ヒトという存在について

私は、ある方の講演会に参加している。その方は既に肉体を去られてしまったけれど、「存在感」は十分に感じ取っているので、個人的には以前とそれほど差はない気がしている。
ただ、肉体の耳で聞くことのできる音声としての「講演」で、新たな話題を聞くことができないことだけは、ちょっと残念ではあるけれど。

「意識を受け取る」という行為を、実は私たちは、無自覚にかなりの頻度で行っている、と私は感じている。いわく「予感」とか「なんとなくそんな気がする」とか「突然ひらめいた」とか、実は、現在肉体を持っているヒトよりもはるかに多くの人数が、意識体の世界には住まわれていて、状況に応じて意識を送ってきていると、私は感じている。
いかんせん、彼らは地上のほぼ全ての人の意識を普通に拾っていて、「あぁあ、あの人またあんなことを考えている」などと、つぶさに見られている。何のために?単なる野次馬根性?
師匠の講演会の話題から拾えば、「次に肉体を保つために必要な情報収集は、みなさん行っている」らしい。今、地上で何が起きているか。次に肉体を持った時に、自分は何を極めようか?これまで技術畑の課題ばかりをやって来たけれど、今度は法律を極めて見たい、とか、自然界の仕組みをもっと知って、地球環境の保全のために何ができるか経験したいとか、そうした下調べをしてから、どこに、どんな両親の元に肉体を持ち、周囲にどんな友人を選ぶか、「みなさん、みんな決めてから肉体を持っているんだよ」と師匠はおっしゃった。
だから、その過程で地上の様子をつぶさに見ているし、自分と縁がある人が今肉体を持っていたら、「あ、そのまま進むと土砂崩れに遭うから、引き返しなさい」とか、必死で意識を送って下さることもあるらしい。

