煩悩

一般的には煩悩は無くす方が良いと思われている。初期の仏教、小乗経では灰身滅智(けしんめっち)といって様々な煩悩を無くす修行があった。しかし、煩悩を無くす事は突き詰めると心身ともに滅失してしまう事になる。
小乗経の次に出てきた大乗経では煩悩に覆われている凡夫であっても「煩悩即菩提」と言って、煩悩を燃やすことにより知恵が湧き悟りを得るとされる。確かに煩悩が有ったからこそ様々な事が発展してきた。発展しないと言う事は煩悩が足りないとも言える。しかし、反面その事により環境破壊などの弊害が出てきたのも否定できない。「煩悩」を即「菩提」に転換する「即」とは何なのだろうか、煩悩のコントロールとでも言えるのかもしれないが、そのコントロールの仕方が分からないから個人も社会も苦しみ続ける。その答えはどこに有るのだろう。


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