【若手社員が勝手に"イケてる企業のC.I.を切る"!】 「第66回:ハウステンボス 株式会社」
今日は 若手社員の私が、成長している企業のC.I.を紹介します。誰もが知っているリゾート施設を運営している企業です。
第66回は、長崎県佐世保市に、オランダをコンセプトとしたリゾート施設「ハウステンボス」を運営している、「ハウステンボス 株式会社」です。
「ハウステンボス」と言えば、企業倒産から復活を成し遂げた企業として有名です。そこで 今回は、何をやるにしても巨額な資金が必要なリゾート開発に於いて、「どうやっては復活を遂げたのか?」ということについて、色々 調べてみようと思います。
改めて…
【企業概要】
*「ハウステンボス 株式会社」は、長崎県佐世保市にあるリゾート施設「ハウステンボス」を運営する会社です。オランダ風をコンセプトに、アトラクションや飲食店、宿泊施設があり、1992年に開業しました。実はこの「ハウステンボス」は、初期投資が膨大だったこともあって経営がうまくいかず、2003年に経営破綻しています。しかし 旅行大手の「H.I.S」が2010年から経営再建に向けた支援を行い、見事復活を遂げたことで有名となりました。2019年9月期は入場者数「254万人」、売上高「255億円」となっています。
【企業沿岸】
*「ハウステンボス」の創業者は「神近 義邦氏」で、一風 変わった経歴の持ち主です。「神近 義邦氏」は、1942年に長崎県西海市に生まれました。家が貧しかったため、地元の農業高校の定時制に進み、卒業後、西彼町役場に就職しました。そんな中、出向先の長崎県庁の地方課で、西彼町の土地を買い占めていた ある老女と出会ったことが転機となります。その人物は、東京・永田町にある高級料亭「一條」の女将「室谷氏」です。「室谷氏」は「神近氏」に土地の有効利用の相談を持ちかけたのです。この時に「神近氏」は観光農園への転用を提案し、実際に「室谷氏」がお金を投資する約束を得ました。そして「神近氏」は役場を辞めて、観光果樹園を始めました。しかし 設備に4,000万円かかったが、「室谷氏」からは一銭も送って貰えませんでした。何故なら 石油ショックにより、不況で借金を抱えていて、支払い不能に陥ったのです。送金がないため「神近氏」は、工事代金を払えなくなりました。
そして お金の催促のために上京した「神近氏」に、「室屋氏」はこう言いました。「娘婿の高橋に頼むしかない。彼に会ってください」。実は「室屋氏」の娘婿は「ミネベアミツミ(株)」の社長である「高橋 高見氏」だったのです。「神近氏」は、その足で田園調布の高橋邸を訪れるも、すぐに追い返されました。しかし ひるむわけにはいかず、高橋邸を再訪して食い下がりました。そして やっとのことで「神近氏」と対面した「高橋氏」は、「『神近』が一條の経営を立て直し、長崎に送金すればいいではないか」と言い放ちました。
「神近氏」は、この提案を受け入れ、一條に専務として入ります。「神近氏」は日給月給制を廃止し、基本給に加え 歩合給や賞与を支給する賃金体系に変更したりしました。そして なんと、「神近氏」の力で一條は直ぐに業績を改善し、「神近氏」は未払いになっていた4,000万円を回収したのです。そして 一條の再建でみせた「神近氏」の非凡さに驚いた「高橋氏」は、「神近氏」を「ミネベアミツミ(株)」の親会社の役員に招き、グループの不動産を管理させました。
*次の転機は1979年に訪れます。「神近氏」は、初めて「オランダ」を訪れたのです。オランダの海岸は海の生態系を壊さないように石で造られ、生態系を生かした国造りを目にした「神近氏」は、感動で体が震える経験を、初めてしたそうです。この時に、故郷の大村湾岸に生態系を生かした住空間をつくることを思い立ちます。そして 帰国する飛行機の中で、100万坪の土地に1,000億円の資金を投下する構想をまとめ上げました。
それから2年後、「神近氏」は長崎に戻り、構想の実現に向け、地元財界に協力を呼びかけました。しかし、当然 周りの反応は冷ややかで、「大ボラ吹き」と笑われました。それでも偶然、日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)の"中興の祖"と呼ばれた「中山 素平氏」との出会いがあり、「大ボラ吹き」を大化けさせることになります。「神近氏」の心意気を買い、個人保証で「2億5,000万円」の立ち上げ資金を手にしました。
