかピックアップしてホーム画面を覗くのを繰り返していると、だんだんこれからの動き方が決まってきた。効率的に巡回できるルートが脳裏に浮かび上がってくる。
 よし、行動開始だ。スマートフォンをくるくると回し、ポケットに滑り込ませる。

 今いるホールを出て、少し離れたところにある別のホールへ向かう。途中で、わたしが今いる場所を知った友人からおつかいの依頼が来て、それもルートに組み込んだ。巡礼の旅は時間がかかるものだったし売り切れていたものも少なからずあったけれど、未知との遭遇は楽しい。
 高校生の頃にも来たことはあって、その時よりもいくらか使える金は増えている。だから、通りがかりにふと気になった本をぱらぱら捲り、それで買うこともできるのに我ながら成長を感じた。ほんの少しずつ、薄い本を突っ込むたびにリュックサックが重くなっていく。
 途中で休憩もしたけれど、レストランみたいなところには行かなかった。今リュックサックの中にある飲食物は水筒とさっき貰ったエナジードリンクが2本だけ。水よりエナジードリンクの方が多いってどんな状況だよ、とひとりツッコんだ。答え、オタク向けのイベントに来た時。
 こういうところのレストランはテーマパークみたいに割高な印象があって、そんなに払ってまでお腹を満たしたいとは思わない。もちろんお腹は減っているけれど、我慢できないレベルじゃない。
 エナジードリンクも飲む気にはなれなくて——このまま持ち帰って徹夜する日やつらい日のために取っておきたかったからだ——水ばかりをちょびちょびと飲む。それは、水を飲むというより乾いた喉を湿らせる感覚に近い。なくなってしまうことばかりを恐れている。わたしっていつもそうだな。
 時間は昼をとうに過ぎている。会場の熱気はこれまでよりも落ち着いてきたように見える。朝から来た猛者たちがだんだん目的を終えてきたのだろう。もちろんまだまだ人が少なくなることはないだろうけれど、落ち着いてきたのは確かだ。
 ふと、最重要目標のサークルのアカウントを開いた。ここに来るまで、今は傍らにある戦利品を手に入れるまではずっと見ていたアカウント。もう今は通知に怯えるどころか気にすることもなくなっていた。そういえば、もう売り切れたのかな?
 驚くべきことに、まだ売り切れてはいないらしい。公式からの発表はないし、一般ユーザーの投稿を見てもまだ残ってるらしいよ!みたいに在庫アリを補強する情報がたくさん流れてくる。信用してもよさそうだ。
 もうめぼしいところはだいたい見てしまったし、かといってこのまま帰るにはなんだか名残惜しい。とりあえず、最初のところまで戻ろう。そこらへんを散歩していよう。わたしはそう思って歩き始めた。
 そんな時だった。

 時が止まったかと思った。
 周囲の音はすべて消えて、静止した時の中でたったひとりだけが動いていた。そいつはわたしに向かって歩いてきている。今も綺麗な瞳。かつてどこまでも近くにあった瞳。もうわたしがそこに映ることはないと思っていたのに、その眼はわたしを映しているのが見えた。一瞬だけ、目が合ったような気さえした。
 だけど、降りてきた瞼がワイパーのようにその影を押し流した。まるで、あくまで別のものの背景として、情報量のない薄っぺらな画像として処理したみたいに。ずいぶん久しぶりに見る彼は、動けないわたしの右を通って消えていった。手を伸ばせば届きそうなくらい近かったのに、どこまでも遠くにいるみたいだった。
 彼が視界から消えて時が動き出し、その時になってやっと呼吸していなかったことに気づく。周囲からしてみれば何もないところで急に立ち止まった空気の読めない奴なだけだから、人々はわたしを避けて歩いている。わたしを追い越した人が微かに眉を顰めるのが見えた。周囲の時間は動いているのに、わたしの時間だけがまだ止まったままかのようだった。
 わたしの身体は急に息の仕方を思い出したらしい。内蔵をぎゅっと締め付けられるような感触と共に、これまでサボった分を取り返そうとしているかのように呼吸が荒くなって、嫌な汗が流れる。全力疾走してきたあとみたいに、身体が酸素を切実に求めている。足が震えて、今にも崩れ落ちそうだ。
 よろめきながらその通路を去って、少し前と同じように壁のあたりまで辿り着いた。今度は本当に壁にもたれて呼吸が収まるのを待つ必要があった。それと、はち切れそうな程に暴れまわっていながら痛いくらいに締め付けられている気がする心臓も。
 少しすると、だんだん身体の異常は落ち着いてきた。でも、わたしの内側にはまだ消えない嵐のようなものが吹き荒れていて、それがわたしをどうしようもなく心細く不安にさせた。身体が重く寒く感じられて、急にどうしようもない孤独を感じる。私の身体に穴が空いて、あらゆる幸せや温かいものが流れ出ていくようだった。
 どうしてこうなったのかといえば、そんなことはわかりきっている。因縁のある元恋人と遭遇したからだ。わからないのは、いや受け入れられないでいるのは、そうして感じたのが憎悪や憤怒より先に恐怖だったことだ。

