【第280回】『アンノウン』(ジャウマ・コレット=セラ/2011)
世界共通の正しい理屈として、どこの馬の骨だかわからない実績も積んでいないスペイン人に、大枚をはたいて映画を撮らせようという博打打ちな会社などどこにもない。そこには出資者を説得するだけの条件も整っておらず、ヨーロッパでの華々しいフィルモグラフィもない。ましてやCMや有名バンドのM.V.の実績もない。このことにより監督であるジャウマ・コレット=セラの30代は文字通り迂回に次ぐ迂回だった。31歳の時に撮った記念すべき処女作『蝋人形の館』は同名映画の3度目のリメイクだったし、33歳で撮った『GOAL!2』はFIFA&レアル・マドリード全面協力のフットボール啓蒙映画であり、『GOAL!』シリーズ3部作のうちの2作目だった。35歳で撮った『エスター』もホラー映画というか猟奇サスペンスの新しい解釈として、ホラー映画ファンに絶賛され、大ヒットを記録する。この映画でようやく大ヒットという実績を作り、遂に自分の撮りたかった映画である今作『アンノウン』を撮ることになる。
彼は監督としては屈辱的なB級映画の世界から自力で這い上がったのである。アメリカ生まれの作家であるアレクサンダー・ペイン、ウェス・アンダーソン、クエンティン・タランティーノ、JJエイブラムス、ジェームズ・グレイ、デヴィッド・O・ラッセル、デヴィッド・フィンチャー、ノア・バームバック、ベネット・ミラー、ポール・トーマス・アンダーソンら、ある程度最初から作家主義のレールの上で自分たちの個性を開花させていたアメリカの監督と同じ立ち位置に、このデビューから6年間の迂回を経て、ようやく追いついたと言えるのかもしれない。
植物学者マーティン・ハリス博士(リーアム・ニーソン)は、学会に出席するために、妻エリザベス(ジャニュアリー・ジョーンズ)とベルリンへ旅立つ。ホテルに着いたところで忘れ物に気付いたマーティンは、タクシーで空港へと引き返すが、途中で交通事故に遭遇。彼が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。急いでホテルへ向かい、妻の姿を認めて安心したのも束の間、彼女は自分を知らないと言う。そればかりか、自分の名を名乗る見ず知らずの男が彼女の傍らに……。マーティンの所持品は、携帯電話と一冊の本だけ。一方のマーティンを名乗る男(エイダン・クイン)は、パスポートはもちろん、妻との新婚旅行の写真まで持っていた。当然、警察はマーティンの訴えに耳を貸そうとしない。自らの正気を疑い始めるマーティン。だが、何者かに命を狙われたことで、陰謀の存在を確信する。
ドイツの学会に招かれた1組の夫婦の引き裂かれたミステリーと言えば、真っ先にロマン・ポランスキーの『フランティック』を思い出す。あちらはフランスでこっちはドイツだが、取り違えたスーツ・ケースが発端となり、主人公がミステリーに巻き込まれる流れはまったく同じである。ただ今作は4日間の昏睡状態を経て主人公が目を覚ました時、あっさりと妻は見つかる。しかしながら妻は夫の顔を見ても「知らない人」と言い、彼女には別の夫がいる。昏睡状態による脳の記憶障害に関しては、最近でもシャマランの『ウェイワード・パインズ』があった。主人公の正気を疑い、疑心暗鬼に陥らせるのだが、結局のところ、主人公の記憶は正しい。では今作においてはどうか?
パスポートやお金など身分証明や生活をするのにかかる持ち物を一切取られ、途方に暮れる彼を消そうという殺し屋が現れる。彼らはいったい何の目的で自分を襲うのか?ますます疑問が膨らむも身を隠す場所がない。そこでマーティンはタクシー運転手ジーナ(ダイアン・クルーガー)と元秘密警察の男エルンスト・ユルゲン(ブルーノ・ガンツ)の協力を得て、事件の核心に迫っていく。貧乏な移民であるジーナがポランスキーの『フランティック』のエマニュエル・セニエと被る。古びた彼女の部屋と窓を開けると出て来る急斜面の屋根などアパートのディテイルもよく似ている。そこで一夜だけという約束で暖を取ろうとしたマーティンは、シャワー中にまたしても殺し屋の来訪を食らう。ここでのアクションは建物の構造を考えた実に見事な構成である。この監督、カー・チェイスの専門家かと思いきや、人間の追いかけっこを描くのにも長けている。病院の場面、この古いアパートメントの場面、殺された人間は可哀想だったが、かろうじてマーティンはジーナを伴い逃げて行く。
もう一人の救世主となるブルーノ・ガンツがまた素晴らしく味のある演技を見せてくれる。『アメリカの友人』のヨナタン・ツィマーマン、『ベルリン・天使の詩』の守護天使ダミエル、ヘルツォーク『ノスフェラトゥ』のジョナサンと言ったらお分かりだろうか?近年でも『ヒトラー 〜最期の12日間〜』でアドルフ・ヒトラーを演じたことが記憶に新しい。彼が旧東ドイツの秘密警察で暗躍したキャラクターとしてマーティンを助けることになる。いかにもドイツらしいミステリアスな存在感がアメリカ映画の語りの重要なアクセントになっている。
後半、無事トランクを取り返した時、マーティンはジーナと一旦は別れるものの、スタンガンで無理矢理トラックに押し込まれるマーティンの姿を見て、ジーナが敵中に突っ込んでいく一連のシークエンスの無謀さが良い。『フランティック』では彼女の役柄自体が若きファム・ファタールといった趣きだったが、ここではまるで彼の相棒のように大いに活躍する。クライマックスの爆破ボタンを巡る攻防は『ダイ・ハード』再びという感じであろう。それ以外にも写真展の場面などは思いっきりブライアン・デ・パーマだったし、ジャウマ・コレット=セラは過去の作品を引用しながら、アクション映画の21世紀の定型というものを我々に提示するのである。
主演のリーアム・ニーソンと言えば、我々は真っ先に『シンドラーのリスト』や『ファントム・メナス』を思い浮かべるが、若い人の間では『96時間』の人として記憶されているらしい。21世紀の映画において、主人公と言うよりもどちらかと言えば脇役・悪役のイメージのある俳優を主演に据え、少ない制作費にも関わらず、第一線で活躍する監督たちに勝るとも劣らないクオリティ。トニー・スコット亡き今、21世紀の活劇の行方はこの男に託されたと言ってもいい。
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