そして 1983年に「長崎オランダ村」をオープンしました。更に「中山氏」が後見人となり1988年「ハウステンボス 株式会社」が設立され、4年後の1992年3月に大村湾を望む土地にリゾート施設「ハウステンボス」がオープンしました。初期投資金額は2,200億円を上回り、東京ディズニーランドの約2倍の広さです。
*しかし、「ハウステンボス」のオープンはバブル崩壊と重なり、歯車が完全に狂うことになります。開業から2年半あまりで入場者数は「1,000万人」を超え、九州を代表する観光地となるも、バブル崩壊後の景気低迷の影響で入場者数は次第に減少しました。膨大な初期投資で巨額の負債にあえいでいた中で、2000年に「神近氏」は社長を退任し、2003年に「ハウステンボス」は会社更生法を申請しました。負債総額2289億円という大型倒産となりました。
そして このハウステンボスを引き継いだ企業こそが、大手旅行会社「H.I.S」です。「H.I.S」は、2010年から経営再建に向けた支援を行い、この「ハウステンボス」を復活させることになるのです。これについては、後ほど解説します。
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それでは ここで、「ハウステンボス 株式会社」の、"イケてるC.I."の一部を紹介します。
【企業理念】
「世界の人々に喜びと感動を提供し、新しい観光都市を創造します。」
【サービス指針】
◯私たちは明るく・元気な挨拶でお客様をお迎えします。
◯私たちはお客様の「満足(笑顔)」のために徹底努力します。
◯私たちはお客様の気持ちに添ったサービスを提供します。
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【若手なりの成長理由 分析】
ここからは、若手なりに「ハウステンボス 株式会社」の成長理由を、仮説ですが "3つ"上げさせて頂きます。
これは「ハウステンボス」が会社更生法を申請し、「H.I.S」に経営権が移った後に 実際に行われた戦略です。
先ず、結論からいうと…
◆1.「コンセプトの明確化!」
「"オンリーワン"か、"ナンバーワン"しかしない!」(ランチェスター戦略)
◆3.「『澤田流』の、赤字企業を黒字化させる3つのポイントを実践!」
の"3つ"です。それでは、1つずつ見ていきます。
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◆1.「コンセプトの明確化!」
*当時「H.I.S」の社長であった「澤田氏」は、「ハウステンボス」の不振の理由は「オランダ村テーマパーク」という開業以来のコンセプトと考えました。気軽にオランダに行ける時代に、国内でオランダ気分を味わえることの意味は薄れていると考えたのです。そして もう一つが、長崎県佐世保市という立地の悪さです。佐世保の商圏は首都圏の20分の1です。アクセスは福岡から車で2時間、長崎空港からはバスで1時間かかります。
*「澤田氏」は、こうした「ハウステンボス」の本当の価値は何かを考えました。それは「オランダ」をモチーフにしつつも、「東洋一 美しい観光ビジネス都市」です。そして これをコンセプトにしました。テーマパークというよりも「都市」です。「オランダ」の様な花と緑と水に囲まれたクラシックな美しい街並み、花畑や水車や森や運河や海といった心癒される景色、エンターテイメントやアミューズメントの驚き、感動といった良質な刺激のことです。それでいて"ハイテク"を駆使した次世代環境都市を打ち出しました。テーマパークとしては、"ディズニーリゾート"や"ユニバーサルスタジオ"に太刀打ち困難ですが、「都市」と位置づければ、それらと差別化でき、企業などの会議(Meeting)、研修旅行(Incentive Travel)、国際会議や学会(Convention)、展示会・見本市・イベント(Exhibition)などの需要(MICE)を取り込むこともできるのです。そして「ハウステンボス」は、東京からは遠いが、佐世保を中心に据えると、上海やソウルがあり、成長著しいアジアを商圏として捉えたのです。
