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ベーキングは好きではないんですけれどね、

ロールケーキの生地が焼けた。卵の焼けたいいにおい。明日は補習校があるので早く寝たいのだけれど、生地が冷めるまでちょっと待つ。今週は息子のお誕生日ウィークということで明日、友達家族を招いてささやかなパーティをする。と、いっても子どもたちはそれぞれ勝手に好きなことをして過ごして親たちがあーでもないこーでもないといいながらお酒を好きなだけ飲みたいだけ。

ホームパティーをするときなるべくデザートを作るようにしている、特に子供が来るとき。特別ベーキングが好きではないんだけれど(洗い物多いし。)でもこれが子供はもちろん、男性も割と喜んでくれる(ただしうちの夫は除く)。
初めの頃は失敗も多くて嫌になっちゃうこともあったし、実際に作ってみると”こんなに砂糖とバター入ってるの!?”とその量にがく然とする。外で買うのが怖くなってくる。

私も一時期ていねいな暮らしとやらに憧れていた時期があった。ゆかりのない地でワンオペ育児に追われただ疲れ果てて過ぎてゆく日々に何か自分を正当化できるようなパッケージが欲しかっただけなんじゃないかと思う。そんなとき、人気の料理研究家の特集や暮しの手帖なんか読んだりしてよく参考にしていた。今じゃ掃除はルンバ(名はロボディラン)、洗濯は乾燥機(だって外干ししない文化だし!)ていねいな暮らしとは程遠い。

そんな頃読んだ、いろんな料理研究家のインタビューをまとめた本の中のエピソードで小さい頃ハロウィンやクリスマスの度にお友達のお母さんがくれるクッキーのイメージが今でも残っている、という一節がなぜかずっと頭の片隅に残っていて、そういうのってあるよな〜という共感とともにそれがベーキングする動機になっている気がする。(読み返すとアメリカ基地内に住むアメリカ人のお母さんたちがくれたクッキーだった)
小学校のときに福元くん(あだ名はふくにゅう)のお母さんがキャロットケーキをちゃちゃっと焼いて出してくれたとき私も感動したもの。

私は、母親の手作りお菓子というものからは縁遠い幼少期を過ごしていたものだから(彼女は恐ろしくセンスが悪い)その反動というのも否めないし、デザートあるんだよっていって出したときの、わあ!って言う子供の顔は結構嬉しいもので、また作ってあげるねって約束する。

あと、ポリシーとしてお母さんの愛情たっぷりの手作り〇〇論には否定的というのもあってだから私が作るよ、というのもあります。
今度、一緒に食べましょう。

写真のクッキーは毎年恒例の娘の誕生日に作る娘に似せたクッキー
小さい頃は、現地校と補習校のクラスメイト全員に配っていた。いつまでたっても似てると言われる。


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