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どうも。

三寒四温どころじゃないですよね、三激寒四灼熱ですね。

服選びが分からなくて困っています。




 新環境に慣れつつまだ探りつつ、某英語力測定イベントに備えているのが大分疲れてきて、メンタル面では依然として健康ですがシンプルに気が滅入っています。今とてもはしゃぎたいです。

 そんな中に「自己紹介」イベント、もとい「自分の侵されている偏見をご紹介!」のコーナーが結構ありました。自分を俯瞰するのがかなり苦手なのでこういうのいつも困っちゃいます。でもデザインとか見せ方にはこだわりたくて、内容がないのにスライド作るのに3時間かけちゃいました。発表は30秒で終わったらしいです。360倍。



 なんだかんだ、面白いものをつくるのがすきです。
 
 それは例えば遊び。身内ディスコード鯖ではオリジナルクイズを出題したり、逆にオリジナルクイズを出題されたりしています。何かしらの集まるイベントでも、ちょっとした企画を持ち込んだり。おおよそ高校のときの友人の影響を莫大に受けているのですが、自分の作ったものを楽しんでもらえるのが楽しいし、それを想像しながら創造する(ウマイ!)のも楽しい。

 それは例えばコンテンツ。実はなんだかんだいって曲をたま~に作っていて、そろそろ続きを作らないといけない。実はイラストとかも描けるようになりたくて、たまにめっちゃ描こうとする時期がやってくる。他にもデザインとか、動画とか、文章とか、ゲームとか、作ろうとトライするだけやってみたいものがたくさんある。あと怪文書とかね。


 創作に関していうと僕のバイブル(?)は、まんがタイムきららの「ステラのまほう」です。きららの日常ホンワカストーリーと思わせておいて、「創作」に対する姿勢とそれを取り巻く環境がものすごくしっかり描かれていて、創作人には読んでほしいね~と思っています。
 藤川先輩っていうDTMerがいて、彼女は他人の評価ではなく自分の信念があってそれに向かって進んでいる。対照的にののちゃんっていう歌上手ちゃんがいて、彼女は他人の評価があってこその創作活動だと思っている。はたまた照先輩っていうOBの人がいて、彼女は創作が辛くなる一歩手前で引いて、色々なものに触れようとする。当然価値観の違いがあって、それ故にトラブルも発生する、人間だね~~。


 僕はどうなんだろう…わからん…

 でもまあ他人に楽しんでもらえるならうれしいし、他人から評価もらえたらもっとうれしいし、もっと頑張りたいけど辛い感じにはなりたくないし、色々やってみたいし、なんだろう…



 ただ確実なのは「他人」が大事なんですよね。

 僕は他人がいないと生きていけないようです。どうやら。

 そんでもって、自分以外の人に僕は絶対に、絶対に、僕の知っている以上に救われているし、愛されているし、育まれているし、恨まれているし、嫌われている。
 もしかしたら逆で、思った以上にみんな僕に対して無関心で、「あ、人だな~」程度にしか思われてないかもしれない。
 どっちが本当なのかは分からんけど、確実なのは知る由もないってことなんですよね。

 「僕」と「僕以外」の壁って分厚いじゃないですか。

 僕は僕。誰にもなれない。この偏見にまみれた自分の肉体、自分の精神を逃れられない。自分を究極的に客観視できない。まるで将棋だな。
 人は人。僕にはなれない。どんなに親身になろうとも、どんなに理解した気になろうとも、絶対に僕のことを完全に理解することはできない。まるで将棋だな2。

 この齟齬が幼いころから結構嫌いで、これが発生するシチュエーションを避けるように生きてしまったのが現状なんですよね。例えば用がないなら独りでいるほうが圧倒的に気が楽だし、相手の知らない自分の話をしたくないし、僕がコミュニティAにいるときに、別のコミュニティBの話をしたくない。実は家族に対してもそうで、雑な知識を持たれるのが嫌すぎてここ何年かは家族に対して友人の名前を伝えたことがない(いつものゼミのメンバーで~みたいな感じでしか話さん)。