今日、NHKのテレビ番組で「墓じまい」の話をしていた。
師匠は、「お墓なんていらないよ」ということを話されていた。意識体と肉体の関係は、言ってみればドライバーと自動車の関係で、車がもう動かなくなったら、ドライバーは普通は車を降りる。そうして車を手放す。その後、それまで乗っていた自動車がどうなるか、「再生工場」に運ばれて第三国でまた車として活躍する場合もあるかも知れないけれど、肉体の場合には、もうスクラップにするしかない。「遺骨」とか「遺体」に、故人への思いを重ねて、さらには「墓」などを用意して、故人を弔おうとする行為、故人を悼む行為は、全世界共通だと思うけれど、そのやり方などは様々。
例えばだけれども、私自身の肉体がもう使い物にならなくなって、乗り捨てようと私自身の意識が決断して、この肉体を抜けたなら、その後は、その肉体を、踏んづけようが、ミンチにしようが、焼き捨てようが、はたまた、食料に困った方々が食用にしようが、一向に構わない。できることなら有効活用ということで、本当に食糧不足で困っている方々の食用だとかにしてもらった方が、個人的には嬉しい。あるいは、樹木の栄養でもいいのだけれど、日本の法律だと火葬にするしかないはずだから、だとしたら、散骨して焼いても残るカルシウム源としてやはり樹木の栄養価、海洋バクテリアの栄養か、そんな感じで役立ててもらえたら、それが一番いいかなとも思うけれど、人の実体は意識体だ、ということを忘れてしまった現代の人々にとっては、遺体はすがるべき故人の痕跡で、残せるものなら残したい対象なのかも知れない。
師匠は講演会でおっしゃっていた。「人は死んだら墓に住む、と思い込んでいる方々がいる。」あるいは、死んだら恐山にいくものだと、思っている方々がいる。だから、という理由で師匠は恐山で浄霊をされたけれど、行く途中で大勢の霊体に声をかけたよ、とおっしゃっていた。その時は私も同行させていただいた。「死んだら墓に住むものだ」と思っている方々は、本来ならほとんどの方々が、肉体を抜けた後、一旦汚れを落として、次に肉体を保つために上に帰るものなのに、「墓」に住み着いてしまうケースもある、らしい。だから「墓」を粗末にすると、自分の肉体を傷つけられたと考えて、今肉体を持っているその相手に「報復」するケースもある、らしい。その辺の話題は、師匠は著書に書かれてきる。だからややこしい。
一般論として、「自分の子孫に、害を及ぼそうと、普通思うかな」ということを師匠は講演で話された。「ご先祖様を供養をしないと、あなたが祟られます」というのは、霊感を謳ってビジネスをしている方の常套句で、まず、そんなことはないよと、師匠は話されていた。ただ、例外があるから面倒くさい。
ただ、間違いなく言えることは、「人の実体は意識体である」ということを、直接感じ取ることができない「ビジネスとしての宗教家」よりも、直接の子孫である方々の思いの方が、遥かに相手に届くと私は考える。だから、墓じまいするならば、ご本人が直接出向いて「ご先祖さま、これまでありがとうございました。あなたのおかげで私は今肉体を持って、こうして生きています。どうか、いつまでもこの世界に居着いていないで、どうか、上にお帰りください。」と思いを伝えれば、届くと思う。このやり方、確か師匠は講演会でお話しされていたと、あやふやに記憶しているが、講演の時に使われた正確な表現が思い出せない。ただ、とにかく、「表現」じゃなくて、「強い思い」が大切だと思う。安全な墓じまいは、子孫である方の「祖先に対する感謝の思い」とか「どうか、上にお帰りください」という強い思いこそが大切で、その思いがきちんと届いたなら、遺骨ごとブルドーザで整地しても、理解してもらえるようには思う。(そうなんだけれど、やはり、十人十色、霊体さんも人それぞれで、中には物分かりの悪い霊体さんもいるみたいだし、、、。ただ、子孫の方の切実な思い、嘘のない正直な思い、先祖の方への感謝の思い、などがあれば、間違いなく伝わるものだと、師匠の講演から私は理解している。細かく考えると、面倒臭い。肉体を持っていても、クレーマーみたいな人、いるしなぁ、、、。)人の実体は意識体だと「確信を持つ」ことが大切なんだけれど、そこのところは、普通の方には難しいかも知れない。
私自身、両親の葬儀の時に、親父やお袋の抜け殻になった肉体に、涙が止まらなかった時間はあったから、(長い間乗り続けた車をスクラップにする時も、私は涙を流しちゃうかも知れないけれど、)そういう気持ちは理解できる。ただ、葬儀の最中から親父の意識を感じていて、「父さん、そんなところにいるか?」と思いながら、「喪主のご挨拶」とかこなして、葬儀が終わった後、「父さん家に帰ろうか。」と思いながら、なんとなく手を繋いでいる感じで帰ろうとして、遺骨を葬儀場に置き忘れてしまって、葬儀社の方に、「喪主さん、お忘れ物です、お父さんのご遺骨、、、!!!」とか声をかけられて、あ、そうだったっけと、そういうことも、過去にはありましたが、、、。(前にも、何度か書いた。)
要するに、「お墓」も要らないし、「儀式」よりも、大切なのは「故人に対する肉親の思い」だけ、だと、私は思う。この考え方が、「墓じまい」で悩まれている方のお役に立てれば、と、それを思ったので、今、この段落を書きました。

次。プーチンとか、ネタニヤフとか、、、の話題。
よく、殺すねぇ。プーチンに逮捕状を出した国際刑事裁判所の裁判官、日本人だって?(今更、そこに反応するか、ってくらい、過去半年、コンピュータに縛り付けられて、そっちに意識を向ける余裕が全くなかった。)

