ある未来像

私はある方の講演会に参加している。私はその方を「師匠」と呼んでいる。
師匠は肉体を去られてしまったので、「講演会」と言っても現時点では過去のCDを流し、その時の話題を取り上げて、「表面的な表現」からいかに真意を読み解くか、ある意味でパラグラムと言ってもいい師匠の講演内容を掘り下げるということをやっている。「考えることがとにかく大事」という師匠の言葉(著書にもあった)からの、ある意味「思考訓練」のようなものだと私は考えている。

「師匠」は、創造主の意識を受け取れる方だと私は理解している。創造主以下どなたの意識も受け取れるので、「今後起きること」=「意識体の世界(実在界)の計画」についても、何度となく講演で話された。

そんな中で、師匠が著書にも書かれている話題は、今持ち出したいのは、イエスの再誕だろうか。西暦2411年に、かつてイエス・キリスト(ナザレのイエス)として肉体を持たれた方が再誕される。
師匠の講演会に参加し、直接師匠と会って言葉をいただいたり、一緒にBBQをしたり、そうした経験をした私たちが第一世代だとしたら、その約400年後、イエス様が再誕されるまで、師匠の教え(ヒトの実体は意識体であり、ヒトはヒトに何度でも転生して経験を積むことによって進化する、というこの物理的な世界(現象界)と意識体の世界(実在界)の仕組みや、だからヒトはどうあるべきかという話題)を、引き継ぐ、どれほど炎が弱くなっても、種火として火を絶やさない、私たち第一世代はそれを託された、と理解している。

八百年後、西暦2825年には、かつてモーゼとして肉体を持たれたモーリヤ様が肉体を持たれる。この時が、かつての「十戒」の規模を上回る「現象」が連続する、地球系人類の将来を決定づけるイベントになるはず、だけれども、それに先立って、私たちはイエス様の再誕の時期にタイミングを合わせて、かつての十二使徒の方々などをサポートできる立場で肉体を持てるように、「地獄に長逗留しないでね」と、しつこいくらい師匠に釘を刺されたというか、念を押されたというか、心配されたというか、お話しされてきた。このイベントの話題は、師匠が著書に書かれているので、省略。

いわゆる「地獄」というのは、「汚れてしまった魂」が隔離される場所で、本人が「これはおかしい」と気付くまで、その「汚れてしまった」状態の生活を、肉体を持っていた時さながらに続ける世界、だと私は理解している。「魂の病院みたいな場所だよ」と師匠は話されていた。その「汚れてしまった状態」を繰り返すから、人を殺すこと(人を殺す指示を出すこと)をなんとも思わない方々は、血の池の中で襲い合い食い合いをする、らしいし、美食の食う快楽などに溺れたヒトはひたすらその状態で居続ける。だから、「地獄にいるのに、そこを天国だと思い込んでしまうヒト」がとにかく多いらしく、だから、そこで「これはおかしい」と気付くことが困難で、地獄に数千年、数万年と居ついてしまう人も少なくないらしい。だから、師匠の講演を聞く勉強会の会員である我々に、「地獄に長逗留せずに、400年後に肉体を持てるように、「なんとか数十年で「これはおかしい」と気づいて、地獄から抜け出してね」という「気づき」のヒントを、講演会ではいくつも散りばめられてきた。

とにかく、現時点での私の目標は、次はイエス様が再誕される時にタイミングを合わせること、だろうか。
というのは、話のまくら(話題の導入部分)で、ここから先が本題。

その、イエス様が肉体を持たれる400年後とは、どういう時代か、という話を師匠はされた。「家族であってすら、信じることが難しい、人と人との間に信頼関係が失われた世界になっている」と、師匠は話された。
そんな時代に肉体を持って、「意識体としてのヒトとして、どうあるべきか」を理解している人間として、イエス様や、その時期に肉体を持たれる多くの「かつて宗教を説かれた方々」のサポートをできるように、なりなさい、と、私たちはそんな課題をいただいている。

ただ、私自身はどうしても想像しきれない部分があった。「家族であってすら、信じあうことが難しい時代」が、なぜ、どうして到来してしまうんだろうか?

