相互不信
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000259983.html
北朝鮮非難のG7声明に反発 ミサイル発射を正当化
自衛のためならば、確かに軍事力の行使がやむを得ない状況というのは、あるのだろうと理解する。その意味で、この主張そのものは(他の発言と切り離したなら)容認されるべきだと、私は考える。
現実にウクライナは「防衛」に徹している。
ただ、北朝鮮がミサイルの発射を「自衛権の行使」だと主張するのは、明かに矛盾していると思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220428/k10013603631000.html
【詳しく】キム総書記 核先制攻撃も辞さない構え なぜいま?
2022年4月28日 18時18分
この「わが国の根本利益を奪おうとするならば」というのが実に厄介な話だと思うが、「先制攻撃も辞さない」と、何度となく明言していると思う。「先制攻撃」ならばそれは「自衛」ではない。「侵略」だと思う。それを何度となく国営メディアなどを通じて、発信している。となれば、その前提から、前述の「自衛のため」という発言は、虚偽の主張だと言わざるを得ない、と私は考える。
鶏は、三歩歩くと全てを忘れる、などと言われているけれど、人間なんだから、「過去の発言」は当然前提にすべきじゃなかろうか。
この「わが国の根本利益を奪おうとするならば」という主張は、ウクライナへの侵攻に関してロシアも使った。
「奪った」のではなく「奪おうとした」と、まだ「何もしていない」段階で、何かをその「奪おうとする行為」だと決めつけて、先制攻撃している。NATOへの加盟申請が「ロシアへの攻撃につながる」と、一方的に決めつけた。そもそも、NATOはロシアからの侵略に備えるためという口実で軍備を増強している。要するに、両方が同じことを言っている。違いは、ロシアの場合には、実際に軍事行動を起こした点だろうか。
中国の表現に「瓜田不納履、李下不正冠」というのがある。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%93%9C%E7%94%B0%E3%81%AB%E5%B1%A5%E3%82%92%E7%B4%8D%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%81%E6%9D%8E%E4%B8%8B%E3%81%AB%E5%86%A0%E3%82%92%E6%AD%A3%E3%81%95%E3%81%9A
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず
実際のところ、どうなのかよくわからないけれど、アメリカでは、「パスポートを取り出す際に、背広の左側の内ポケットから取り出すために、右手を背広の左内側に入れた」なら、左肩の脇の下の拳銃のホルスターから拳銃を取り出す行為と見做されて、その場で銃殺されても反論できない、と聞かされてきた。そういう場合は、まず、背広の左側を開いて、相手に見えるようにしながら、内ポケットからパスポートを取り出せ、と、そういう話を何度となく聞かされている。
現実にそうした場面に遭遇したことはないけれど、これも何だか、相互不信の塊のような気がする。
韓国と北朝鮮。(悪いけれど、日本を巻き込むな、と言いたい。)朝鮮半島を統一して「一つの国」にしたい、なんていう願望は、おそらく、両方ともあるに違いないけれども、「一つの国」にするには、違いすぎないか?と思う。韓国の政治システムは日本の政治システムと似ている。選挙があって、なおかつ、国民誰もが自由に政治の批判をできる。北朝鮮では現実問題として政治批判はできないだろうと(決して「それが悪い」と言っているのではなく、)思う。韓国の人たちが、「政府批判をできない」状況を望むとは、私には思えない。だったら、「一つの国にするなど、現状としては無理だ」と、その事実をまず、共有することが大事じゃないか、と思うんだが、どんなもんなんだろう。「我が祖国の統一を邪魔するな」なんて、そんな気はない。可能性があるならば、分断国家なら、一つになりたいのは当然だろうと理解しているけれど、ただ、現実問題として、「韓国の人たちが、一切の政治批判もできないまま、偉大なる金正恩様の指導に黙って従います」なんていう状況は、かなり考えにくいし、「北朝鮮が、国民の自由な政治批判を容認する」なんていう状況も、絶望的に考えにくい。その両方を考えると、結論として、「統一なんてまず、無理じゃなかろうか」と思ったから、書いている。
その上で、「当面は、どう考えても無理だ」という認識を共有したなら、まずは、当面は「二つの国」として安定的に存在しましょうよ、と、そこからスタートすべきなんじゃなかろうか。それについては、現実問題として、現時点で、二つの国として両方が存在している訳で、可能性がどうこうじゃなくて、現実がそうでしょ、と、その「現実」からスタートしたらいいと思う。そして、両方が「二つの国」としてまず存在することを前提にしたならば、およそ、南北間の「武力衝突」はあり得ない話、ということになると思う。