2000年という節目に、師匠は肉体を持たれた上で、意識体として全開に近く覚醒された。私は、何もできないかも知れないけれど、師匠を全力でバックアップしたい、おそらくはそれを考えて今回肉体を持った。かなり迷走を繰り返しつつ、、、。だから、とにかく書いている。AD2000年という年号は、確かに区切りがいいけれども、10進数という数学の世界の中で区切りがいいだけで、だから特別という訳でもないのに、1999年12月31日から2000年1月1日になった時には、結構世界中でお祭り騒ぎがあったように記憶している。別に、特別な数字でもないのに。
ただ、「今肉体を持っている人が、何をどう感じるか、それに合わせて、高位霊体の方々は色々と計画を立てられる」ということがあるようで、「2000年の節目」という時期に色々と調整してきたのには、そうした思惑もあったのかも知れない。いずれにせよ、「創造主の思いを伝えることができる」師匠という方が、肉体を持たれた。私にとって大切なのは、それだけかも知れない。師匠が日本に生まれ、日本で肉体を持たれていたから、可能な限り日本を守るために、自分にできることをする、それはずっと考えていた。結局、言葉を発することしかできないけれど、いざとなったら最大限に意識を放散することも、やる覚悟はあった。そうして、師匠は700時間を超える講演で「言葉」を残され、肉体を去られた。師匠が肉体を去られた今、日本を守る意味があるんだろうか?とも思っていたけれど、俗にいう「行き掛けの駄賃」って奴で、この際だから、私自身も肉体を抜けるその時までは、日本のため、日本人のために、できる限りのことはしたい、とは思う。何もできんかも知れんけど、、、。ただ単に、吠えているだけ。
で、思う。日本人に手を出すなら、私は多分、また何か出来ることをする。それだけ、書いておきたい。(前にも吠えたことはある。Facebookに残してある。その効果は、評価してくれた方々もいたみたいなので、その意識を感じただけで私は満足。)

「自分に敵対する相手を殺す」ことで、何かメリットがあるとでも、思っているんだろうか。無知だ。「人の実体は意識体だ」ということを、「思い出すことができない」のは全人類に共通しているか知れないけれど、多少なりとも心が澄んでいる方なら、「あ、これは、やってはいけないことだ」という上からの意識を受け取っていると、私は感じる。
それができない、ということは、もう、完全に汚染された意識体に成り果てた、としか思えない。で、何に汚染されたか。

師匠の講演(著書)から。三億六千数百万年前に、マゼラン星雲から地球に、半数は肉体を持ち、半数は霊体として、移住があった。集団を率いたのは、ある時はエホバを名乗り、ある時はアッラーを名乗られたアール・エル・ランティ様で、その時に、いわゆる「七代天使」の方々も地球に移住された。
ちなみに、イエス・キリストを名乗れたアモール様は、マゼラン星雲からの移住に先立つ、四億数百万年前に、射手座から地球系霊団を創造するために来られた、と、師匠の著書から理解している。(もっと具体的な数字が、師匠の著書には書いてある。)そのマゼラン星雲から移住された中に、いわゆる七代天使、ミカ様、ガブリ様、ラファ様(師匠)、サリ様、ラグ様、ルシ様、ウリ様がいらっしゃった。その中のお一人、ルシ様が、モンゲール、アウル、サウタンとして肉体を持たれた時に、落ちられた。サウタンの名前は、サタンとして今に残っている。(師匠の著書にもあるし、私自身も何度か師匠の講演を引用して書いた。)
途中を省略して、偉大な霊体だったのに、ルシ様のあまりの残虐行為を見かねて、天使長のミカ様が意識体のまま地上に降りられて、ルシ様を滅ぼし、上位の霊界ではなく、地上に近い四次元霊界の一部に幽閉された。そこが「地獄の最深部」になっている。そこから意識が、地上にも漏れ出していて、上との繋がりをあまり鑑みない、肉体に固執し、物質に固執する方々の多くが、その意識の影響を受けている。
私自身は、あまり真面目に仏教も、キリスト教も、イスラム教も、勉強はしていないけれど、面倒なところはすっ飛ばして核心部分は上から意識で送っていただくとして、カンニングさせていただいて、アモール様(イエス・キリスト)も、アール・エル・ランティ様(エホバ、アッラー)も、エル・カンターレ様(ゴータマ・シッダルータ)も、「地獄」については教えとして説かれていたはず、と思う。プーチンとかネタニヤフが何に汚染されたか。ルシ(様)の意識。(いまだに、「様」をつけたい、偉大な方だった。それなのに、落ちる時は、とことん落ちる。いるよねぇ、そういう方。ずっと真面目に生きてきたのに、最後の最後に、電車の中で女のお尻を触る、とか、文房具屋で万年筆をポケットに入れちゃう、とか、職権で小切手を切って自分用に換金しちゃうとか、もう、どれくらいあるんだか、、、。話題が逸れがち。すんません、肉体を持って、見聞きするニュースに反応しているもんで。)