そのきっかけとなる「大災害」は、200年後に起きる。(というよりも、既に15年以上経っているから、今からだと180年後くらいだろうか。)細かい年号が著書にある、講演で話されたという会員の方がいらっしゃるけれど、私自身は何年に起きるかは記憶していないし、どの著書だったか、どの時の講演だったか、記憶がない。
アモール様(イエス様)は、200年後に浮上する大陸が、安定して植物が生育して人が住めるようにになった400年後に、その大陸に肉体を持たれる。
200年後に、浮上するのと同じ面積の大陸が海に飲み込まれる、と師匠は話された。その大陸とは、北米大陸で、カナダとの国境のあたりから、一気に海に飲み込まれる、らしい。(著書のどこかに、書かれていたかなぁ、、、。)その時に水没するのは、北米大陸だけじゃなく、あそこと、あそこと、あそこ、というのを講演で聞いているけれど、それは書かない。知ったところで、どうせそれまで生きてないでしょ?ここでも疑問があった。なぜ、北米大陸?

こういう大技は、モーリヤ様などの九次元ではなく、その上、十次元の地球意識が、「地球人類の健全性」を保つために起こすのだと、聞いている。アメリカは浄化すべき存在だと、地球意識は感じているらしく、200年後に備えて、着々と準備を進めているという状態だろうか。我々とは時間軸のスケールが違いすぎる存在だから、200年後など、我々の「明日」くらいの感じなのかもしれない。この時に、大規模な人口調整が起きる。
ただ、それ以前に、大規模な人口調整が起きると、師匠は講演で話された。(この辺の話題は、一般の方の参加が認められていた講演会での話題なので、安心してネットに書ける。)それは、エボラ出血熱のウイルスが、地球意識によって突然変異して(人為的に作らるものではない、らしい)致死率ほぼ100%のウイルスが生み出される。これによって、人口密度の高い地域を中心に、一気に人口調整が進む、と私は理解している。が、地球が育むことのできる「ヒト」の数は、20億人から30億人で、これら、大陸の水没などと合わせて、いくつかの複合的な措置を組み合わせて、地球人類の「肉体を持っているヒトの数」を調節することになる、と、私は理解している。
こうして「肉体を持っているヒト」の数が「調節」されて、その分がそっくり実在界での人数の増加になるのなら、地球もそんなに病んでいるとは思えないけれど、最悪なのは、地獄に逗留する人の数が多すぎて、実在界での人数はそんなに増えないことで、その状況というのはやはり「地球が病んでいる」から、すべては「地球系人類の治療」のために起こす「天変地異」なのだろうと、私は思う。

それでは、なぜ、アメリカが「消すべき存在」なのか。師匠の講演会からいくつか拾い上げると、例えば「銃が野放しになっている」ことがある、と理解している。
まず、銃の所持がかなり自由になっている。そして、腕の立つ弁護士が「これは正当防衛だ」と法廷で説得すれば、明らかに「勘違い」とか「ある程度の殺意」を持って人を殺しても、普通に無罪になる状況というのは、(そもそもが、「銃」の存在自体があってはならないモノなのだけれど、)人としてあるべき姿からは乖離した状況になっていると、私は理解する。
加えて、小は「個人所有の銃」から、大は「ミサイルなどの国家規模での殺戮兵器」が、産業として生み出されて、しかも、その「拡販」のための方策がまったく問題視されていないこと、もあると、私は理解する。
かつては「死の商人」と言った。そうした死の商人が、世界各地で国家元首を巻き込んで、武器を世界に撒き散らしてきた。日本のようにアメリカの庇護の下にいると、その異常さや悲惨さが見えにくい、けれど、パレスチナで起きていることは、明らかのその「成果」だと言えるかも知れない。