そして 海外旅行の取扱い人数1位の「H.I.S.」は、「インバウンド市場」と「九州圏内旅行」に集中することにしました。コンセプトを明確化することで、"ディズニーリゾート"や"ユニバーサルスタジオ"などとの全面対決を避け、過去の自社の路線を差別化し、立地の悪さを逆手にとって市場そのものを差別化し、新たな需要を創出したのです。
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◆2.「"オンリーワン"か、"ナンバーワン"しかしない!」(ランチェスター戦略)
*「ハウステンボス」では、やるなら"オンリーワン"もしくは、"ナンバーワン"のことしかやらないと決めています。最初に仕掛けた"オンリーワン"は、当時 最も人気だったアニメの巨大船を、日本で初めて作成しました。本当に200人が乗船できる船で、計100万人以上が乗船しました。
そして 当たり前のことでも、"ナンバーワン"になれば大きなヒットとなります。それが「光の王国」です。これは イルミネーションのイベントなどで、1,300万球の電気を使い、日本一・東洋一のイルミネーションをつくりました。そして 最も有名なのが、「変なホテル」です。これは全てのスタッフの役割を「AIロボット」が対応するホテルです。これによって、多くのサイトやニュースに取り上げられることになりました。
他にも、「100万本のバラ祭り」というイベントを行い、以前からあった「バラ祭り」を、100万本にしたりしました。そんな風に とにかく、"オンリーワン"か"ナンバーワン"のことをやる。それでイベントも、ヒットするようになり、以降の7年間は2ケタ成長を続けています。
*勿論 失敗もあります。例えば 佐世保市の隣の有田町では、ゴールデンウィークに開催される「有田陶器市」に、たった1週間で100万人も集まります。そこで「ハウステンボス」でも陶器市を開催するも、全く参加者が集まりませんでした。考えてみると当然で、有田の陶器市は歴史のある立派な陶器市だからです。もっと言うと、そもそも 入場料を払ってまで、「ハウステンボス」の陶器市は見に来なかったのです。言われてみると当たり前ですが、「とにかくやってみよう!」という考えが、「ハウステンボス」には根付いています。
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◆3.「『澤田流』の、赤字企業を黒字化させる3つのポイントを実践!」
「澤田氏」は、企業は"3つ"のことをやるとだいたい黒字になると考えています。それも 全て"当たり前"のことだけです。
●一つ目は…
「掃除をきちんとしよう」と言うことです。
*掃除をすることで、頭が整理されるのです。何より 掃除をして物を大切にすることで、人も大切にするようになると、考えています。
●2つ目は…
「皆を元気にすること」です。
*「H.I.S」が経営に乗り出した当時は、業績が悪いこともあり、従業員が暗かったのです。そこで「澤田氏」は、「嘘でもいいから明るく元気にやってほしい」と従業員に伝えました。更には、「問題があるとき、失敗したとき、苦しいとき、嘘でもいいから明るく元気にやってください。そうすると黒字になります」と言い続けました。すると、従業員の行動が変わり始めました。例えば「ハウステンボス」には、メリーゴーランドがあります。勿論、このメリーゴーランド自体は どこの遊園地にもあるものと変わりません。ただ 「ハウステンボス」のメリーゴーランドを運行管理するスタッフは、かぶりものをして、木馬が回っている間、ずっと木馬に乗った子供たちに手を振ったり、ひょうきんなダンスをしています。しかも 一日中です。実は これは自発的に始まったものであり、今では このスタッフは「ハウステンボス」の名物スタッフになっています。実は、これは「ランチェスター戦略」の「接近戦」に当たります。物理的にも顧客に接近することは、大手企業では手間が掛かり中々 できません。つまり 元気に挨拶などを行いながら、顧客に接近するだけでも、大手企業との差別化ができるのです。
●3つ目は…
「無駄を省くこと」です。
