文章が上手くないことに気付いた

noteに書きたいことがあったのに、記事を完成させることができなくて、結局下書きを丸々消してしまった。
自分の文章力がそこまでなことに気付いてしまったからだ。
プロのライターや面白いネット上の知り合いの文章を見ると、「俺のこんな文章なんてとても世に出せたもんじゃねえや…」と尻込みしてしまう。
ちょっと前まで「自分は文章が得意な人間だ」と思い込んでいたので、スラスラ面白い文章が書ける存在しないイデアの自分とのギャップに苦しめられている。

なぜそんな思い込みが発生してしまったのか?
これでも、子供の頃は実際にエリートだったからだ。ただ、それも本当に小さい頃に限っての話だけど。
子供の頃から読書が好きだった。文字を読めるようになるのが他の子よりも早くて、幼稚園の先生に「賢い」と褒められていたと母親から聞いた。
小学3年生の頃の作文の授業ではクラスメイトが苦戦する中一人だけ先生に絶賛された。
…思い返してみると、最後に褒められた記憶は小学3年生だ。遥か昔である。もっと頻繁に褒められていた気がしたのだが…。
こんな昔の成功体験に自惚れてしまっていたのだから恐ろしい。
最近はTikTokやショート動画の流行により、本を読む人が減っているという情報も聞いたことがある。小説が好きでよく読む自分は上位数%だろう…。

これだけの薄弱な根拠で自分は文章が上手い人間だと思い込んでいたのだ。
よく考えてみれば、世の中全体で見れば本を何冊を読む人間は少なくても、「文章を書く人間」だけに絞れば本を読むなんて当たり前のことなのである。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。

書けない理由は色々ある。
文章力が拙すぎて自分で読んでいて恥ずかしくなること。これを読まれても「『こいつ文章下手すぎ』『気持ち悪い』と思われるんじゃないか」という不安が頭をよぎること。
後は、書きたい題材が個人的にかなり良くも悪くも思い入れがあるものなので、綺麗に整える文章力がないと本当にただ気持ち悪い恨みつらみを並べ立てる怪文書になってしまいそうなことだ。

今回こんな誰も興味がなさそうな話題のnoteを書いたのは自分が何となく考えていたことを文字起こしすることで新しい発見をすることがよくあって、それが結構面白い体験だからだ。
あとはリハビリの意味もある。誰にも読まれなかったとしても何かの練習をしなければ文章は一生上達しない。悩むだけではなくインプットとアウトプットを続けなくてはならないはずである。あと、自信がある文章ならともかく拙さに悩んでいる状態の文章は読まれない方が気楽でいいというのもあるし。

もうすぐ学校の試験が終わるので、また記事更新を再開できたらいいなあ。
でも自信ないなあ。

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