肉体を持つ、ということは、自分とは価値観、「人生」に対する理解度が異なる人々と接点を持つ機会を得る、ということ。その機会を活用して、少しでも自分自身の理解力を広げ、かつ、この肉体を持つ世界(物質世界の法則も、いずれ、私たちすべてが統合して一つの意識体として、一つの世界を形成する上位の意識体になるために重要なので、)言葉を操る文学、現象の本質を探る理科系の科学技術分野、集団のルールを形成し物質世界での生活基盤を確保する手段の効率化に寄与する政治経済法律、など、その方の次元に応じて、さまざまな分野を極めようとして、ほとんどの方が肉体を持つ際に、今回何を経験するか、決めてきている、と師匠は講演会で話された。
その肉体を持つ、という機会は、創造主が「意識体の進化」のために重要なものとして、ヒトの意識体に与えてくださったもので、だから、自殺は決してしてはならない(創造主の思いをシカトする行為だ)し、他人が肉体を持っているその「機会」を奪ってはならず、尊重しなければならない、つまり、殺してはならない、ということになるし、さらに言えば、他人の思い(意識)や、他人の考え(その方が、自分自身の課題として必死で答えを出そうとして学ぶ過程)を否定してもならない、そういうものだと、私は理解している。

プーチンやネタニヤフ。創造主の「一人一人に肉体を持つという機会を与えた」思いを、頭から無視している。上にいる意識体からしたら、「もう、どうしようもない状態」だと思う。
ヒトラーがまだ許されることになっているのは、ヒトラーが上にいた時に、ユダヤ人がアモール様(イエス・キリスト)に槍を突き刺して、貴重な教えを地上に広める機会を奪ったことを目の当たりにして、「あの者たち(ユダヤ人)を、懲らしめなければならない」という強い思いから、誰もが知っているあの行為に及んだ、と、師匠は講演会で話された。ただ、「懲らしめること」は考えていたけれど、ガス室のような「殺戮行為」を思いついたのは、ヒトラーの側近であって、ヒトラー自身は殺すことまでは考えていなかった、という意識を、上ではつぶさに感じ取っていたらしい。だから、許されるのは当然、ということになっているのだと、私は理解する。許されないのは、ヒトラーに便乗して、残虐な処刑方法の数々を考えて実行した側近だ、ということになるだろうし、その方々は、イスラエルのモサドが既に処刑していたんじゃないか、とも、私は理解している。で、話を戻せば、ネタニヤフは、ヒトラーと比べても遥かに、人として劣る存在であって、既に容認し難い域に達している、と自分は感じるし、今のプーチンも同様だと思う。

師匠は、講演会で説かれた。「みなさん、肉体を持つ前は、今回は何を経験しようか、決めて来ているんですよ。」と。それなのに、いざ肉体を持ってしまうと、物質世界の中で肉体だけが自分自身だ、との思いに凝り固まって、自分が何のために肉体を持ったのかなど、忘れてしまう。特に、一番顕著なのが、師匠の言うところで、六次元意識体で、顕著らしい。で、上から目線で申し訳ないけれど、プーチンも、ネタニヤフも、その「落ちる六次元」の典型だと私は感じる。
師匠は、講演会で説かれた。1999年7の月に、師匠は意識体として覚醒されたらしい。何のためかと言えば、今現在の地球系霊団は、「リセット」すべきほど汚れているか、そうではなく、まだ、救う余地があるのか、それを見極めて、創造主に判断材料を意識で提供する、そのために師匠は肉体を持たれた、と、聞いていいる。「リセット」ということになれば、我々にしてみれば、創造主であっても、恐怖すべき存在ということになる。そんなことを話された。一方で、意識体として覚醒し、上位の意識体の世界とも意思疎通できるようになって、「生まれてくる前の意識体の方々」にも、私たちが肉体を持って聞いていた「講演内容」を、意識で送り続け、言うなれば、意識体の世界でも同時進行で「講演会」を続けていられたらしい。
何が言いたいか。今、二十歳未満の方々は、肉体を持つ前に、間違いなく創造主の思いを聞かされている、ということになる。師匠は、そのことも、講演で話された。
その方たち(二十歳未満の方々)が声を上げ始めれば、おそらく、地上は変わるはずだと、私は考える。
「政府」だとか「大学」だとか、そういった地上での権威など、気にもしない、「何が正しいか」だけをひたすら考える純粋な意識体は、少なからず現在地上に肉体を持っていると思う。
アメリカ大陸が今後どうなるか、は、別にして、アメリカの大学で何が起きたかのニュースを、私は師匠の講演内容をかぶせながら、見ていた。
(と、書きつつ、実際に大学で教えた経験で言えば、伝えているのにまったく興味も持たず、聞いてもいない学生も少なくないし(私の教え方が悪いんだろうけど)、ってことは、師匠が上で同じ講演をされていたとしても、まず、意識の中に入れた方、って次元でかなり数が減るだろうし、さらに言えば、肉体を持って、完全に元の純粋な思いなんて忘れちゃった人たちも、少なくないんだろうな、とは思う。ある程度の確信を持って。学校の先生で、自分の教えた児童・生徒・学生が、全員自分の話を全部聞いて覚えているという自信のある方、いらっしゃいますかねぇ、、。)

