爆心地の余焔 冒頭部

 あまり中身がわからないのもどうかと思ったので、弊サークル「皐月川納涼床」でC103の2日目に頒布する『爆心地の余焔』の序盤を置いておきます。『シロナガス島への帰還』の二次創作です。
 もっとも、残っていた昔の下書きをコピーしてきただけなので参考になるかはわかりませんが⋯⋯(なので当日頒布するものとは若干の違いがあります)。


 気の滅入るような曇天の下、どこまでも藍色の海が続いている。時折、絶えることのない波の音に混ざって海鳥たちの鳴き声が聞こえた。夜空に煌めく流れ星のように白い軌跡で波を切り裂いて進むのは、ボクたちの乗るクルーザー、スターバック号だ。
 荒々しくもどこか静謐な海の真ん中で、ボクは——
「うえええぇぇ⋯⋯⋯⋯うろろろろ⋯⋯」
 ——吐き気と戦っていた。

 アリューシャン列島にぽつんと浮かぶ絶海の孤島、シロナガス島。一昨年の夏、ボクたちはこの島にいた。
 透明な殺意。血と悪意に塗れた忌まわしい過去。記憶の中にある非現実世界。不死の力を手に入れた異形。あの悪夢みたいなシロナガス島の事件において、ボクたちは唯一の生存者だった。そして、島に隠されていた最大の秘密、「完全なる不死」の研究が施設の自爆で失われた今となっては、その唯一の情報源でもあった。
 だけど、池田と——池田が"交渉"した——リールの組織によって事件の報告書は改竄され、ボクたちは最初からあの島にいなかったことになった。つまり、架空の戸籍を作り上げて、その人物が代わりに島にいたことにした。遺体が無いのは誤魔化せないけど、そこは行方不明として処理したらしい。池田は最初から「太郎・ヒギンズ」って偽名だったけど⋯⋯さすがにエイダさんを未亡人にするわけにもいかない。
 今、シロナガス島は政府の管理下にあって、生物兵器漏出というカバーストーリーにより封鎖されている。島には近づけないので、ボクたちはこのスターバック号による観光ツアーを使ってこのベーリング海に戻ってきた。船をチャーターしなかったのは、余計な注意を惹かないためだ。
 あの事件から二年が経った今、ボクたちはリール、ジゼル、アウロラ、かつて島にいた少女たちの弔いのため、この海域を訪れていた。シロナガス島の関係者と血縁関係にあるアキラとアレックスは来るのを断念したけど、ふたりだって気持ちは同じだ。その分も一緒に、花束をさっき海に投げ入れてきたのだった。それでボクは限界を迎えて、こうしてソファーに倒れているんだけど⋯⋯。

「うぅ⋯⋯い、池田、酔い止め、酔い止めくれぇぇぇ⋯⋯」
「自分で持ってこなかったのか?そうだな、値段交渉なら乗ってやるぞ」
「ボクを見殺しにする気か! い、池田の意地悪! 鬼! あく⋯⋯うっ」
「しょうがない奴だな」
 呆れた顔で荷物から池田が引っ張り出したエチケット袋をひったくって、胃の中のものをありったけ吐き出した。数時間前まで朝食だったものが食道と喉を逆流し、ぼとぼとと袋を満たしていく。
「おえぇぇ⋯⋯ぐええぇぇぇ⋯⋯」
 雑に背中を擦られている内に、だいぶ楽になってきた気がする。どうせ外は代わり映えしないんだし、帰港までずっとこうして寝ていよう⋯⋯。
 デッキは波しぶきや風が直撃して寒いからか、乗客のほとんどはラウンジにいるみたいだった。ここも決して暖かいとまでは言えないけど、それでも外よりはずっとマシだ。横倒しの視界には、荒れる海を絵画のように切り取った窓が見えた。⋯⋯うう、揺れる海を見ていたらまた具合が悪くなってきたような⋯⋯。
「も、もう出ない⋯⋯」
「そうか、楽になったか?」
「そんなすぐに良くなるわけないだろ! み、水持ってこい」
「十分元気そうじゃねぇか」
 上体を起こして、池田が持ってきた水で口を濯いだ。すっぱい匂いもいくらかやわらいで、頭痛も消えつつある。次からはもっとマシな移動手段を考えようっと⋯⋯。


 突然、船のどこかからくぐもったような大きい音がした。どうしようもない力で捻じ曲げられた金属の悲鳴。風や波の音の中にありつつもはっきりとその存在感を主張する、暴力的な破壊の音。
「この爆発音は⋯⋯!」
 瞬時に池田が立ち上がり、周囲を警戒する。他の乗客も不安そうにしていて、不吉に明滅する照明が彼らを妖しく照らしている。お腹の底に響くような鈍い音も伝わってきて、底知れない不安がボクを包んだ。
「火事だーッ!」中年の乗客がラウンジに駆け込んできて、息も絶え絶えに叫ぶ。「浸水が始まってるぞ! 早く逃げろッ!」
 その言葉でラウンジは大混乱に陥った。船員たちが落ち着いて救命ボートを目指すよう呼びかけるけど、誰の耳にも届いていない。ノイズ混じりの船内放送は、混乱を鎮めるどころかさらに拍車をかけている。その間にも船の揺れは激しくなり、破壊音が大きくなったような気がした。
「おい、押すんじゃない!」
「俺じゃない、後ろが詰まってるんだ!」
「こっちはもう満員だ! 別のボートに乗ってくれ」
 人々が出口へと殺到する怒号が、悲鳴が、足音が、破壊音にも負けない荒々しさでボクの頭を揺さぶる。身体に力が入らなくなって、またソファーに倒れ込むところで、池田の手に背中から支えられた。
「しっかりしろ! 俺たちもとっとと逃げるぞ」
 池田に手を引かれてラウンジを脱出し、救命ボートのある区画へと急ぐ。途中で照明が消えて、さらにパニックが加速する。窓から入る小さくて冷たい光だけを頼りに廊下を走った。途中で拾ったライフジャケットに頭と腕を通しながら、体当たりするようにして扉を開けた。冷たい飛沫と風が直撃し、急激に寒くなる。
「や、や、やっぱり池田が疫病神なんじゃないかぁッ!」
「ええいうるさい! 前のは沈んでなかっただろうが!」
 池田と船に乗るのはやめようと、ボクは固く決意した。二度と乗るもんか!


 カラン、と音が鳴った。
「おいおい、お前のタフさはどうした?」
 目の前にいる誰かが、呆れたような声で俺に言う。ずいぶんと見慣れた部屋の中にいるみたいだ。ここは⋯⋯いつもの事務所か?
「まったく。これでマンハッタンの夜景が見えるだなんて、ずいずんと見栄を張ったな」
「嘘は吐いてないぞ⋯⋯そうだろ⋯⋯?」頭が割れるように痛い。視界も朦朧としている。
「いつお前は探偵から悪徳不動産屋に商売替えしたんだ。さて、と」
 そいつは持っていたグラスの中身を飲み干し、立ち上がった。そのまま踵を返し、ドアノブに手を掛ける。
「お、おい」ぼやけた視界で机の上を探るが、俺のグラスはどこにもない。「もう帰っちまうのか? 待ってろ、とっておきの酒があるんだ」
「そろそろ起きる時間だぞ、池田戦」オフィスを出る時、そいつが一度だけ振り返ったような気がした。「私との酒はまだおあずけだ。それまで達者でな」
 それを最後に、俺の意識は途絶えた。

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