 彼との終わりを円満だったと表現することはお世辞にもできないだろう。むしろ、それとは程遠いものだったと思う。これまでに友達から聞いたことのある話と比較してもトップクラスに酷い。
 まあ、わたしの方に悪かった点がないとは思わない。かといって彼に謗られるべき点がなかったとも思わない。その比率は置いておくとして、双方に責任はあった。だからどっちが悪いなんてものは意味のない議論だ。
 その結末がこうなってしまったことへの後悔はずっと拭えないでいる。互いにもっとうまくやれたんじゃないかとか、ああしていなければ何かが変わっていたんじゃないかとか、そんなもしもばかりが浮かんでは消えていく。
 でも、それが届くことはもうない。彼はわたしを徹底的に拒絶して、縁は完全に断絶されていたからだ。わたしはそれを望まなかったけれど、人間関係は両方ともが望んでこそ成立するものだ。絶たれた縁を繋ぎなおすことも、縁が絶たれるのを止めることも、わたしひとりには叶わなかった。
 悲しみの次に来たのは、わたしを捨てた彼への怒りと憎しみだった。彼はわたしを傷つけたことなどまったく気にしていないみたいだったし、いくつかの言葉については言ったことを覚えてすらいないと彼自身が言っていたくらいだ。そのことを受け入れることは、わたしにはできなかった。わたしたちの関係がそうなってしまったことへの悲しみは、怒りに焚べられる燃料となった。
 でもまあ、もう会うことはない。勝ち逃げされたみたいでどこか悔しいけれど、また会ったところで物事がいい方向に進むかはわからなかった。口火を切った側である彼がわたしに向ける感情こそ、わたしのそれよりももっと深い憎悪か敵対心なのだろうから。記憶が風化するのを待つのが最適解に思えた。そう思っていた。そのはずだった。
 でも、わたしは忘れていたのだ。彼とわたしの間にはたくさんの共通言語があったことを。

 そのツケが今日になって襲ってきたということになる。思えば予想して然るべきだったのだろう。わたしだって欲しい。それなら、彼だって欲しいことに不思議はない。あの作品が「彼自身の好きなもの」にもなったと言ったのはわたし自身だったじゃないか。今にも吐きそうな気分になる。
 だけど、こうしてとうとう対峙した時、最初に感じるのが恐怖だったのは正直予想外だった。思っていたより傷つけられた記憶が強かったらしい。フラッシュバックに襲われて、わたしは会話どころか認識すらされていないのにこの体たらくなのだから。
 過去の記憶が呪いのように今のわたしを蝕んでいる。そう理解ができたところで解決するのは難しい。記憶への対処法は上書きしかないのに、その機会はもう訪れないからだ。それこそ、どちらかが死ぬまでこの呪いを解くことはできない。でも、そうわかっているなら地雷を踏まないようにすればいい。
 そう思ったところで、ぞくっ、と背筋が震えた。周囲の気温が急に下がったみたいに、悪寒がわたしの身体を包み込む。できることなら倒れ込みたいくらいだ。また呼吸と心音が荒くなり、心臓の痛みが身体を重くする。虚ろな身体の内壁を酸に灼かれ溶かされているような粘つく痛みが消えない。そんなおいしい話が本当にあるの?
 そうだ、これは最初であっても最後じゃない。この作品は、この作品の展開はこれからも続く。こうしたエンカウントはこれからも起こり得るだろう。なら、わたしはこれからずっと怯えていないといけないの?今回は気づかれずに済んだけれど、いつか本当に遭遇してしまったら?
 そのことを考えずにはいられない。これは彼が悪いのではないことくらいわかっている。彼に悪意があろうとなかろうと関係ない。今わたしを苦しめているのはその記憶、影に過ぎない。私に巣食って根を張った亡霊。だから、これはわたしの問題だ。
 それでも苦しみは止まらない。わたしがこの作品を好きでいる限り、そこに彼は必ずいる。出会うことになる。わたしが否定される記憶と戦わなくてはならない。その絶望から解放されるための選択肢はただひとつ。
 わたしは、それでもその作品を好きでいられるだろうか?

