みんなククノッチ <武田百合子『富士日記』>

 武田百合子『富士日記』を読んでる。ずいぶん前に中古で買ったハードカバー上下巻。先日上巻を読了し、やっと下巻に突入した。ここまで7年かかった。思い出したときに少しずつ読み進めた結果、これほどの時間がかかっちゃった。

 小説家である夫の武田泰淳ともに過ごした富士山麓の別荘での生活を綴ったもので、日々の暮らしのこまごま、買い物とその値段、出かけた先での出来事、他別荘の住人や地元の人との交流などが、彼女独特の観察眼で捉えられてるんだけど、別荘地の管理事務所員や出入りの職人達とのやりとりが本当に人情味に富んでいて味わい深いんだなあ。武田夫妻の「知識人階級のおごりを全く感じさせない振る舞い」がよい。これと似たような文章を前にも読んだことがあるなと思った。山本周五郎氏の小説『青べか物語』。今やファンタジーの殿堂ディズニーランドで風景が一変した浦安のひなびた漁民の町の風情が味わえる話だけど『青べか』に出てくる人物はどこか田舎人の粗野で無教養な面が、都人である自分との対比で描かれていると感じた。でも、『富士日記』で武田百合子と地元民は、全く気の置けない隣人同士としてお付き合いしているところが人徳なんだなあと。

 あと、この作品のポイントとして「ああ、昭和」ってのがある。日記が書かれたのは1963(昭和38)年から1976(昭和51)年までの間だけど、日本がまさに高度経済成長に沸き立った時代で、オリンピックはやるわ高速道路ができるわビートルズが来るわ、とにかくイベント満載の十数年。人々の暮らしも激変したこの期間の生活の記録として、めちゃ貴重で興味深いものになってる。当時の富士山近辺の施設だとかイベントの記録にもなってる。

 ときどき「何それ、ホント?」て思う事が出てくる。交通事故の多さなんかはにわかには信じられないほどで、赤坂から河口湖に行くまでに3回も事故現場に遭遇してたりする。今日読んだ1968(昭和43)年8月1日の日記に出てきたのは、別荘近くの「森林公園」という施設の話。別荘の管理所員、関井さんの話では鹿が野犬に噛み殺された。チンパンジーが2匹逃げ出して村人に確保され飼われていたが連れ戻された。高圧電線張り巡らして逃げないようにした。クジャクや鹿がポリ袋を食べて死んでしまう。ホロホロ鳥も逃げ出してゴルフ場を闊歩していたのをゴルフ客が「森林公園にいた鳥に似ている」ってので捕まえて戻してくれた。台風が来ると高い木に止まっているクジャクは風に乗って相模湖や八王子まで飛んで行ってしまう。だだ漏れやん。

 この公園に限らず、当時は何もかにもがいい加減にしか管理されて居らず今なら当然遊泳禁止の湖へ毎日のように泳ぎに行ったりもしている。今に比べて自己責任感ハンパない。インドかロシアのようだ。この感覚は勝小吉(勝海舟の父ね)の『夢酔独言』の雰囲気に似ている。ある日思い立って放浪の旅に出ちゃうんだけど、行く先々でとんでもねえ出来事に遭遇したりする話。『富士日記』のええ加減世界が好きな人はぜったいこの話もスキだと思う。

 下巻読了までにあとどのくらいかかるか分からんけど、その時まで我が脳内世界で展開し続ける、百合子さんと昭和の富士山麓での出来事をいつくしみたいと思う。



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