私自身は、実は楽観的に、こうした現状は、世界規模で「戦闘の悲惨さ」が人々によって共有されたならば、いつかは、「武器・兵器」のない世界が構築されるかも知れないと、考えてきた。だから、師匠の講演会の話題(人の実体は、「意識を持ったエネルギー体」であって、実在界では交流できない、次元の異なる多くの人々を理解し、理解しあうことでそれぞれが成長し、進化し、現象界はそうした経験を積むための「魂の修行の場」として、多くの人が理解している状況になること)を、可能な限り書き続けることは、意味があるのかも知れないと思ってきた。
ところが、どうも、そうはならないかも知れない。師匠が講演会で言っていたように、アメリカが「消すべき存在」であり続ける、というのは、ほぼ確定的になって来た、ような気がした。

そのキッカケの一つは、アメリカの最高裁で、トランプの現職大統領時代の「暴動の扇動」が「免責」されたこと、だろうか。大統領の一言で暴動が起き、死者も出ている。それが「免責」された。
私自身の予感は、いずれ現職の大統領が有力な野党の対立候補に対して「消したほうがいい」的な発言をし、それを受けた支持者が暗殺を決行して、その直接的な行為者は裁かれるものの、発言した大統領自身は今回の最高裁の判断を受けて「免責」され、それに自信を得て、横暴な振る舞いをエスカレートさせる、そうした事態が起きる、ということだろうか。
38年前に私が「人生100年時代が訪れる」と書いたことは、そこそこあちこちで私が発した言葉として記録したり、話題にしてもらっていたと思うけれども、ただ、私自身の「予感」のタイムスパンはせいぜい30年程度で、ということは、逆に言えば、今後30年以内にこうした「事件」が起きる、そんな気がする。「あやふやなまま」だった事象が「決定的に」なってしまった、という感じかも知れない。その意味で、私は「歴史的な転換点」をリアルタイムでニュースで見ることができた、そんな気がする。

バイデン氏は、大腿筋、大腰筋、大臀筋など、下半身を支える筋肉がかなり衰えていると思う。そういう歩き方をしていた。ということは、そうした下半身の衰えは循環機能の衰えにつながって、いずれ脳や心臓にも看過し難い衰えを招く、時間の問題で看過し難い状態になる、そんな気がする。今のままでは、トランプが再選すると思う。私はニューヨークタイムズの社説を指示する。これもまた、実にタイミングが重なった。

結果的に、アメリカは「他人を殺しても罪に問われない」国に、徐々に変質していく、そんな気がする。

そう考えるもう一つの根拠は、「生成系AI」を多くの人々が使えるようになったこと、だろうか。
師匠は「考えることが大切」だと、講演で再三話されていた。その「考える訓練」が講演会とワンセットになっている。ところが、生成系AIは、ヒトが考えなくてもいい状況を作り出そうとしている。自分で考えない結果、どうなるかと言えば、正しい判断をする能力が失われていくと思う。
自分で考えて、その結果失敗をしても、その失敗自身が経験となって、それが魂に刻まれた時に我々は、よりエネルギーの高い高次元の意識体へと進化していく。自分で考えて失敗しなければ、ヒトの意識体としては退化する。そして、大学などで見ていると、すでにChatGPTのような「生成系AI」にドップリつかっている学生が現れている、社会人でも、生成系AIがないと仕事ができない人が現れている、そんな気がする。このことは、一つの潮流として教育の現場を変質させていくかも知れない。
まだ、楽観的な予想もしたいのだけれども、最悪の場合には現在、この2024年をピークとして、人類全体の「思考能力」は低下の一途を辿るかも知れない。自分の頭では正しい判断ができない人が量産されてくる。
その結果どうなるか、と言えば、選挙などでは「威勢のいい、聞いていて気分のいいことをいう」候補者に投票しがちになるだろうと思う。あるいは、「誰に投票したらいいですか」と生成系AIに質問して、その回答の通りに投票する人が増えると、生成系AIを都合よく「学習」させることのできるハッカーが一人いたら、どんなおかしな候補者でも当選し、国家元首になれるかも知れない。
そうなると、行き着く先、「家族であっても、信じられない時代になる」ことも、あり得ると思う。

