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英語教育・英語学習に関する独り言22 - DXと言語教育について⑤

こちらの記事の続き。神戸学院大学の東淳一先生のよる講演。ぶっちゃけた話、CJ的には合成音声を使った教育というのは、リスニング教材作りのことで、たとえば過去に

のようなものを作ったこともある(他にも色々あるが、公開できるレベルあるいは性質のものではないので・・・)。東先生もだいたい同じ考えで、TTS、すなわち text to speech の技術を使って、教材と授業のレベルアップをしていく必要があるという趣旨の話だった。

以下では先生の発表で特に面白かった部分について簡単に触れていく。

従来の言語理論とはぶっちゃけて言えば文法のこと。LLMとそれをエンジンに動くテキスト生成系AIの出現によって、人間が理解している文法とは、真の文法の単純化されたバージョンに過ぎないのではないか、ということ。これはその通りである可能性が大いにある。将棋ソフトが急激に強くなっていった時にも、これまで人間が定跡としていた指し方は、実はバイアスのかかった指し方で、将棋ソフトの示す指し方の方がはるかに自由度が高く、なおかつ勝利に資する指し方なのではないかと棋士の考え方の大転換があった。今ではAIを研究に使わない若手・中堅の棋士はいないはず。60代以上は使っていないかもしれないが。何はともあれ、LLMとAIによって言語とは何かという問いに新たな光が当てられるのは間違いない。泉下のヴィトゲンシュタイン師は今、何を思うのか。

東先生の指摘で最も感心したというか不意を突かれたのがココ。日本人は英語の習得が苦手とされる。そしてそれは往々にして言語間距離のせいにされるが、東先生曰はく、日本人はそもそも日本語の習得(ひらがな、カタカナ、漢字)に多大なリソースを割いているとのこと。これは考えたこともなかった指摘。確かに「ひげが生える」と「10月に生まれる」と「生糸」と「生年月日」で、生の字の読みがすべて異なるというのは、native Japanese speaker にとっても難しい。我々はこれを難しいと感じないが、それはそのように脳が訓練されているからで、母語の習得に普通は脳のリソースの10%を使うとするなら、ネイティブの日本語話者は脳のリソースの15%ぐらいを使っている可能性がある。心理学や教育学、大脳生理学あたりの今後の発展がこの疑問に答えてくれることに期待。

これについても首肯するしかない。対面でもオンラインでも英会話スクールというビジネス自体は残るだろうが、規模は相当に縮小されるはず。減った受講者が何をするかと言えば、AI相手に学習をするのだろう。これは確定した未来と言える。というか現在(2023年)はまさに過渡期と言える。


畢竟、人間ができるのは、人間相手のカウンセリングになるのだろう。ただ私見では人間が人間のカウンセリングができるのも、せいぜい20年間。2040年か2043年頃にはデジタルネイティブならぬAIネイティブが30代となり、社会の主役となり始めるはずだからだ。そうなっていないとおかしい。今でも Moodle を使用している学生の一部は、人間よりもAIの採点や評価を高く評価しているのだから(問題は、集積されたビッグデータの共有が法的に許可されないことなのだが・・・)。ただ日本は平成どころか昭和的な脳みそと感性の持ち主が政治や経済の中枢にどっかと居座っていて、20年後も何も変わっていない可能性が大いにあることだけは危惧しておかねばならない。齋藤孝を文部科学大臣のアドバイザーにする、あるいは文部科学副大臣に特別起用するぐらいしないと、日本の教育は今後も特に大きな変革は起きそうにない。

「知的労働の産業革命」という刺激的なフレーズはここで聞かれた。知的労働の生産性向上は科学技術の発展とほぼイコールで、生成系AIも過去のブレイクスルーと同一軸線上にあると言える。ただ生成系AIによって可能になる仕事の質と量が過去のブレイクスルーがもたらした恩恵よりも遥かに大きくなることは誰の目にも明らか。問題はAIが社会にもたらす労働面での恩恵がまだら模様になるということ。肉体労働ではなく知的に何かを生成する仕事、たとえば著述家や芸術家は、もろに影響を受けるだろう。ここで言う影響はダメージと言い換えても良いかもしれない。

将棋ソフトのPonanza開発者の山本一成は著書『 人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか? 』で

知能=問題を解決する能力
知性=問題を見つけ出す能力

だと喝破した。今後の教育者は問題解決能力よりも問題を見つけ出す能力、別の言い方をすれば批判的思考=Critical Thinkingを実践することが求められるように思う。アカデミアにおける批判的思考とは、新たな可能性を付与しようとする思考のこと。決して否定的見解を述べるという意味ではない。それでは教育の世界における批判的思考とは何か。それこそが個性を尊重したカウンセリングになるのではないだろうか。


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