で、プーチンやネタニヤフをどうすべきなのか。さすがに、ルシ様(サタン)程ではないから、わざわざミカ様が降りられる程のことはないのかも知れない、けれど、実際もう、看過できない状態にはなっている。かつて、ヒトラーがユダヤ人によるイエスの処刑を上で見ていたように、一括りに、ロシア人とかユダヤ人は滅ぼすべき民族だという強い思いを持つに至った、高位霊体の方々は、少なくないような気がしてならない。それほどの状況だということを、プーチンやネタニヤフには、もはや理解できるとも、私は考えない。わからなくても、いずれその方が肉体を持つ時期になれば、あ、なるほどねと合点がいく状態になるだろうな、とは思う。

上の話はいい。私は今、肉体を持っている。肉体を持っていて、何ができるか、それを考えるしかない。(結局、言葉を発することしか、できないけれど。)
インターネットの普及で、世界が小さくなった。今、一つになろうとしている。その状況で何が必要なんだろうか。と言えば、「世界政府」しかない、と私は思う。(話が大風呂敷だな。)言うまでもなく、「民主的」に、すべての人々の意見を反映し、(少なくとも、肉体を持つ前は、すべての人が神の思いを理解している、そういう人類(地球系霊団に帰属するヒト)の)多数決によって、世界は動かされるべきだ、と思う。
ところが、国連は「安保理常任国」であるロシアによって、機能不全に陥っている。だとしたら、どうあるべきなんだろうか。三権分立という考え方、「ルールを決める」(立法)、「そのルールを施行する」(行政)、「ルールに間違いがないか判断し、ルール違反も判断する」(司法)のような考え方が、地球規模で成立するべき時期に来ているのではないか、と私は考えた。だとしたら、プーチンやネタニヤフに「逮捕状」を出した「国際刑事裁判所」の判断とは、まさしく、今後のあるべき方向性を指し示している、と思う。
もし、国連総会や安保理が「立法」の位置付けならば、その「立法」でのロシアの暴走(今後は中国も加わって暴走すると思うけれど)を、どうやって、国連の「行政機関」的な組織や、国際司法裁判所や国際刑事裁判所のような「司法機関」が牽制していくか、そこが課題かも知れない。とにかく大事なのは、世界的に各国政府の一カ国一カ国を尊重する「民主主義的」な運営だと思う。

師匠は講演で説かれた。六次元以上、すなわち、地上での問題解決のための知識や経験を、過去世を含めて(なぜ、自分はそんなことがわかるのか、今世では経験したこともないのに、自信を持って判断できる、そういう経験をされた方々は、少なくないと思うけれども、それが輪廻転生の意義なのだと、私は考えるけれど、話を戻して、)正しく判断できる方々は、おそらく地上に今現在も、数億人の規模で肉体を持たれている。落ちた六次元、もしくは高次元霊体(が、今肉体を持っている存在)と、どうやって対峙するべきか、考え抜いて答えを導くのは、今現在肉体を持っている、私たちの責任だと思う。丸投げでミカ様にお願いすべきではないし、自分たちで考え抜くことで、私たち自身の経験(飛躍のチャンス)になると思う。
皮肉を込めて書くならば、プーチンやネタニヤフという存在は、世界中で肉体を持っているピュアな意識体(が肉体を今持った存在)の方々に、極めて高度なチャレンジの機会を与えてくれている、とも思える。