 わたしは、今にもまた目の前に彼が現れるのではないかという恐怖に怯えつつも、多少回復した身体を引きずって最初のところまで近づいてきていた。すべてを生み出した神とでも言うべき存在が、大好きなキャラのコスプレをしたお姉さんが、今手に持っているのと同じものたちの山が、たった十数mしか離れていないはずのそれらが、今や遥か遠くにあるかのように感じられた。さっきまでいたはずの場所なのに。
 わたしが怖いのはそれだった。つまり、自分の好きという気持ちが何かを憎む気持ちに引っ張られて消えてしまうことが怖かった。それは今度こそ本当に私が敗走するということだからだ。
 作品とわたしの間に、その記憶は入り込んでくる。好きなキャラにダブって、別の人間を幻視する。好きな台詞に重なって、別の記憶の幻聴が流れる。嫌な感情が澱のように積み重なって、わたしの気持ちが侵食されてしまうことを自覚しながらも、それは止まらない。
 悪感情に呑まれて自分の好きな場所から敗走した経験は、それと同じ可能性をどこにでも幻視させる。最後には、何かを好きになることすら躊躇うことになるかもしれない。
 心から楽しそうに笑っている他のファンたちを見ると、また胸の痛みを感じた。一切の憂いも恐れもなく作品に浸れることが、湧いて出てくる楽しさを分け合える相手がいることが、どうしようもなく羨ましくて妬ましい。それは彼の姿でもある。
 止まった時の中で見た彼の手には、わたしの手にぶら下がっているのと同じ袋が吊られていた。その光景が、もう逃げ場はないのだということをわたしに突き付ける。彼が私に合わせてくれていただけならどんなによかっただろう。もう本当に、どうすればいいのかわからない。
 終わりのない思考は、わたしをどっと疲れさせていた。リュックサックも手のビニールも、その重みが十字架のようにわたしを苛んでいる。今すぐどこかに消えたいのに足が重くて動かない。それでも、今日はもう帰ろうと思って乗換案内を調べることにした。
 臨時バスはもう運行を開始しているみたいだ。この時間帯なら乗客も少ないだろうから、あまり待たずに乗れるはず。目当てのバスの時間を記憶して指をパワーボタンに伸ばしたちょうどその時、スマートフォンが震えて小さな窓がすっと降りてきた。
 通知は、例の作品のサークルからのものだった。そろそろ完売なんで、もう少ししたらポスターの配布やります!勝者総取りのじゃんけん大会やるから、欲しい人は集まってねー。反射的にサークルの方を見ると、あんなにあったはずの袋はもう残り少ない。列もすでになくなっていて、ふらっと立ち寄ればすぐに買えるような状態だった。
 その2枚のポスターはここからでもよく見える。主人公と宿敵がそれぞれ描かれていて、添えられたサークル名とスペース番号が非売品であることを声高く主張している。世界に1枚ずつしかない、貴重なグッズ——そう言えるのなら——だ。ファンとしての血が騒ぐようだった。あれを部屋に飾ることができたらどんなに素敵だろう!

 しかし、その高揚すら無惨に踏み躙られた。ポスターを狙って集まってきた人々の中に、わたしの眼はまた彼を捉えてしまったからだ。消化しかけの朝ご飯が食道を逆流する時みたいに、どろどろの思考がせりあがってわたしの脳を満たしていく。
 整理できていたなんてのはまやかしもいいところで、そんな薄っぺらな幻想を、希望を貫通した現実が痛みと共に実感される。思っていたよりもずっと早い再会に覚悟ができているはずもなく、シェイクされた体調と情緒はすでに限界が近い。
 彼はちょうどポスターと私を結ぶ線上に立っていて、描かれたキャラクターを隠しているみたいだった。彼がいる限り、私はここから踏み出せない。
 荒波に浮かんでいるように息苦しくて視界が揺れている気がする。彼や他の人々がいる陽光の降り注ぐ楽園がどこまでも遠い。そこは幸福と希望に満ちた明日の世界だ。
 するとその時、抽象画みたいに意味のないものと化していた景色の中で、何かがくるりと回り、止まった。無意識のままに私の眼はそれにピントを合わせる。
 彼と、眼が合ったのだった。

 その間、たっぷり数秒。互いに微動だにしない時間が流れて、そして繋がりは断ち切られた。
 それはほんの数秒だったけど、私と彼が互いを認識するには十分だった。私は彼を見たし、彼はそのことに気づいた。その逆もそうだ。
 だけど、覚悟していたよりも私の受けたダメージは少なかった。それがなぜかというのもはっきりとわかっている。今、たしかに私たちは繋がった。繋がれたのは、昔の繋がりがあったからだ。そのことを感じたのだ。
 悪いこともよいことも、等しく過去に過ぎない。繋がりが断ち切られた過去も、繋がっていた過去も、どちらも私たちの過去だ。重要なのは、どちらの過去を信じるか。現在と過去はどこまでも地続きで、よい方にも悪い方にもどちらにでも引っ張られる。
 たとえひとつのものが駄目だったとしても、他の道はまだ残されている。駄目だった道だって、よかった時を信じて進めば見えてくるものがある。
 そして、よいものはいつまでも変わらない。変わったのは私の方だ。なら、私がまた変わればいいだけだった。敗走するのも、踏みとどまるのも、結局は私次第なのだ。

 端末に目を落とすと、ポスター争奪戦の開戦が間近に迫っている。「明日は君たちの掌に」という言葉が頭をよぎる。明日はたしかにここにあって、選ばれるのを、掴まれるのを待っている。
 私は端末の電源を消し、くるくると回してポケットに突っ込んだ。そして、正面を直視して歩き出した。

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