さらにもう一つの根拠。
私は、インターネットによって世界各地の情報を共有することで、いずれは世界が一つになる、だから、そんな「家族であっても信じられない時代」など、本当に来るんだろうかと、疑問視していた。
ただ、現実に起きていることは、「世界が小さくなった」おかげで、各国のアイデンティティとでもいうべきか、国粋主義的、「極右政党」的な主張が受け入れやすくなった、という、私の楽観的な期待とは真逆の流れが進行している、気がする。

7年前に、イギリスがEUを離脱した。今、フランスで極右政党が支持を集めている。
アメリカでは、トランプがAmerica Firstを打ち出し、大統領になった。今後、イタリアやドイツはどうなるんだろうか。
「民主主義」の下で、人々の選挙によって「国家元首」が選出されるという仕組みの中で、人々がAIに頼るなどして「考えることを放棄」してくると、現時点では想像もできない「政党の党首」が国家元首になる、可能性はある気がする。一度その流れが定着すると、大きくまとまろうとしていた世界が、再び分断と非協力の方向に流れていく気がする。その延長には「対立」がある、と思う。

これらを考えていて、なんとなく、師匠が講演会で話されていた「点」と「点」が、「線」でつながった気がした。

私自身は、AIは「データ分析」つまり、「製品、商品の不良品チェック」だとか、気象予報だとか、そうした分野で使うのは「人類の進化を妨げない」と思うけれど、判断に関する部分に「生成系AI」などを使う行為は、人類の退化につながると思う。ヒトは、自ら考えて行動し、その結果を得ることによってしか「成長」=「進化」はできない。私はそう理解している。
「投資」や「投機」の分野で、AIは活躍するかも知れない。ただ、「投機」などでお金を儲けて、その結果として「楽な暮らしをする」こと自体が、人としての「退化」だと私は理解している。自分で考えたならまだしも、AIに判断すら任せたとしたなら、ヒトとしては、いずれ地球が寿命を迎えた時に、離脱して次の星系に移住しようとしても移住のための船に乗れないほどの、エネルギーレベルの低い意識体にまで退化を続ける、気がする。そうなったなら、いくつかの宗教で説かれているように、「永遠の命」をせっかく持たされているのに、人としてのエネルギー体(表現の都合で「あなた」という単語を使うけれども、)「あなた」という一個の人格であったヒトのエネルギー体であっても、創造主の温情で、「ヒト」ではない単なるエネルギーレベルに分解して「再利用」する、そうしたところに行き着く可能性が大きい、と思う。

師匠は「宿命」(実在界で決めたこと)は、変えようがないけれども、「運命」(現象界で、我々の判断の結果起きる様々な事象)は、いくらでも変えることができる、と話された。
「あなたが生まれる前、お空の上で、お父さんとお母さんを決めて、自分の名前も決めて来たんだよ」という、生まれる前の話をする子供のことを書いた本を斜め読みした。師匠は、そうした「生まれる前の記憶」を持った子供が今後増えてくる可能性を講演で話されたことがあったと、私は記憶している。そうした子供たちの証言から、「ヒトは意識体であって、計画して肉体を持ち、肉体を持って経験することが生まれる目的だ」という「師匠の講演内容」が、一人でも多くの方に共有していただけることを、私は願っている。
ただ、私自身もそうだけれども、霊道が完全に開かなくて、かろうじて自分の「指導霊」さんの意識を断片的に受け取れるだけの私自身や、そうした「実在界の記憶を持って生まれて来た子供たち」の言葉だけから、実在界の全体を描写しようとしても、「霊道が開いていない」ならば、「群盲像を撫でる」域を出ないと思う。なので、そうした子供たちの話題は、これ以上は深入りしない。