師匠の講演からの私の考え。創造主は、ギリギリまで「自分自身で気付くこと」を重要視されている、と思う。だから、凶悪な殺人犯であっても、滅ぼそうと思えば、簡単にすぐに、肉体のみならず意識体レベルで消せるけれども、それでも、もしかしたら、自分で何が過ちだったか気付いて、その過ちをご自身の進化に役立てるかも知れない、その可能性に賭けて、ただじっと待ち続けていらっしゃる、そんなように、私は考えた。師匠の講演からの私の理解は、地獄に幽閉されているルシ様の意識体も、もしかしたら万に一つでも自分で気付いてくれたなら、また、素晴らしい意識体として人々を教え導く存在に戻って下さる、かも知れない、その可能性に賭けていらっしゃるような気がする。ルシ様の意識の影響が地上にも漏れて来てプーチンやネタ二ヤフを汚染している、それでも、そうした「汚れ」を知った上で、「自分は汚れたくない」という強い意識を一人でも多くの人に持って欲しいと、その思いがあるから、ルシ様が消されずにいる、そんな気もする。

「キレイキレイ」で、何が過ちか、どうして人が過ちを犯すのか、そんなことを知りもしないで、純粋でピュアなままでいても、上の次元には上がれない。ヒトの汚さを身をもって知ってこそ、進化につながると、私は理解している。だからこそ、プーチンもネタニヤフも、野放しにされている。真に我々が身につけるべきは、「汚れ」が降り掛かっても、ビクともせずに、その「汚れ」を自己浄化する能力、だと、私は理解する。この表現が、読み手の皆様に通じるかどうか。ヒトの汚れを何も知らない、いわゆる「ねんね」のままのキレイキレイの方というのは、ほんのちょっとした「汚れ」で、簡単に汚染されて壊れる。そうした事例を、見聞きされたり、友人にそういう人がいたりして、そうして、この私の表現は通じているだろうか?(通じなかったら、諦めます。すみません。)

ガザ地区の多くの方々、ウクライナの多くの方々が、「神よ、なぜ、こんな酷いことをなさるのか」と感じていらっしゃると、痛いほど感じる。ただ、まず、人は肉体だけの存在ではないと、理解して欲しい。おそらく、キリスト教でもイスラム教でも、それは伝えられていると思う。酷い殺され方をしても、その経験は「自分は、酷い殺され方をして、こう感じた。だから、自分は決して酷い殺し方をするような生き方をしない」という強い決意や確信を魂に刻む貴重な経験になる。だから、殺された方々が「浮かばれない」とは考えて欲しくないと、私は思う。救う余地がほとんどないのが、殺した側だろうか。
「殺した側」はどうなのか。いや、アメリカで、かつてはベトナム戦争の帰還兵だとか、近くはアフガン、イラクからの帰還兵だとか、精神に異常をきたした方々が少なくないらしいけれども、あの状況では「精神に異常をきたす」のは、むしろ「正常」だと私は思う。「殺した」ことが、精神に異常をきたすほどの原因になる方々は、意識体として「殺された」経験があるから、だと、私は感じる。さすがに、今世では無理かもしれなくても、その「殺した」経験を抱えて、地獄に落ちて、「自分は、殺したいと思って殺したのではない、殺せという命令に背けなかったことが、自分の後悔の原因だ」ということに気づくことができたなら、おそらくは、その辺を(肉体を抜けてしまって、脳がなくなると、意識体レベルでそこまで)魂に刻んでいるかどうかが問題になるとは思うけれど、有意義な経験には違いない。次回以降に肉体を持った際に、他人に「殺せ」という指示を出すような考え方をするかどうか、それ以前に「殺せ」と指示されても、無視できるか、っsっっsそこのあたりが重要な経験、なんだろうと、私は感じる。「殺す」側の話は、もういいや。脱走もせずに、上に言われたままに人を殺して、何も感じていないなら、落ちるところまで落ちていたらいい。それくらいしか、書くことはない。気が狂うほど「殺した」ことに悩んでいる方々、ぜひ、考え抜いてください。あなたのその経験は、必ず、ご自身を救うことになると、私は考えます。

