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価値


人によって物や出来事の価値は違う

誰かにとっての高価な出来事は
他の誰かにとって価値が無い場合もある

けれどその出来事を自分の思う価値と同じくらいに
思っていそうな人と共有したくなってしまう

仲のいい人であれば尚更、
同じくらいの気持ちでいるに違いないと
どこかで思ってしまっていることもある

強制するのは良くない事なんだけれど
何となく、同じくらいだよねきっとって思い込んでしまうことがある

嬉しい事も悲しい事も人によって違う
仲がいいとか悪いとか関係無くみんな違う。
違うことが当然だということを忘れがちだと反省した。



少し前に占いに行くことがあった。

テレビや雑誌でみる星座占いなどの
手軽な物は目についた時に見るけれど、
対面して占いをしてもらうというのは初めてで緊張した。

霊視というジャンルを用いて占いをしてくれる方でとても親身に話を進めてくれた。

生年月日と名前を伝えるだけで
全くわたしのことを知らない目の前の人が
わたしの過去や未来の人生の動きをスパスパと言ってくれることが面白くて元気が出た

あなたは"人間らしくない人間"だね。

"人間らしい人間"の感性を持つ人と関わる時、
あなたの考え方を理解しきれなくてその人たちは
キャパオーバーしてしまうかもねと言われて
なんだかとてもしっくりきた。

わたしも自分で
"普通は○○だと思う"と言われる枠組みから
外れたことを言いがちだという自覚がある
(社会的な最低限の常識はあると思うが、感情の面が多分異常)

自分でもそれをマイナスに思っていたけれど
何も知らないはずの目の前の人が
それでも自分の感性を信じて進んでいいと
言ってくれたことに心が軽くなった。

言ってもらった事がこの先本当に起きるかは
結局自分次第だし、全く違う風になるかもしれないけれど頑張ろうという気持ちになった。


自分が大切だと思う人たちには
出来れば嘘をつきたくない(顔に嘘だと出てしまうし)
本来の自分を知ってほしいと思って話をしてしまうことが最近多くあったけれど
これは自分の身勝手な事で、
相手を思いやる気持ちに欠けていたなと思った。

誰しも感情のキャパがある事を忘れてはいけないし、自分以外のものを100%理解するなんて無理な話だ

人が人に対して軽蔑したり嫌いになったりすることは当たり前にあって、
自分が大切だと思っている人たちにいつそう思わせてしまうかはわからない

それを試すためにわたしはわたしの異常な思考を共有してしまうのかもしれない
嫌われた方が楽な気がして。

落ち込んだりしているわけではないけれど
考えることがたくさんあるよなあ

わたしが文章を書くとどうも落ち込んだりしているような感じになってしまうけれど
とても前を向いているので安心してほしい

人間らしくない人間の部類のひとも
人間らしい人間の部類のひとも
うまいこと生きてゆけますように

あしたも美味しいご飯を食べよう

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