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経済学的見地から見たソヴィエト崩壊の原因

よく「ソヴィエト崩壊の原因は働いても働かなくても給料が同じだから崩壊した」などというお話を聞きますがそれは本当なのでしょうか?
経済学的な見地に基づいてソヴィエト崩壊の原因を検討してみるとします。

①既存の原因論への反証

既存の崩壊論にありがちなのは「ソヴィエト崩壊の原因は働いても働かなくても給料が同じだから皆働かなくなって崩壊した」という物ですがソヴィエト連邦の労働環境には「ノルマ制度」があり、「働かなくても暮らせる」ような社会ではありませんでした。


加えてソヴィエトでは労働時間によって給料もしくは給料に当たるものの差はつけられましたしそもそも「皆働いていない」国が米国と軍拡競争なんて出来る訳がないのです。

②重工業への過度な集中

ソヴィエト連邦は世界大戦中はドイツとの戦争のために、世界大戦後は米国との軍拡競争のために重工業に集中してきました。
そのためソヴィエト連邦の工業の発展は目覚ましく米国としのぎを削り、一時は優位にたった事すらあります。

しかしそれは一般消費財や嗜好品の開発とトレードオフでした。

ソヴィエト連邦では国家的な民需産業の軽視により、多くの電化製品や自動車は第二次世界大戦中にドイツから略奪した技術を流用して作られた物で西側諸国からしたら「枯れた技術・使い古された技術」と言っても過言ではありませんでした。

驚くべき事にその枯れた技術で作られた自動車ですら一般市民は手に入れるのが困難だったそうです。

このような民需産業の軽視はゴルバチョフの改革で西側諸国の暮らしを国民が知った時、嫉妬し今までの社会体制を嫌悪する原因となったのです。

③ハイテク技術の重要性の高まり

まず前提として「計画経済というのは国が長期的な計画を建て、それを遂行する」という事を知っておく必要があります。

計画経済は確かに長期的な視野で堅実な成長を行える優れたシステムですがこれは非常に柔軟性に欠けるものです。

計画を練っている時、「ハイテク技術の重要性が計画遂行中に高まる」などという事を予知する事は出来ませんから当然、ソヴィエト連邦はハイテク技術の重要性の高まりに追従出来ずに取り残されてしまいました。

これにより生産効率等基礎的なところでデバフがかかり、ソヴィエト衰退の原因となったのです。

④農業政策の失敗


これを見ている方は「五カ年計画」という物を学校で習ったでしょうか?
五カ年計画は「全工業生産高2.5倍・重工業生産3.3倍・穀物調達量1.5倍」という飛躍的な目標を掲げておりソヴィエト連邦は資本主義諸国が世界恐慌に喘ぐ中、見事に達成させました。

ここまでは広範に知られていますがこの話には裏があります。
ソヴィエトの農業は「コルホーズ」と呼ばれる農民から全ての土地を取り上げ、その土地を「公有地」という形で共同で耕作し殆どの生産物を国家に納めるという形をとりました。

しかし土地を奪われた農民の労働意欲は低く「公有地」という自分の私有財産でもない土地を進んで開発する気はおきません。

またトラクターの数も足りず、生産力は大きく減退しました。

しかし国家の威信と計画経済というイデオロギーを賭けて挑んだ五カ年計画の穀物調達量1.5倍という目標を未達成にする訳にもいかず、ソヴィエト政府は生産力が減退した農場から多く収奪し無理やり目標を達成させたのです。

こうして農業政策は公式には「成功した」事になり長い間放置され、農業生産は西側諸国比べ大きく低いレベルとなってしまいました。

もちろん永遠に放置されたわけではなく1953年にフルシチョフがシベリアの開拓を提案し、一時的に穀物の不足は解決されましたが科学肥料による農地の縮小や砂漠化、ルイセンコ理論という間違った科学により結局再び穀物不足に陥り、1980年代にはアメリカから大量の穀物を輸入する事になってしまいました。

この穀物の供給不足はソヴィエトの経済の息詰まりの大きな原因となったのです。

⑤貧弱な自動車インフラ

ソ連はインフラ開発を軽視していた・・・・・訳ではなくむしろ農業などと比較すると優先的に投資が行われました。

しかし前記の通りソ連では一般市民に自動車が行き渡らず、行き渡ったとしても西側諸国から見て旧式の自動車でしたから優れた高速道路などを建設したところで使う人が非常に少ないと予想され、開発は進みませんでした。

このため国民の移動は資本主義国と比べると不自由な物となり、移動にかかる時間的コストや流通の低速化などの問題点をソヴィエト連邦はかかえてしまったのです。

⑥不適切な価格設定

資本主義国で価格は需要と供給のバランスと通貨発行により自然に決定されますがソ連型社会主義国では国家が個々の価格を決定しました。

価格決定権を国家が持つと投機的需要の爆発的な増加による価格の乱高下、平たく言うとバブルと恐慌が発生しないというメリットがあり、適切に価格を決定出来れば市場原理に任せるより優位に立てるシステムです。

しかしソ連は穀物や消費財など価格を上げ消費を抑えなければならない物品の価格を上げませんでした。

ソ連にとって価格を上げるという事は「政策が失敗している」という事を国民に指し示す事に他ならず、「ソ連の政策は大成功している」とプロパガンダを行ってきた政府にとって値上げは到底受け入れられるものではなかったのです。

こうして生産が少ない物品はすぐに消費しつくされ国営市場から消え、「金(もしくは物品との引換券)はあるのに品物がない」状況に陥り末期には闇市場が発達しました。

これは国民の「国への信頼」を損ない、ソ連崩壊の大きな原因になったのです。

これらの事柄こそがソ連崩壊の経済的原因となり、ソヴィエト連邦は大きな遺産を残しつつ、周辺諸国や国際情勢にあまりにも大きな影響を及ぼしその長い歴史に幕を閉じました。

一つ言えるのは国家の崩壊というのは一つの単純な原因からなる事は少なく、また原因もなく崩壊すると言う事もありえません。

「もしソ連が存続していたら」と言う方をよく見ますがソ連は滅ぶべくして滅んだのです。

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