ただ、願わくば「運命は、いくらでも変えられる」という師匠の言葉通りならば、ヒトとヒトが殺し合う時代の到来は、回避できるから回避して欲しい。「あいつを殺せ、暴動を起こせ」という「国家元首」の言葉がそのまま「命令」として有効になってしまう、そういう超大国があまりにも多すぎる。まずは、そこから変わってほしいし、ミャンマーのように「大国」でなくても、ヒトの命が軽んじられている国は、一気に消えるか、そうでなければ状況が変わってほしい。そんな、はかない望みは持っている。

ロシアや中国のように、「対米対抗」を掲げる国が存在するのは、これは歴史の必然だと思う。
ロシアも中国も、武力による領土や領海の拡大を公然と行っている。この部分は、絶対的に容認し難い。ここを容認してしまうと、ごちゃごちゃした経緯をすっ飛ばして、いきなり世界が「周囲の人間を殺してでも、自分の都合のいい状態を作ろうとする、ようになる」ことは、避け難くなる。

ただ、日本にいるとわかりにくいけれども、現在のロシアも、現在の中国も、ある意味で「アメリカが産み出した」気がする。アメリカは、パックスアメリカーナで、「世界中に軍事力を提供し、支配下に置くか、力で言うことを聞かせようとする」そういう国だった。オバマさんあたりからせっかく軌道修正されて来たのが今また、そこに戻ろうとしている。
日本にいて一番わかりやすい例は、沖縄だろうか。今でこそ、沖縄県や、沖縄の人々の意見に、在日米軍が耳を傾ける(そぶり、だけかも知れないけれども、)そんな雰囲気を演出されているけれども、かつては、聞く耳をもつそぶりさえなかった、私はそう理解している。そのかつてのアメリカの「顔」は、今また復活しようとしている。

中国やロシアが、「対米」を打ち出す、日本にいるとわかりにくいけれど、中国やロシアの「大国」としての立場を考えるなら、必ずしも「間違い」とは言いきれないう部分がたくさんあるように思う。パックスアメリカーナが生み出した世界像だと思う。アメリカが「武力供与」を軸に「仲間を増やそうとして来た」流れから、ロシアや中国の現在が生まれた。この部分がどう変わっていくのか、読みきれていない。今のままだと、どれだけ国民税金を軍事力に投入できるか?それだけ。

願わくば、良い世界になっていって欲しいと思う。分断やエゴの追求の世界ではなく、協調や調和の世界になっていって欲しい。とは思うんだけれど、どうなることやら。

アメリカがかつての「軍事力によって世界を支配下に置く」流れを復活させるならば、中国やロシアの「対立軸」は重要になってくる。ただ、その対立軸までもが「軍事力によって世界を支配下に置こう」とするのならば、これはもう、一気に混乱が加速するとも思える。加えて、アメリカが「民主主義」の国ではなく、「国王がすべてを支配する国」に変貌したなら、欧米日本対中国・ロシアの「対立軸」は「民主主義」かそうでないかの対立軸ではなくなる。
その延長で、いずれ戦術核が使われる状況になるのか、どうなのか、読みきれてはいないけれど、単なる予感としては、いずれ戦術核が実際に使われることは、あるような気がしてならない。日本は「核の悲惨さ」を必死で世界に伝えようとして来た。けれども、実際に自国民が被曝するとどうなるか、実際のところ、欧米ですら日本ほど「なんとしても戦争は回避し、核兵器は使うべきではない」ところまで理解していないような気がする。その時が来たとして、さすがに欧米では「それがどんな悲惨な光景を生み出したか」共有されたとしても、おそらく、ロシアでも中国でも隠蔽される。実際ロシアでは、チェルノービリで被曝して、見るも無惨な死に方をした自国兵の末路が、完全に隠蔽されている。それは中国でも同様だと思う。戦術核の応酬がそれほど悲惨か、中国ロシアでは知識が共有されず、「核をなくせ」という声はおそらく届かない。結果的に、何の学習効果もないことになるような気がする。読みきれていないけれど、10年後、20年後の人々は、ある意味で現時点での人類よりも(悪い表現だけれど)「バカ」になっていて、教訓にすらならないのが、最も悲しい。さすがに、10年後までプーチンが生きていないことを願う、けれども、おそらく、プーチン自身は戦術核の使用の結果から自国で同様の被害がでた時点で、「核による無限連鎖」を避ける程度の理性を取り戻す、そんな気がする。そこまで壊れていないような気がする。(それ以上に深刻なのは、バイデンの健康状態だと思うけれども。)