で、やはり、プーチンやネタニヤフだろうか。
「消そう」と思うなら、簡単ですよ。鉛筆で紙に「プーチン」「ネタニヤフ」と書いてみて、消しゴムでゴシゴシ。ね!簡単に消せるでしょう!?
って、書いてみたけれど、これって、冗談だと思いますか?
ヒトは、誰もが「意識体」であって、その「意識」には、それなりの力がある。シンボリックな書き方をしてみたけれど、例えばだけれども、70億人から一人一円を寄付してもらったなら、総額は70億円になる。大した金額だと思いませんか?(いや、サッカーのメッシさんとか、大谷さんと比較しないで欲しいな。)

などと、色々と感じたままを書いてみた。ただ、大切なことは、とにかく「人は肉体だけの存在ではない」ということだろうか。肉体の死は、確かに、肉体だけの存在ならとてつもなく重い「エンディング」だけれど、全然そうではない、と、これは、師匠の講演ばかりではなく、私は感じる。理科系の人間として、第三者に「追試験」というか、検証可能な手順や手続きを示せないのは、とにかく、残念だけれども。(次に肉体を持った時には、この辺にチャレンジしてみようか、、、。)
そうして、今肉体をもって生きている際に、とにかく大切なのは「自分は、どうあるべきか」を考え続けること、のように考える。盗んでもいいの?殺してもいいの?その辺の話もあるかも知れないし、今ここで、社員を解雇することは正当化できるのか?と悩むケースもあるかも知れないし、「あの人のミス、指摘してあげないと、またやらかすかも知れないけど、指摘すると逆恨みされるかもしれないしぃ」みたいな悩みもあるかも知れない。(際限ないので、例示はやめます。)とにかく、常に「自分は、どうあるべきなんだろうか」と考え続けることは重要だと、私は考えます。

私は、と言えば、師匠と出会う前は「自分はどうあるべきか」ではなく、「自分は何をすべきか」と、たぶん二十歳前後の頃から考え続けて、まず、人の心とか肉体とかに興味を持ち、同時にコンピュータに興味を持って、マンガで言えば、「サイボーグ009」とか「鉄腕アトム」、「ブラックジャック」などに憧れた。なぜか、感じるままの最初の就職先で、OSI(Open system Interconnection)つまり、インターネットの根幹の技術を「JIS規格を定める」レベルで経験させていただき、そこからやっぱり「医用工学」への興味が捨てがたく医療機器メーカに転職し、さらに、ふと「青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)」でパプアニューギニアに赴任し、帰国してからは自分でビジネスをと思って起業し、知り合いの手助けもあって「博士(工学)」のdegreeを取得し、その後、会社が鳴かず飛ばずで(メンタル的にもやや壊れかけて)、医療機器技術者ということで紹介のあった大学に専任教員として赴任し、その後師匠に出会って、師匠の言葉を伝えるのが自分の役割だとしたら、自営業が一番いいと思って、大学を辞めて、現在に至っている。
で、その紆余曲折を経て、コンピュータ技術、医学、医療機器、海外の事情(ニューヨークの大都会からパプアニューギニアのジャングルまで)、海外支援、教育、のどの分野でも、自分自身の経験として、書くことのできる立ち位置は、持っていると思う。肉体を持っている間に、一つでも多くの経験を積む、ことが、次につながるとしたら、今現在、大した収入がないことは、大した問題ではないかんか、と考えるに至っている。
って、つい、自分のことを書いて、マスターベーション的に、自己再認識させてもらってしまった。

終わります。大切なことは、「自分は、どうあるべきか」それを考え続けることかも知れない。

こんな、訳のわからないことを書いている私のページを、野放しにして、インターネット公開させてくださっている、note管理者の皆様に、感謝申し上げます。
以上。

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