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私の理想の親像って?

どんな風に育って欲しい
こんなポリシーや軸を持って子育てをしている
とSNSを見てるとすごいなぁ、そしたら自分は?と自問自答してみることがある。

そりゃあスポーツができる子になったらいいなぁとか頭がいい子になってほしいなぁとか思わない訳でもない。
もちろん自分がやりたいことをやって欲しいなと思う。

こんな私が育ってるので親の育て方が正解なのかと疑問ではあるが、やはり自分が子育てをする上では自分の幼少期を思い出してみることが多い

私の幼少期


振り返って子ども時代の私らというと休みの日の父とのお出かけが好きだった。
私が育った故郷はとある島だ。
娯楽施設がある訳ではないし、子ども用の遊び場所がある訳でもない。
父が遊びに連れていってくれるのはいつも自然のど真ん中だった。
魚釣り、磯遊び、蟹とり、貝掘り、山菜採りなどここにも書けないような(笑)自然のあそび場所にたくさん連れていってくれた。
父は物知りでいろんなことを教えてくれたし、父も率先して遊んでいるので私も夢中になって遊んでいた。

一方で母はいつも自分のことを後回しにして化粧気もそこまでなく、服もウインドウショッピングを楽しむような倹約家だった。
父は昔ながらの九州男児でお酒を飲みながらテレビを見ている傍で、母はマグロのように常に家事で動き続けていた。

母はよく怒っていてワガママを聞いてもらえないので父の方が好きだった。
恥ずかしい話、本当に母がすごいなと感じたのは私自身が子どもを産んだ30代になってからで、それまでは母をとてもみくびっていたと思う。

じゃあ私が母と過ごす時間でどんな時間がワクワクしてたのか考えてみた。
母は今の時代でいうママ友とよく集まっていたので、その場に行くのは好きだった。
あとは母は紙粘土で人形を作ってみたり、パッチワークをしてみたりしてたこともある。そんな風に母が楽しんでる空間に自分も行って遊ぶことが好きだったようにも思う。

そうやって子ども時代を振り返ると、私は親が夢中になって遊んでる空間は実は好きだったのかなと思う。

母の更年期

母は私が大学生ぐらいの時に更年期に入り始めた。
生理が不調だったり、メンタルの波が少し訪れていた。
そして私が大学卒業し、社会人になってから症状が悪化した。
鬱になったのだ。
当時の私はあんなに私たちにギャーギャーと怒ってたお母さんがえらく弱気すぎて、あまりに違う姿に戸惑った。
買い物に行くと『店員さんから万引きと疑われてるのかずっと見られてる』など、とても昔の母を想像できないようなことを言っているのだ。当然父も母の相手に疲れ、メンタルが落ち込んでいった。
姉と話をしながら、帰省を増やしたりと2人が過ちを犯さないか心配で今思えば監視しにいっていた。
この時は私が知る限りの我が家の始めての試練だった(親からしたらもっとあったに違いないが)

当時のことを今になって母とよく振り返る。
母は兄弟最後の私が大学を卒業するためにパートをして一生懸命仕送りをしていた。
そして私が卒業してしまってその糸が切れたようだ。
更年期で不調になり、パートを辞め、何をしたらいいか分からなくなったと言っている。

こんな母がどうやって立ち直ったのかというと、畑を購入し、夫婦で野菜を作り出したことがきっかけだ。
畑に2人でのめり込み、今は作った野菜を販売している。
熱心に帳簿をつけてみたり、美味しく作るためにYouTubeで調べたりして真剣に取り組んでいる。
そんな両親は本当にイキイキしている。

そしてそんな今の両親の姿は私も好きだなと思うし、憧れの老後の過ごし方だと思っている。

理想の親像

だから私が子育てで大事にしたいなと思ったことは自分が色んなことにチャレンジしたり、没頭する姿を見せたいなも思っている。

子どもの自分が嫌だったのは『子どものために我慢した』って言われることだった。

おかげで今の自分がある訳だが、子どもながらにお母さんも楽しんで欲しい、お母さんも好きなものを買って欲しいと思っていた。

こうやって書いてみると子どもの頃の記憶を都合のいい解釈のようにも思う。でも、子どもの私が少なからず親の幸せをを願っていたのは事実だと思う。

理想の親像は『自分の人生を楽しんで全力で生きてる』親ということにしよう。

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