パレスチナについては、何を書いても言葉が届く状況ではないような気がする。世界が共有している「パレスチナでの人道危機」に、イスラエルは全く「人としての理解」ができないでいる。その遠因は、アメリカの軍需産業だと思う。支配されてしまった人を非難しても仕方ない。だからこそ、消えるべきはアメリカなのかも知れない。
ウクライナの場合には、危機に対処しようとして、実効性のある方策を打ち出したなら、こういう言い方は悪いけれども、プーチンの理性はマダラ模様で、理性的な判断ができる時と、まったくできない時が行ったり来たりしている気がする。その結果は前述した。この戦術核での地球規模での崩壊は全く予感しない。それでも、欧米対中露の対立軸で、双方に一定の犠牲が出る事態は、徐々に可能性が高まっている気がする。だから難しい。ウクライナには、「一方的な侵攻」に対して打ち勝って欲しい、けれども、理性を期待できない相手がどれだけ厄介か、という一点に尽きる。マダラ模様で、時としてプーチンらしい理性が復活するのが、一番面倒かも知れない。

師匠の「運命はいくらでも変えることができる」の一言に、すがりたい。

願わくば、多くの人が「自分の判断」で国家元首を選ぶ「民主主義」的な世界で、誤った判断をしないだけの「考える能力」を多くの人が保持したままであって欲しい。

いや、師匠の講演会から考えるならば、私自身は「民主主義」にこだわるつもりすら、全くない。「国王」とも言える絶対権力者が国の全てを采配していても、「すべての人が、自分の意志のままに行動でき、尊厳を保たれる」状況であるなら、別に問題はないと私は思っているし、師匠が著書にも書かれているとおり、古代ギリシャでは、ゼウス(セオリア様)によって、実際にそうした統治が行われた、と理解している。
つまり、私自身の考えは、それが「独裁者」であれ「共産党」であれ、すべての人の「自由」や「尊厳」が保たれるならば、国体がどうなのかは、二の次の問題だと思っている。だから、プーチンが自分が大統領になれる回数の「上限」を撤廃したとか共産党の国家主席の任期の撤廃も、別にどうでもいいと思っている。要するに、プーチンが「自分を非難する人々の、自由と尊厳を重視する」ならば、別にプーチンを非難する理由もないし、中国共産党が、共産党非難を繰り返す人々の「自由と尊厳」を確保するなら、別に中国共産党が永続的に存在しても構わないと思う。けれど、残念ながら、ということだろうか。

対立軸の受け取り方を、逆方向から見るならば、中露に対する対立軸の中心は、やはりアメリカだろうか。そのアメリカが、中露と同じような「体質」になってしまった、ということは、やはり私にとってはかなり衝撃だった。しかも、その流れを止めることのできる要因が、まるで見当たらない。
そうして、結局、師匠が講演会で話されていた「世界が自分の家族ですら信用できない、そういう時代になる」という部分、悲しいことだけれども、かなり繋がった。吸い込まれるように、そこに向かっている。

まだ、書ききれていない気がする。もっと、こんなこともあるとか、もっとこうすべき、だとか、まだまだ、意識を送っていただいているような気がする。けれども、私には、受け取るのは、ここが限界。

以上

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