「数分間のエールを」が刺さって抜けない


『数分間のエールを』を観ました

まあ映像の通り、作画というか演出というかがトンデモない映画であり、「クリエイター」たちにフォーカスした映画なので、いちコンテンツとしてもその中のメッセージとしても刺さりそうだな〜と思って観に行きました

結果、予想以上に刺さったっていうのと、刺さり方がなんか言語化に苦しい辛さを伴う刺さりだったので、自戒としても整理としてもこのように筆記をします


たぶん微ネタバレを含みそう






視聴しながら、度々「いまここにいる自分」について思いかえすタイミングが何度もありつつ、「没入感が削がれた…」みたいな気持ちには一切ならなかったので正しく観れた(?)と思っています

で、「主人公くん才能に悩んでるけどとんでもないヤバ作品作っとるやん」あるいは「才能や成功に悩むクリエイターを描いてるけどこれを作ったのはプロだし映画もクオリティやばいじゃん」と、二重に「できる側の人に『なんもできないよぉ〜><』って言われたときの嫉妬系のモヤモヤ」が発生したのでした

客観的にどんな腕前だろうと自身の腕に苦悩することはあるし、苦悩自体にフォーカスするのも自然であると分かっていても、謎にモヤを感じるのは僕の弱さだし、もしかしたら人の弱さなんだろうな〜



あと「作品に情熱を注ぐこと」が羨ましかったな

「人の感情に訴えかける」ができるコンテンツっていわゆる「創作」って感じで、音楽とかイラストとか映像とか物語とか映画とかゲームとか、色々あるわけで、そこに作りたい欲望があって、伝えたいメッセージがあって、動かしたい感情があって、っていう創作の根底の部分を自分は見失っていたんだなっていうのを気付かされました

ただ「特定の感情」に特化しがちなコンテンツはあって、ホラーは恐怖心だったりボードゲームは楽しさだったり謎解きは悩み思考を要求するので(もちろんそれをベースに他の感情を想起させることもあるが)、そういう感情ベースというか客の体験ベースな創作というものに心をぐっと惹かれました
DTM久々にやりたいな

同時に思うのは「美化された"創作"への憧れ」かもな、と
結局「創作」という行為をするにもストーリー内と現実(少なくとも僕が歩んできている環境)は違っていて、あんなに「創作」について大っぴらに語り合える環境ではなかったし(そもそも自分も周囲もあんなに「創作」に熱心になれていたかというとそうでもないので)、あんなに創作に没頭して現実生活を無視できない(性格の話でもある)

なんか結局、アニメが現実的じゃない理想化されたものだからこそそこに夢を感じてキラキラしたものとして見ることができるんだろうな~と

そこに夢を見出して、何もかも忘れて創作に没頭する行為への勇気は、僕にはもうないんです

ということが休学していてひしひし感じたりしました 結局勇気がないんですよね ノリでしか生きていない

あと人付き合いが苦手すぎて多分それを避けようとしているので、それも悪い話 結局ここのベースも変わんねぇなって思いつつある



結局創作活動に対してどう立ち向かえばいいのか、創作意欲をどこから奮い立たせるべきなのか、再考せいと槍を向けられるような映画でした


なんかネガキャンみたいになっちゃったな 最高でした
クリエイターのみんなにおススメ





某のMV公開されて欲しすぎる

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