*どんな企業でも探せば無駄は必ずあります。例えば 経費を2割下げ、同時に売上を2割増やしたら4割改善になります。それで黒字にならない企業は、殆どないのです。そして どうしても効率化できず2割下げられない場合には、1.2倍の速度で歩くようにお願いしました。これだけでも、物凄い効果になります。何故なら「ハウステンボス」を、端から端まで歩くと20~30分かかります。1.2倍の速度になると、10時間かかる仕事が8時間となり、それだけで2割の経費削減になります。
*更に「ハウステンボス」は、施設の3分の1をフリーゾーンにしました。そして テナントは残り3分の2の有料ゾーンに集約し、賑わい感を生み出しました。フリーゾーンでは店舗が閉まっていたり、イベントがなかったりしても、我慢してもらえます。その代わり 有料ゾーンには、お客さまに満足して貰えるように徹底的に投資を集中させました。この様に どんどん無駄なものを削ることで、"強み"に集中できます。これは「ランチェスター戦略」の「選択と集中」に当たります。
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◎と言うことで…
「ハウステンボスさん」について調べてみましたが、何も 特別なことばかりをしている訳では無い、ということに驚きを覚えました。特に「赤字企業を黒字化させる3つのポイント」です。これは 言わば、当然のこととも言えます。ここから学べる事は、他の企業と違うことをすることだけが「差別化」でなく、当たり前の事を"徹底的"にやることも「差別化」に繋がるということです。正に「ハウステンボス」は、このことを体現していると思います。ちなみに「ハウステンボス」は、「オランダ以上にオランダ」と言われています。言わば 大袈裟と言われる位、コンセプトであるオランダ都市を"徹底的"に表現することで、お客さまの需要を呼び起こしているのです。
そして 今、「ハウステンボス」は上場準備をしていて、2、3年後の上場を予定します。これは まだ確実ではありませんが、4、5年後に長崎にカジノを含むIR(統合型リゾート)の誘致が実現できれば、入場者は800万人前後になると予想されています。本当の「ハウステンボス」の成長は、これからかもしれません。
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◯それでは 最後に、C.I.について、若手なりに一言いわせて頂くと…
企業理念に「世界」という言葉を使われていて、目指されている世界のスケール感を感じました。しかし 一方では、本当に「世界」という言葉を使う必要があるのか疑問を持ちました。何故なら 世界に打ち出すと言いつつも、コンセプトが「オランダ」となっていることに矛盾を感じているからです。本気で世界を目指すのであれば、既にある国をコンセプトするのではなく、世界に打ち出せる日本ならではのコンセプトや、どこにも無いオリジナルのコンセプトを創り上げる必要があると思います。もしくは「オランダ」をコンセプトにし続けるのであれば、徹底的にオランダに拘り、C.I.にもその事を表現すると、より 今後の戦略が明確になると思います。
これは 私の憶測になりますが、「ハウステンボスさん」が 今後も「オランダ」路線で行き続けるのかに、迷いがあるように感じました。今後は 更に投資を行い、需要拡大を目指しているということで、ここで 一度 原点に戻って、企業としての存在価値を見直すことが必要だと感じてしまいました。それは、そもそも 創業者が「何故 オランダという街へ憧れ、どういう世界を創りたかったのか?」という、最も企業の根幹に当たる部分を見つめ直すということです。その上で「このまま、『オランダ』をコンセプトに起き続けるのか?」を考え、それを しっかりC.I.として表現する必要があると思いました。
本当に、若手が生意気ばかり言って、申し訳ございません。
出来れば、あくまで参考程度にですが、コンカンが提唱するC.I.と、御社のC.I.を、一度 照らし合わせて頂けると有り難いです。
*concanが考えるC.I.とは?
https://www.concan.co.jp/post/topics-ci
長くなりましたが、以上です。
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