【第457回】『天才マックスの世界』(ウェス・アンダーソン/1998)

 額縁に飾られたある家族の肖像画。白髪交じりの父親とにっこりと微笑む母親、そっくりな2人の息子たち。ワインレッドの緞帳がゆっくりと開き、物語は始まる。名門ラッシュモア高校、繰り広げられる数学の授業、余白に書き込まれた難解な公式を解くべく、指名された男マックス・フィッシャー(ジェイソン・シュワルツマン)は、コーヒーの入ったマグカップを片手に、涼しい顔で数式を解いていく。やがて導かれた正解にクラスメイトたちは熱狂し、拍手喝采で迎えられた男はその瞬間、夢から覚める。校長先生の気怠い祝辞の後、大実業家ブルーム(ビル・マーレイ)の訓示を聞いた男は、メモを取りながら、男の言葉に雷に打たれたような感動を受ける。ウェス・アンダーソンの映画では、しばし登場人物たちが電撃が走るような天啓を得る。それはいつも決まって突然やって来る。かくして体育館に先頭のマックスだけの拍手が鳴り響き、それに続いて愛想だけの拍手喝采が鳴り響く。苦々しい表情のブルームは校長先生に彼の名前を聞き、良い奴じゃないかと言うが、校長はマックス・フィッシャーが学校始まって以来最悪の生徒だと吐き捨てるように話す。これがマックスとブルームの運命の出会いになる。

好奇心旺盛で数々の課外活動に勤しむマックスの成績は、彼の見た夢とは対照的にまったく冴えない。その華々しい分刻みの放課後のスケジュールとは対照的に、中高一貫の名門高校に通う15歳のスクールライフは早くも暗礁に乗り上げている。数学の授業の答案を、父親に見せるマックスの苦々しい表情。並行移動で映し出された父子の歩行シークエンス。散髪屋の父親バート(シーモア・カッセル)は意気消沈する息子に対し、「お前は海と結婚した船長、海が女房なのさ」と極めて哲学的な言葉を息子に投げ掛ける。その言葉に2度目の天啓を得ることになる。偶然訪れた図書館、またしても偶然借りた本の中に、自分の人生を変えるかもしれない書き込みを見つけた主人公は、ここで3度目の天啓を得る。まるで処女作『アンソニーのハッピーモーテル』のアンソニーが、偶然モーテルで働く白いワンピース姿のパラグアイ人に心を奪われたのと同様に、その言葉の主に会いに行く主人公は、窓ガラスの向こうから、子供たちに向けて優しく話しかける聖母のようなクリス先生(オリヴィア・ウィリアムズ)の姿に心を奪われるのである。15歳の少年に訪れた3つの天啓と2つの運命的な出会いは、やがて三角関係のような事態に陥り、世代を乗り越えた2人の友情は恋の鞘当てに覆い尽くされる。

父親が発した「お前は海と結婚した船長、海が女房なのさ」という言葉の持つ意味が、ただの慰めから発した言葉ではないことに気付くのには、あまり時間がかからない。今作は2作目にして早くもウェス・アンダーソン特有の水のイメージが顔を出す。処女作『アンソニーのハッピーモーテル』同様に、プールサイドで苦々しい表情でゴルフボールを水面に投げ入れていたブルームが、バドワイザーの水着で高飛び込みする場面の切なさ。翻ってクリス先生の教室に場面は移り、水槽の中を元気よく泳ぐ複数の稚魚にイメージは連鎖する。その後もマックスにとって決定的な断絶の遠因となる水族館建設、彼が作った津波の工作模型、クリス先生を思いやって注ぐグラスの飲料など、数々の「水」のイメージが来るべきクライマックスを醸成する。15歳の純粋過ぎる思いは、クリス先生にとって重荷でしかなく、そのプレッシャーを払拭するためにピーター(ルーク・ウィルソン)を呼び出し、やがてマックスにとって地雷であるブルームを踏みつけた女の胸中は計り知れない。失恋の痛手が記号的に表現される赤のニット帽から緑のベレー帽への鮮やかな変化。叩きつけるような大雨の日、車に撥ねられた姿を偽装してまで、愛する人のベッドの感触を確かめる主人公の切なさが堪らない。前作同様にいじめっ子への眼差し、友情のヒビ、愛情の決裂が様々なレイヤーを織り成しながら、来るべきクライマックスに帰結するウェス・アンダーソンの力技が素晴らしい。平面的なショットと同様に、初期のウェス・アンダーソンを決定付けた演劇的なルック、ラストの戦争演劇『天国と地獄』の素晴らしさ。親友ダークが覗き見る双眼鏡と和解、タイプライターと主人公の前向きな感情など、ウェス・アンダーソンの世界観はこの2作目で既に現在のルックに近い。

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