 それゆえ必然的に他の人の話を聞く側に回ることが多いんだけど、逆に中途半端ににわか知識しか付きようがないので聞いててたまにホンマに聞いててええんか???ってなったりします。でもさすがに話聞くのは慣れてて、他人の事もっと知りたいな~っていう好奇心は発生しちゃうんですよね。自分のことは明かさないのにね。オイオイ。



 でなんとここまで前振りで、こんな謎の文を生成してしまいたくなった感情の大元が実はあって、努力してぼかすんですけど、ネット社会ってネット社会だな~ってことがありました(過去形かもしれないし完了形かもしれない)。ぼかしすぎるとあらぬ誤解を生みそうでめっちゃ怖いし、ぼかしが足りないと直球になっちゃってやばい。むず。

 コミュ力とかいうのを間違えて火曜日の燃えるゴミに出しちゃったせいで交友関係は狭くて深い僕ですが、thanks to the Internet、交流関係が生まれる機会が最近になって増えてきた気がします。

 インターネットの関係、みんな言ってそうなことまた言うのあれですけど、匿名性高いじゃないですか。身分隠して接することができるからあらゆることを棚に上げて話せて気が楽だし、逆に相手の身分も分からないから友人だと思えば友人になれる。自由で楽。やさいせいかつ。
 で、自由度が高くてでも互いの情報が多くないこういう関係って、切ろうと思えば切れるんですよね。簡単に。ノーリスクで。こう書くと悪そうな意味合いになっちゃうな、違うんですいい意味でです。トラブルがあったり、人疲れを起こしたり、劣等感がたまったり、そういったときに現実だったら耐えるか、できても対処することしかできない。匿名性が高いインターネットなら、無理だなと思ったら逃げていい。めっちゃいい話です。

 

 でも、だからこそ、僕はさよならが言えなかった。

 もちろん、なんか言ってから消えてくれってわけじゃないし、消えそうだからなんか言っとくべきだったってわけじゃないし、日頃からもっと話しとくべきだったな~とかじゃない。当然。オーキド博士も「そりゃそうじゃ」って言ってる。ここに後悔があっても疑問があってもいけない。

 しかしながら、これを一言で表すとどうしても「別れ」になっちゃう。どうしてもChopin Etudes Op10-3「別れの曲」が似合っちゃう。う~~~ってなっちゃう。

 それこそ、僕と僕以外の壁を痛感させられるシチュエーションなわけです。



 だから、せめてもの気持ちとして、あの人元気にしてるといいな~とか、あの人覚えててくれるといいな~~とか、ひょっとすると急に戻ってきたりしないかな~~~とか考えちゃう。これぐらいは考えさせてほしい。言わないけど。


 そうなったときに、あの人の中で「僕」がどれぐらい残っているのか、急に不安になりました。僕はあの人にめちゃくちゃ助けてもらって、感謝が絶えないし、なにしろ楽しかった思い出がずっとある。でも、果たして僕があの人のために何かできていたのか? 同じ量返せていたのか? そう考えてすごく不安になっています。

 こういうの、交友関係広人経験多そうだけどどうしてるんだろうと気になりました。
 気にしすぎんな!って言われそうだし当人も気にされてるの気にしそうなんだけど、いいや僕は気にします。誰に何といわれても。あでも気にしすぎて病みはしないです。



 反省?展望?抱負?謎だけど、しっかりと返せるようになりたい。

 お互いに印象を残すのは大事なので。








 オチがない

 強引につけるか















さあ~て! 来週のサザエさんは~?

マスオです。
もうすぐで本番だってのに、余計なことで時間だけとけちゃうんですよね。
いや~、世知辛いなァ~。

さて次回は、
「カツオ 何故か栃木の会場しか空いてないので始発確定」
「サザエ Second reasonを話し忘れる」
「ワカメ Home Editionでカメラにドアが映らず失格」
の三本です~。

来週もまた見てくださいね~!!

ジャン! ケン! ポン!

ウフフフフフ~!


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