そうなれば、北朝鮮がいうところの「第2の使命」という選択肢は、あり得なくなる。その上で、一貫して「自衛のため」という前提を崩さずに、ミサイル発射実験を行うならば、日本にだって、アメリカにだって、「反論」するべき余地はない、と思う。日本だって、「専守防衛」という「大義名分」の下に、現在「防衛力増強」の話題が出ている。当然のことながら、北朝鮮が絶対に「先制攻撃」しないと、その「先制攻撃しない」姿勢がブレないことが確認できたならば、私は「防衛力増強には反対」の意見の側に転ぶ、と思う。(ただ、やはり、北朝鮮は「先制攻撃」を公言している。だから「軍備増強」の意見を書き続けている。)
北朝鮮は現実には「先制攻撃」を明言している。だから、私は「防衛力増強」の主張に賛成する側に転んだ。それだけの話。G7も当然、「北朝鮮が先制攻撃を明言してきた」事実をベースに主張を展開していると思う。
北朝鮮やロシアばかりを引き合いに出すのは不公平なので、アメリカを引き合いに出すならば、日本の留学生が「銃殺」されて、それが「無罪」になった、という事件がかつて起きた。
日本人留学生射殺事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E7%95%99%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%B0%84%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件で、「加害者」が「無罪」になったというのは、日本人の私には衝撃的だった。裏を返せば、アメリカという国が、それほどまでに「相互不信」に根ざした社会なのか、という衝撃でもあった気がする。この事件を知ったから、アメリカでの滞在期間中に「パスポートの提示」を求められた際に、どういう振る舞いをすべきか、神経質なまでに意識したこともあった。
言ってみれば、ロシアの行動というのは、「李下に冠を正そうとした」人を、いきなり銃殺したような行為に見える。明らかに、「言いがかり」というか、「勝手な解釈」というか、国際法的にも「違法」だと思える。しかも、現在進行形で、まだそれを続けているし・・・言い訳の余地なんて、ない、と思う。けれども、その一方で、アメリカなどは「社会制度」的に、こうした「正当防衛」に名を借りた殺人も、「無罪」として容認する素地を持っている。
豊臣秀吉は、かつて「朝鮮侵攻」を行った張本人で、韓国や北朝鮮側から見たら「侵略の当事者」以外の何者でもないだろうな、と思うが、日本では「刀狩り」によって「民間人が武器を持つ」行為を禁止した。その発想が、現在の日本の「銃刀法」で、武器等を携帯することを「違法」とした、(相対的には)「安全な日本」の素地を作ったように、私は理解している。
「人が他人に対して感じる恐怖」=「殺されるかもしれない、相手は私を襲おうとしているかもしれない」という思いは、そう簡単には払拭できないと思う。それは、どう見ても、国家間でも同じような気がする。だからこそ、「大量殺戮兵器」などは「保有」そのものを認めないという「国際的な制度」が不可欠なのだろうと私は考える。ただ、なぁ・・・一朝一夕には、無理だろうなぁ・・・そうは思うんだが、ブレながら、あっちに行ったり、こっちに来たりを繰り返しながらも、基本的には「兵器開発」などは「禁止」される世界になって欲しい、とは思う。
その前提として、まずは、「相互不信」の払拭が何よりも大切だという気がする。
日本の場合、「ソ連」と締結していた「相互不可侵条約」が一方的に破棄され、北部満州に居住していた多くの日本人がソ連兵に凌辱され略奪され殺害された、という歴史を持っている。(今のウクライナと同じ。)北満を支配していた当時日本が掲げていた「大義名分」が、どこまで正当化できるのか、かなり怪しい気もするから、中国(と、台湾)などが日本を「侵略国家」と主張することには、反論はできないと思っている。
ただ、「条約」なんて、「状況によって、いつでも破棄できる」ってなってしまうと、相互不信の解消にはあまり役立たない。けれども、とにかく、NATOとロシアの間でも、韓国・北朝鮮の間でも、そして、日本絡みでも、まずはあちこちで「相互不可侵条約」を締結して、「先制攻撃」という選択肢が国際法的に「違法」となる状況を、あちこちで、作れないものだろうか、などと思ってしまっている。
儚い夢、だねぇ・・・わかっちゃいるけれども・・・。
とにかく、世界から「戦争」はなくなって欲しい。すぐには、なくならない。それはわかる。ただ、「戦争をなくす」ためには、まず「相互不信」を徹底的に解消する方向に、それができる素地を醸成して欲しい。そう願う。インターネットで、これほど世界が繋がっている状況は、過去にはなかった。だからこそ、今ならこの議論ができる気がする。
そのためには、とにかく、まず、「相互不可侵条約」が、世界のあちこちで締結されて、最初のうちは、「相手がいつ、相互不可侵を破るか」について、疑心暗鬼になるだろうけれども、それぞれが「相互不可侵条約」を何十年も破らずに「善隣関係」を構築できた、としたなら、そこから「相互不信」が払拭されて欲しい、と願う。相互不信がなくなったなら、次はとにかく「武器」の所有を、国家単位で規制する方向に、国際社会を導いて欲しい。
なんていう話は、バイデンさんにも、プーチンさんにも、岸田さんにも、金さんにも、習さんにも、ユンさんにも、ジョンソンさんにも、マクロンさんにも、ショルツさんにも期待はしない。
もしかしてこのページを読んでいる、次の世代のどなたかが、実現してくれることを、とにかく祈る。
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