SNSの使い方が気持ち悪い

僕はSNS自体が嫌いなわけではないのですが、大体の人間の使い方は嫌いです。その理由とともに、鹿界ではメジャーな使い方を人間に教えてあげます。

SNS(というかインターネットとも言えそうだけど)って、「今ここ」にいる自分と別の「今ここ」にいる他人を繋げることのできるツールじゃないですか。だから、理論上SNSっていうのは、これまで(=科学発展以前まで)知る由のなかった他人を知ることのできる可能性に満ちたツールだと思うんですよね。言い換えれば、各々のフィールドに関わる予定のなかった別のフィールドが、SNSを通じて関係を持つことが可能になるわけです。しかしね、現実そういう使い方をしている人はあまりいないんじゃないかな。なぜか。自分の興味関心を前提に、SNSへの参加を果たしているから。だから、大きな世界に繋がれない。いや、何もそれが悪いから変えろといっているわけじゃないんだけど、自分の興味関心に従順で、それ(=自分)を判断基準にして誰かと繋がろうとしている時点で、自分とは違う色々な可能性を持つ他者を蔑ろにしているんですよ。Twitterなんてまさにそうじゃないですか。「フォローしよ」→「なんかコイツ面白くないな」→「リムろorブロックorミュートしよ」っていうくり返しね。どんだけ自分だけの世界を作りたいんだよ……。インターネットで世界が広がるどころか、自分という狭い世界を肯定し続けているだけなんだよね。かりに、君たち人間が他者を排除し続けなければ生きられない構造的生物であれば構わないんだけど……。一方で、世界平和とか平等な社会を望むわけでしょ。少なくともそういうポップミュージックや映画に感動しているわけで……。オンラインで他者を排除しつつ、オフラインで他者を排除しない世界を望む……。この非一貫性から生じる気持ち悪さに、鹿の僕は耐えられないです。それともその気持ち悪さこそ人間らしさなのかな? なんというか、滑稽ですね……。

対して鹿界は、こんな使い方をしてます。基本的には人間のSNSと同じ構造を持つ鹿界のSNSですが、とにかくフォローしてそれをリムることはない。だって、たとえ形成されたTLに、あまり好きではない鹿のポストが流れてきたところで、それを無視するという判断は僕に備わっているのだから。人間が、わざわざそこでリム・ブロック・ミュートするのは、自分の判断すらシステムに委ねたいからなんでしょ? 自分が生きている、ということを感じるより、システムに生かされているという事実をもって長生きすることを望んでいるんだよね、たしか。まあその気持ちは全くわからないけど、鹿からしてみると、気持ちわるいなあ。でも、「仕事は辛いのは当たり前、みんな辛いんだ」「それが人生だ、人生に耐えよう」という言説が大好きで、「辛いから変えよう」と考えられないのが人間だから、いいんじゃないかな、気持ちわるいけど……。

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